徒然草紙

読書が大好きな行政書士の思索の日々

『星からおちた小さな人』 佐藤さとる

2021-12-18 16:58:18 | ファンタジー
『星からおちた小さな人』はコロボックル物語の第3作目にあたります。『だれも知らない小さな国』『豆つぶほどの小さないぬ』の前2作とは違って、コロボックルとは直接関係のない少年が主人公となる物語です。
 
作者もあとがきで書いていますが、この作品はコロボックルのことをまるで知らない人間がふとした出来事からコロボックルの世界と関わりをもつこととなる点で、シリーズのターニングポイントとなります。言い換えれば、今まで一部の理解のある人間しか知られることのなかったコロボックル世界が、人間社会と関わりをもち始めることとなるのがこの『星からおちた小さな人』となるのです。
 
作者はコロボックル世界の行き先について楽観的なイメージをもっているようです。もちろん、物語をつくる人なのですから、自分の思うように話を発展させていくことはできますし、実際このあとに書かれた同シリーズも作者の思うとおりの方向に進んでいきます。私も楽しく読んでいます。人間の善性というものに信頼が置かれている社会を背景としているからこそ、このような物語は面白いと思うからです。
 
ただ、世相をみているとそう気楽なこともいっていられないのではないか、と思います。仮に現在のネット社会を背景としてコロボックル物語が書かれるとしたら、どのような話になるのでしょうか。ネットはとても便利なツールであると同時に危うさももっています。
 
せいたかさんを中心とするファミリーのなかだけで物語が完結しているうちは良いのでしょうが、それが他の人々にまで広がっていったときに何が起きるのか。たとえばその対象が、コロボックルが友だちと認めた人だけにとどまったとしても、秘密は守られるのか。ネットによる拡散ということを考えるとどうも悲観的になってしまいます。
 
コロボックル物語の世界は自分の胸のなかだけにとどめておくのが一番よいのかもしれません。

『ローマ帝国衰亡史』4 ギボン

2021-11-14 11:08:05 | 読書
ギボンの『ローマ帝国衰亡史』の4巻。
 
この巻ではローマ帝国衰亡の最大の原因となったゴート族の侵入が描かれます。ウァレンス帝率いるローマ帝国軍が無残な敗北を喫したハドリアノポリスの戦闘以降、ローマ帝国が軍事力によって敵を圧倒することはありませんでした。
 
ハドリアノポリスで敗死したウァレンス帝のあとを引き継いだテオドシウス帝は、ゴート族を降伏させることに成功しますが、その勝利は戦場でもたらされたものではなく、巧みな外交政策によるものでした。それまでの例でいえば、ローマ帝国は戦場でどのような敗北をしようとも、後日必ずその報復を果たしてきたのです。
 
しかし、
 
「ハドリアノポリスでの敗戦は、その後テオドシウス帝の才幹をもってしても、ついに蛮族に対する決定的勝利の報復を果たすことはできなかった。」
(『ローマ帝国衰亡史』ギボン より引用)
 
とあるように、この時期のローマ帝国は軍事力で敵を倒すことはできなくなっていました。
 
結果として、ゴート族はローマ帝国内に居住を認められるのですが、ギボンにいわせれば、これは将来、帝国を滅ぼす一大敵国を迎え入れたも同じことでした。ゴート族は人数が多いだけではなく、ローマ帝国の法律などに縛られずに行動するのが常だったからです。
 
テオドシウス帝の死後、ゴート族はローマ帝国に対して再び牙をむき始めます。ゴート族の王アラリックがイタリアに侵略を開始するのです。しかし、このときはローマ帝国の勇将スティリコの活躍によってゴート族は撃退されます。
 
スティリコはその軍事的才能によって、ゴート族を寄せ付けませんでした。しかし、そのスティリコがローマ帝国内部の軋轢によって処刑されると、ゴート族は再び侵略を開始。帝国の首都ローマは彼らの略奪の手にゆだねられることとなるのです。

『古代天皇制を考える』日本の歴史08

2021-08-09 11:14:33 | 読書
講談社学術文庫の日本の歴史シリーズの8巻。
 
天皇制が生まれた背景と歴史を7人の研究者が様々な視点から解説しています。なかでも私が興味をひかれたのが第五章の丸山裕美子氏による「天皇祭祀の変容」です。
 
天皇の権威は、宮中の祭祀をもともと日本各地で行われていた祭祀とを組み合わせることで成立した、と筆者はいいます。そのために利用されたのが天孫降臨の神話です。
 
天皇は、
 
「天の原を統治する「天照らす日女の尊」の「皇子」として地上に降り立った「日の皇子」」
(『「天皇祭祀の変容」』 丸山裕美子 より引用)
 
であり、それまでの土俗の神々は「日の皇子」によって支配されるものという考え方を、各地で行われる祭祀に組み込んでいったというのです。
 
武力による強制ではなく、祭祀という宗教行事を通して天皇による支配の正当性を広めていったというのは面白い視点だなと思います。様々な社会状況の変化にも関わらず、日本の天皇制が今日まで崩れることなく続いてきた根っこには、民衆の素朴な皇室尊崇の観念があったからだと個人的には思っています。しかし、その由来について考えたことはなかったので、このような視点で説明されると、なるほど、と納得してしまうのです。
 
現在の日本では、天皇制は国民の信頼がなければ成り立っていくことはできません。その信頼とは昔から培われてきた皇室への信仰心とでもいうべきものですが、それはもともと国策として行われてきた民間祭祀への干渉の結果として出来上がったものでした。当初、天皇による支配を正当化するための方策として行われた民間祭祀への干渉が、結果として天皇家存続の鍵となっていることはとても興味深く感じます。権威というものは力づくで成立するのではなく、民衆の素朴な心情に根付くものでなければならない、ということなのでしょう。

東京オリンピック開会式

2021-07-24 11:00:24 | 社会・経済

昨夜、東京オリンピックの開会式をテレビで観ました。国旗の掲揚の場面から観たのですが、BGMで「八重の桜」の劇中曲『輝かしい未来へのエール』が流れたので驚くとともに感動してしまい、最後まで観てしまいました。選手入場で流れたドラクエのテーマにも驚きましたが、「八重の桜」ファンの私からすれば、『輝かしい未来へのエール』が流れたことで、すっかりうれしくなってしまったのです。

コロナ禍で開催の意義すら問われている今回のオリンピック。すでに100人を超える大会関係者が感染したとの報道もあり、安心、安全という言葉からはほど遠い状況になりつつあるようです。開会式での選手団の様子を見ていても、あんなに密になって大丈夫なのか、と不安をおぼえてしまいます。

しかし、そのような状況のなかだからこそ、未来への希望をつなぐ、という意味で『輝かしい未来へのエール』が使われたことは良かったのではないかと個人的には思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


『ローマ帝国衰亡史』3 ギボン

2021-07-03 12:41:52 | 読書
『ローマ帝国衰亡史』第2巻。
 
マルクス帝亡き後の混乱により麻の如く乱れたローマ帝国でしたが、政治と軍事、両方にたけた皇帝たちが出るにおよんで、昔日の栄光を取り戻します。内乱をしずめ、蛮族を撃退、再びローマの平和を蘇らせることに成功したのです。
 
特にペルシャ帝国との戦いでは空前の勝利をおさめ、かってのウァレリアヌス帝捕囚という屈辱をそそぎました。
 
皇帝として注目したいのがディオクレティアヌスです。彼は帝国を4つに分割し、それぞれの地域を正帝2人副帝2人で統治するようにしました。この体制は彼が皇帝でいる間はうまく機能し、ローマ帝国は平和と繁栄を享受することができました。その治世は後年、もっとも成功したものの1つとまで云われるものだったのです。
 
しかし、彼が帝位を退くと帝国は再び乱れ始めます。ディオクレティアヌスという重しがなくなるとそれまで抑えられてきた不満分子が頭をもたげて来、ローマ世界は内乱へと突入していくのです。
 
ディオクレティアヌスの作った体制は彼一個の力量によって支えられてたものであったにすぎず、永続的なものではなかったのでした。その体制はやがて東西ローマ分裂の淵源ともなるのです。
 
内乱の勝者はコンスタンティヌス。コンスタンティノープルの建設者であり、キリスト教の保護者としても有名です。彼の治世は3巻で語られることとなります。
 
第2巻ではキリスト教の発展についても多くのページが費やされています。ローマ帝国によるキリスト教弾圧の歴史が語られるのですが、意外なことに弾圧によって処刑された信者の数はさほど多くはありません。
 
ディオクレティアヌス帝時代に
 
「法的判決を受けて死罪に処せられたキリスト教徒の総数は、二千人をいくらか割るはずである。」
(『ローマ帝国衰亡史』 ギボン より引用)
 
とあります。個人的にもっていた大虐殺といったイメージとはずいぶん違っています。この点については塩野七生氏の『ローマ人の物語』にも同様のことが書かれており、認識を新たにしました。
 
「キリスト教徒がその長い教会内抗争の間にあって、相互に加え合った残虐行為は、なんと彼等が異教徒たちの狂信から受けたそれよりも、はるかに甚だしかったということである。」
 
「平和と博愛とを説くはずの組織が、たちまち破門、戦争、虐殺、そして異端審問等々といった数々の汚辱を犯してしまうのである。」
(『ローマ帝国衰亡史』 ギボン より引用)
 
ギボンはキリスト教について述べた結論としてこのように書き、「悲しむべき一事」としています。宗教のもつドグマの一端を示した点で、とても興味深いものがあります。