むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

木部城(群馬県)

2020年10月12日 | 百名城以外の城
木部城きべじょう
別名
構造平城
築城者木部範虎
築城年代1560年頃(永禄年間)
指定史跡
場所群馬県高崎市木部町413  地図

木部城は、旧鏑川沿いに築かれた木部氏の城で、
武田信玄が倉賀野城を攻める際、この城に陣を置き、木部氏は箕輪城へと逃れていました。
木部範虎の正室は箕輪城主長野業政の娘で、箕輪城落城の際榛名湖に身を投じ、
龍と化したという伝説が伝わります。
榛名湖畔には、今でも木部神社があり「木部姫伝説」が語り継がれています。



お染の墓地

周辺に何かないものかとうろうろしていると、安楽寺の墓地に「お染の墓」というのがありました。
ちょっと足を止めてみると…



大坂で油屋の娘おそめと奉公人の丁稚久松が心中した事件を劇化した「お染久松」の浄瑠璃が伝わります。


本丸(丸の内)

二の丸、本丸とも住宅地となっていて、日曜の昼間ともなれば
住民の方々の目がとても気になり、本丸での写真はこれだけです。
この新しい民家の奥にある石祠が唯一残された本丸を示すものとなっています。
石祠を写真に納めようと民家脇を少し入ってみたのですがこちらの民家の庭先に侵入してしまうことに
なってしまうのでカメラを構えることなく、慌てて退散することに。


心洞寺

木部城主廟所とあります。
早速行ってみましょう!



山門をくぐるとすぐに木部城主之廟入口の石柱と案内看板があります。


案内看板

心洞寺は鬼石町の永源寺三世漱恕全芳大和尚を開山、木部駿河守範虎を開基として
創建されました。


土塁

寺の境内は木部氏の館跡で、山門の東西には石垣や土塁の一部が残されています。


木部城主の廟

大ケヤキの根元に建立された五輪塔が木部駿河守範虎の廟です。
地域の住民からは「木部様」と呼ばれ、今でも親しまれています。
そして、右側に並ぶ墓石は範虎に仕えた家臣のものです。


案内石板

範虎の廟には案内石板が添えられています。
範虎は、箕輪城主長野業政の娘を娶り長野氏に仕えていましたが
武田信玄の侵攻により箕輪城が落城。
この時奥方が榛名湖に身を投じて龍になったという伝説が伝わります。
長野氏滅亡後は、武田氏に従い木部五十騎を率いて各地に参戦。
しかし、長篠の合戦で織田信長軍に敗れ武田勝頼に殉じて天目山桔梗ヶ原で散ることとなりました。



旧鏑川跡

かつて、天然の要害として堀にりようしていた旧鏑川の跡が見える位置にやって来ました。
ここは堀中にあるセブンイレブン高崎木部町店駐車場です。
ここから堀跡を辿ることができます。



セブンイレブンの交差点で県道173号線を西側へ超えて行くと
道路に沿って田んぼが緩く曲がっているのがわかります。
この田んぼこそが、かつての鏑川の名残で堀の名残です。
川幅も道路と道路の間の田んぼが表しています。


道祖神

かつては川沿いあった道祖神でしょうか。



南八幡小学校通りを横切り、南に進んだところにも
かつての鏑川の名残が見えます。
城はこの川(天然の堀)に守られていたのですね。


城域はほぼ住宅地として改変され、あまりうろうろしていても不審者として通報されかねない状況なので
深く追求するのは諦めましたが、グーグルマップで見てみると、なんとな~くその名残は見えてくるもので
旧鏑川跡なんかはとてもおもしろく、木部城を囲むように流れていたんだなというのもわかりました。
ここを訪れる前に箕輪城で木部城の情報(主郭は心洞寺ではなく城之内の方だよ)という
アドバイスをいただいていたので、間違うことなく行くことはできたのですが新しい民家が
建っていたので石祠まで行こうと進入したところ、洗濯物など干されていて既に生活されていたので
石祠を近くで撮影することなく、引き返して来てしまいました。
今後訪れる方が石祠まで入って行くには住民の許可を得るつもりで行かないと通報されそうで
注意が必要になってしまいましたね。


令和2年9月27日登城





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