運命に翻弄され続けた男・谷津嘉章は負けない | DaIARY of A MADMAN

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毎日、ROCKを聴きながらプロレスと格闘技のことばかり考えています。

大変、衝撃的なニュースが飛び込んできた。


「荒武者レスラー谷津嘉章、糖尿病で「右足切断」を告白」

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6328708

 

リングでの勇姿を久しく拝んでいなかったものの、まだ“現役” なのだと思っていたから、まったく想像もしていなかった。これは多くのプロレスファンも同様だろう。

 

谷津と言えば、キラー・カンと並び、「長州力批判」でおなじみだが、全日本プロレス移籍後は五輪コンビで活躍したもののSNSへ再移籍し、SPWF旗揚げ、新日本プロレスへの出戻り、PRIDE参戦、WJ入団など、波乱のプロレス人生を歩んだものの、やはりジャパンプロレス(維新軍団)時代が一番楽しかったのだろう。カンちゃんの方はかなり“怨念” が渦巻いているのに対し、谷津の場合はどこかしら“愛情” もしくは“郷愁” めいたものを感じることが多く、何だかんだ言っても長州のことが好きで仕方ないのだろうなと思わされてしまう。

 

個人的に谷津のベストバウトは、やはり全日本参戦時代の「ジャンボ鶴田&天龍源一郎 vs 長州力&谷津嘉章」の一連のタッグ対決にとどめを刺すが、最も印象に残っているのは日本デビュー戦となった「アントニオ猪木&谷津嘉章 vs スタン・ハンセン&アブドーラ・ザ・ブッチャー」ということになる。

 

詳細は以前取り上げているので割愛するが(以下のリンクを参照)、この試合がなかったら。というか、こういうデビューの仕方でなかったら、果たして谷津はどういうプロレス人生を歩んだのだろうか、興味深いものがある。

 

■検証シリーズ ㉒ 「改訂版『猪木&谷津 vs ハンセン&ブッチャー』の謎」

https://ameblo.jp/daiaryofamadman/entry-12138988968.html?frm=theme

 

 

アマレスでは「幻の金メダリスト」と言われ、プロレスデビュー後もアマレスの大会に出場し(1986年)、まさかの全国優勝を果たすくらい、「実力」では歴代有数のものを持ちながら、ついぞ“主役” を張ることなく、「万年誰かのパートナー」として鈍い光を発し続けた谷津。

 

運命のいたずらに翻弄され続けた男の人生はどこまで弄ばれ続けるのだろうか。

 

因縁の相手・長州力のプロレス人生がハッピーエンドで幕を閉じた日にこんなニュースを目にするとは。本当にやるせなくなる。

 

 

記事では明るく冗談も飛ばしているが、当然、本音ではそんな心境ではないはずだ。でも、どんなに窮地に陥ってもしぶとく這い上がってきた谷津のことだから、もしかしたら、本当に義足でリングに上がるかもしれない。

 

その時こそ、谷津のアマレス&プロレス人生に終止符を打つ日だ。

 

そういう日が来ることを心から願っている。





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