こんにちは。
笑いと癒しの音楽クリエイター、セシリアみつよです。
いつも読んで下さって、どうもありがとうございます。
も~、こ~んな重い記事、イヤやね~。
もう少しで終わりだから、ごめんなさいね~。
平安時代。大納言藤原国経。
50~60歳も離れた年下の美人妻を、時の権力者・時平にお持ち帰りされ、奥方への妄執が断ち切れず、何とか忘れたいと『不浄観』なるものをしました。
『不浄観』は、自分や他人の身体が腐敗・白骨化していくのを想像して、執着を断つことを基本とする行。
『九相図』という、ヒトが死んだらどういう様相になっていくのかをあらわした絵巻物を部屋に掛け、それだけではアカンと、リアル『九相図』を見に蓮台野の風葬土葬墓地まで見にいきます。何の拷問やねん…。
不浄観をして、奥さんを貶めた(そしてそれをするのは、奥さんを愛してた自分をも貶める事になると思うのですが)。これでもかこれでもか、と「鬼」と化して毎日毎日頑張った。
蓮台野まで夜な夜な行って、捨てられている骸をじっと観察する。こえ~よ。
蓮台野の桜
文章にも書いてありました。『犬の死体の方がまだマシだ』と。
獣は毛皮を纏ってるので、きちゃなくはない、と。た…確かに。
対するヒトは…想像に難くないですよね。
虫だって湧く、臭いも酷い、最後は髪の毛だけ残る、それがその場所には山ほど転がっています。
ヒトは極限まで行くと、空白になります。
もし大納言がそこまでいったのなら…彼のドロドロの「九相図」の世界から、小さな光の珠が浮かんできたのかもしれない。
「やはり妻を愛している」という珠。
どんなに貶めても。
どんなに自分の気持ちをごまかしても。
どんなに憎もうとしても…。
どうして憎いのでしょうか
自分を捨てていったから
仕方ないやん。
時の権力者やん。逆らったらこの時代、島流しされるで。
何の音さたもないから
無視されてるから
仕方ないやん。
もしそんな事で、大納言にとばっちり行ったら、あんな狭い世界、自分が残してきた子ども(滋幹)の将来の出世にも影響するやん。
そらわからんで。
奥方は祖々父ほどの歳の大納言を嫌ってたかもしれんし、時の大臣の奥方になる方が玉の輿と踏んだかもしれん。
そういうのを大納言はグルグル考えて、それでもその気持ちが出現する根本は、『奥方を愛している』という事に気づいてしまったら…。
ヒトは、ど~でもいい人の事を、グルグル考えません。
色恋の場合、ほとんどが『愛』=『憎』ですから。
何やらかんやら理由付けて憎んではみたものの、結局の所、奥方への愛情が断ち切れないものなのだと…そこに気づいてしまったら、もう何も出来ない、力が抜けてしまうのではないのかな、と思います。
自分で絶対、そこに気づきたくはなかったでしょう。
知っていたとしても、避けて通っていたでしょう。
そんなん、認めたくないですやん。
認めたら、プライドが傷つきます。
甥は20代で大臣、わしは80代でまだ大納言。
いや、大納言でも一生なられへん人の方が多いで。
甥は20代のピッチピチのイケメン。
わしは80代のじいさん。
認めたくないから、何やかんや理由をつけて、奥方を嫌いになろうとしたんでしょ
こういう場合、『愛する』より『憎む』方がラクやし、めっちゃマイナスエネルギーですけど、『生きる原動力』にもなるから。
でも、結局は『愛』がそうしてしまったんや…と知ってしまったら、ヒトはきっと『諦観』の境地になるんだと思います。
今までやった事がバカらしく思えてバカ笑いしたかもしれない。
それを傍にいる女房達は恐怖したかもしれない。
あるいは、一気に思考を止めてしまって、呆けたようになってしまったかもしれない。
傍から見ればコワイし、何て悲惨なと思える風かもしれないけれど、実際大納言の心の中までは解からない。
極限状態から本当の意味での、覚醒をしたのかもしれない。
小さな子どもである滋幹の目で書かれているので、大納言の表面上は描かれていても、本当の所はどうかは解からない。そこまでは小説で描かれていません。
その後、大納言は不浄観をやめてしまいました。
『摩訶止観』の為に飾っていた阿弥陀如来の掛け軸なども、外してしまいます。
そして…亡くなってしまいます。
つづく
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