こんにちは。
笑いと癒しの音楽クリエイター、セシリアみつよです。
いつも読んで下さって、どうもありがとうございます。
平安時代の貴族、大納言国経。
最後は部屋に掛け渡してた九相図の絵も外し、摩訶止観の為の阿弥陀如来も撤去し、部屋にこもっていたようです。
お付きの女房達も、とっくに気味悪がって近づかないようにしていて、子どもの滋幹だけは、気味悪い中も興味を持って、父に近づいていました。
奥方の置いて行った息子を、時には愛おしいもののように、時には憎いもののように見ていた大納言。その頃はもう、息子にすら興味を示さなかったようです。
最晩年、虚空を見つめながら、白氏文集の『鶴を失ふ』を口ずさんでいます。
自分の元から鶴が去っていった
もう三夜帰ってこない
こんな老人の自分に誰が一緒にいてくれるだろう
…みたいな詩で、鶴を奥方になぞらえているようです。
さぁ…。
最期まで苦しい執着で過ごしたのか、あるいは、年若い奥方のその後の幸せを祈りながら逝ったのか…それは解りません。
パッカ~ンして無の境地になったのかもしれないし、プッツ~ンしてほうけてしまったのかもしれないし。読み方によっては、どうとでもとれます。
まるで、心理学のカードを見る時のように。
ヒトの気分や感情、年代によって、同じカードを見ても、違うイメージが湧いてきます。
私は若い頃は、そのまま読んで「あ~。気の毒な~」という気持ちと「うわ~。すごい執念や~」と思っていました。
それから〇〇年経って色々経験もして、良く言えば観点が広くなった、悪く言えば物事を真っ直ぐに見なくなったからか、ただこの表面上はドロッドロの話、昔よりもっと行間を文字の間を読めば、違ったものが浮かんでくる可能性を感じました。
ほんで、まぁ能天気な生来の性格から来るんやろけど、やり切れないよりは希望が見えた方が私は好きなので、大納言が最期は気持ちがフラットな状態で、亡くなったんだと思いたいのです。
ウチの母のように、亡くなった瞬間全て『終わって』、心安らかだったのかもしれません。
母の寝顔を何度も見ていますが、亡くなった時の顔ほど安らかであった時はありません。
とても満足げな、微笑みでした。
母の亡くなる少し前、施設の職員の方が、様子を見に部屋に入られ名前を呼んで起こした時、その時は目を覚まして、「ありがとう、ありがとう」と言ったそうです。
そして朝食を運んで部屋に入った時は、亡くなっていたそうです。
「ありがとう」が最期の言葉だったのなら、良かったと思います。
私も最後の言葉が「ありがとう」でありたいです。
この頃腎臓悪かったから、プクプク
真実なんかどうだっていいじゃないですか。
1000年以上さかのぼって大納言に「ど~ですか」とインタビュー出来るわけでなし。
自分が生きてるこの人生が主役なら、そう思いたければそう思えばいいし、いや、苦しんで死んだのだと思いたければそうでいい。
そこは人それぞれです。
ものごとなんて、見る場所が違ったら、全然違います。
富士山1つとっても、山梨側と静岡側では違うでしょうし、上から見たら別の物に見えるでしょうし、ふもとだけ見たらこれまた全然違うものに見えるし。
愛も憎も表裏一体。
愛も偏ったら執着で、エゴとなります。
憎はその時点でそこにへばりついてるけど、何かのキッカケでポロッと剥がれたりします。
この件に関しても、私一人の考えだけでも、若い時と今では、結論が真逆ですやん。
ほんでまた、これから人生経験を積んだらまた、変わるかもしれない。
やっぱ絶望やったんやわ…とか。
それでも、私(あなた)と言うヒトはただ一人。
それは変わらない。
そこに絶えず循環して流れる感情、思考。
感情や思考は変化し、流れ去っていくもの。
ヒトは揺らいでナンボじゃ。
だからこだわらなくてもええやん。
変わっていっても当たり前やん。
…と、開き直ってる私ですけど。
ゆく川の流れは絶えずして しかも 元の水にあらず
よどみに浮かぶうたかたは かつ消えかつ結びて
久しくとどまりたるためしなし
ね。鴨長明さんも言うてはりますやん。
上善水如(上善は水のごとし)お酒ちゃうで。
ね。老子さんも言うてはりますやん。
愛も憎も、どちらに振れても、そら仕方ないもんなんやと思います。
ヒトとして生まれたんやし。
ただ、水のように、たおやかでありたいものです。
おしまい
作編曲・採譜のご依頼、お問い合わせはこちらまで
この下をクリック
こちらは料金のご案内(ご参考までに)
この下をクリック
こちらはピアノ教室セシリアのご案内
この下をクリック