MENU

山中に広がる伊達氏戦国時代の山城跡 桑折町 史跡桑折西山城跡

歴史的な遺構も数多く残る、伊達市・伊達郡(桑折町・国見町)地域

正直なところ、歴史に造詣が深くない私ですが、中通り県北地域に住んでいる以上、いつかは触れなくてはならない大テーマなのでしょう。

2015年・2016年ふくしまDCに関連するイベントとして、伊達市・桑折町・国見町が共同開催した伊達氏スタンプコレクションを始め、伊達市にて展開している政宗ダテニクル など、何かと話題も多いこのテーマ。

今回は、奥州の戦国大名として名を馳せた伊達氏に関連する史跡を訪れてみました。
※なお、歴史に関する考察は、伊達市 – 「伊達市と伊達氏」 を参考に記載させていただきます。

もくじ

桑折西山城

その場所は、桑折町史跡桑折西山城跡

様々な歴史経過があるようですが、奥州守護職となった伊達氏14代稙宗(たねむね)が本城を梁川から桑折へ移した場所が、ここ桑折西山城になります。
※仙台藩の初代藩主 独眼竜政宗で知られる「伊達政宗」は伊達氏17代になります。

以前から桑折西山城を認知していたのですが、地図を検索しても何もない場所にピンが指されるだけ…。

どうやったら行ける場所なのかと思案しているうちに、2021年に「全国山城サミット桑折大会」が開催予定との情報が入り、先日の10月11日には全国山城サミットのプレ大会イベントとして、桑折西山城ライブ2020 が開催されるなど、どんどん状況が変わってくる様子が伝わってきました。

アクセス

早く訪れなくてはと早速ルートを調べてみると、2方向から訪問できることが分かりました。

うぶかの郷側からは産ヶ沢川を渡って散策することから、初めての訪問となる今回は、観音寺側から訪れてみることにします。

また桑折町の西(福島市飯坂町)側は、西根堰 – 水土里ネット福島 という水路網により道路が複雑な場所でもあるので、以前通った産ヶ沢川ホタル自然公園へ行くルートから、東北本線をくぐり抜け、桑折西山城跡案内板に従い進むこととしました。

万正寺の大カヤ

桑折西山城跡への入り口となる観音寺は、手前に万正寺の大カヤ があり、東北自動車道の高架下をくぐった直ぐ先になります。

東北自動車道高架下

詳細は割愛しますが、左にチラリと見えているのが万正寺の大カヤ

カヤの巨樹としては日本一といわれる万正寺の大カヤも見事な見応えですよ。

万正寺の大カヤ

東北自動車道の高架下をくぐり観音寺まで辿りつくと、ここからさらに2ルートが検討できます。

  • ここから、歩いて史跡桑折西山城跡
  • さらに、車で上り史跡桑折西山城跡

なんと、うぶかの郷まで抜けることができる山道(歴史の道)が桑折西山城跡内を通っているそうですが、車での通行はあまりお勧めしません。

FFの軽自動車で桑折西山城跡へと訪れてみたのですが、すれ違いのできない急坂の砂利道なので、雨上がりや天候不順時は、私の車では登れなかったかもしれません。

歩いても400~500mほどなので、次回訪れる際には迷わず観音寺駐車場に車を停めて、徒歩を選ぶでしょう。

※2021年11月お車でお越しの場合は、観音寺駐車場をご利用ください。と告知されました。

車の場合、観音寺をさらに100mほど越え、同じく住宅の間の道を上ります。

史跡桑折西山城跡

今後の史跡公園整備では、まっすぐ進んだ先に駐車場ができるようなので、近くまで行けるようになる日が待ち遠しいですね。

さて、徒歩の場合は観音寺駐車場から桑折西山城ののぼり旗を目印に、東へ若干戻り、住宅の間の道を上ります。

史跡桑折西山城跡

史跡桑折西山城跡

そして、日差しを遮る林の中を通り抜けると、開けた場所に辿りつきました。

史跡桑折西山城 大手門跡

史跡桑折西山城跡

桑折町ホームページの記載によると、「お車でお越しの場合は、観音寺駐車場をご利用ください。」との事で、私も砲台場周辺に停めることに。
※2021年11月観音寺駐車場へと告知されました。

史跡桑折西山城 砲台場跡

そのまま一番手前にある砲台場跡へ。

史跡桑折西山城跡

ここは伊達稙宗氏が米沢へ移り、桑折西山城が廃城となってから約300年後、明治元年(慶応4年・1868年)戊辰戦争の際に仙台藩の要塞として砲台が築かれた場所で、麓を見下ろせる、見渡しの良い景色を楽しむ事ができました。
広報こおり2019年3月号 ココがスゴイ!桑折西山城より

史跡桑折西山城跡

300年という時が流れ、さらに150年を経ても、この桑折西山城の立地の素晴らしさが伺えるようです。

史跡桑折西山城 本丸跡

砲台場跡から改めて本丸跡地を望むと、麓からは想像もできなかった光景が広がります。

史跡桑折西山城跡

ふくしまの旅 での記載によると、桑折西山城の大きさは、東西約1.3km、南北1kmにも及んでいたそうで、その一端が見えてくるようでした。

そのまま、誘われるように石段を登り本丸跡へと向かいます。

史跡桑折西山城跡

東を望むと、ちょうど車の轍が空堀跡へと繋がり、周囲が守り固められていた様子が伝わります。

史跡桑折西山城 本丸跡(会所)

本丸のほぼ中央には、高舘城址碑と本丸跡の標柱があり、その東には間取りを復元した会所跡も。

史跡桑折西山城跡

会議や会談が行われたという本丸跡会所からも桑折町内が一望できたのでしょうね。

史跡桑折西山城跡

東北新幹線の車両も遠くから見つけることができ、福島駅方面から通過していく様子も余裕をもって撮影できました。

史跡桑折西山城跡

砲台場跡から裏門への道のりは未整備となっていましたが、狭く曲がり急な坂道の様子が見てとれます。

史跡桑折西山城跡

史跡桑折西山城 二ノ丸跡

会所跡の西には空堀跡があり、橋が架けられています。

二ノ丸跡の先の高台にものぼり旗が見え、その場所も史跡桑折西山城跡の一部のようです。

史跡桑折西山城跡

史跡桑折西山城 中館

中館に訪れるには一度、大手門跡に戻る必要があります。

史跡桑折西山城跡

空堀となっている場所を越えて再び坂を上ると、見晴らしの良い中館へとたどり着きました。

史跡桑折西山城跡

中館からは、本丸跡も見渡すことができます。

史跡桑折西山城跡

この中館とさらに西にある西館には、枡形状虎口もあるそうですが、高低差がある中館からは場所が確認できませんでした。

史跡桑折西山城跡

また、中館西館の間には大きな空堀があり、この空堀を越えると、さらに西館が広がっているそうですよ。

まとめ

その後、桑折西山城では天文の乱が起こり、相馬氏14代相馬顕胤(そうま あきたね)などが稙宗の救出に奮闘したそうですが、息子の晴宗(はるむね)方が勝利し、稙宗は丸森城に引退。
桑折西山城は廃城となり、伊達氏16代伊達輝宗(てるむね)が桑折町にあった亀岡八幡宮(現:仙台市)を梁川町に戻した(現:伊達市梁川八幡神社)そうです。

2020年9月15日(火)~12月13日(日)桑折町種徳美術館にて、企画展 伊達氏の城 が開催中ですので、こちらと合わせて見学するのも良いですね。

また、時代背景が前後してしまうため詳細は割愛しますが、お隣の国見町阿津賀志山防塁 からも続いてくる伊達市・伊達郡(桑折町・国見町)地域の歴史物語に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

系譜を参照するには、伊達市観光物産協会の伊達八百年ものがたり が見やすくておススメです。

なお、史跡桑折西山城跡は、2021年に完成し、開園される予定となっています。


桑折町 史跡桑折西山城跡 スポット情報

開園時間
住所 福島県伊達郡桑折町万正寺本丸
交通・駐車場 万正寺の大カヤを目指し、観音寺へ。
西山城跡ののぼり旗を目印に徒歩で本丸跡地へ訪れることをお勧めします。
うぶかの郷からも訪れることができるそう。
料金
見どころ 山中に広がる、広大な史跡桑折西山城跡と伊達氏の歴史
関連イベント 2020.9.15~12.13 企画展 伊達氏の城
2020.10.11 全国山城サミット桑折大会プレ大会 桑折西山城ライブ2020
ホームページ 史跡桑折西山城跡「史跡公園」に向け整備開始! – 桑折町
史跡桑折西山城跡「史跡公園」に向け整備中 – 桑折町

地図

この情報は編集時の情報です。内容によっては現在と異なる場合がございます。予めご了承ください。

[socialbox]

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
目次