私の街は被災地とは程遠く、揺れなんて少しも感じなかったし、行ったことのない地域。実感なんて湧くはずがなかった。
高二に上がる少し前、同じ日本の中で、ある地域の人は大災害に苦しめられ、また別の地域の人(私)は大失恋に苦しんでいた。
高一の夏、15年生きてきて気付く事のなかった自分の弱点を知った。
ダンスが苦手なのである。
今時の高校は文化祭で人気アイドルグループのダンスを披露するらしく、私のクラスも例外なく踊る事になり練習に明け暮れる夏休みだったのだが、一向に上手くならない。
こんな事になるのなら幼少期に母に勧められた「何かしらの習い事」はヒップホップにしておくんだった、と後悔した程だ。
(私はその時ピアノを選んでしまい、結局長続きせず今も何も弾けないままだし、ダンスを習っていても同じ結果だったかもしれないが、例えば今「ドレミファソラシド」を片手で流れるように弾けるぐらいには、ダンスの基本は身についていたかもしれない。
あの時ヒップホップダンスを選んでいれば。)
そんな中根気よく練習に付き合ってくれたのが大輔くんだった。
文化祭の魔法と言うのだろうか、ダンスがうまくて優しくて、いつも気遣ってくれる彼を好きになるにはそう時間もかからなかった。これが、初恋だった。
彼はというと、私の事が好きだったのかは今となってはわからない、私の世話を焼いている自分に酔っていたのかもしれない。
そこの真意はわからないが、「初恋は実らない」なんていうのは嘘だ。
8月の頭には私たちは恋人同士になっていた。
お盆休みが明けた後はカレンダーの白紙を全部無くしてしまうぐらい練習日が詰まっていて、部活で忙しい子も、練習をずっとサボっていた子も、日に日に集まるようになっていた。
私はというと相変わらず踊りが上手くなれないまま風邪を引いてしまい、練習を四日ほど休んだ。
大輔くんはうちにお見舞いに来てくれて、ハーゲンダッツのアイスを買って来てくれて。それが嬉しくて、ずっと食べられないまま 冷凍庫に入れておいた。
「初恋は実らない」というのは嘘だったけど、初恋は実るのも腐って落ちるのもすぐだった。
大輔くんは冬には部活のマネージャーと恋に落ちてしまったのである。
そのうち私の恋路を応援していた友達も「浮気するなんて最低だ」「別れた方がいいよ」と彼を非難する事に徹するようになり
ついに春休みに別れを告げる事になってしまった。
それが3月11日。
彼に「今までありがとう」とメールを入れた後、部屋で静かに泣いていたら母に呼ばれた。
テレビには波に流されていく人の姿が映っていた。
あれからまだ半年も経っていないのが夢のようだ。
彼を好きになってから一年経ったぐらいか。
世間は「節電の夏」を迎え
増え続ける行方不明者の数もようやく落ち着いて来て(数の多さは健全だが)
テレビ番組が震災後まともに放送されるようになった。
大輔くんはマネージャーの子とうまくいってるようだ。
夏祭りに行った友達が仲睦まじい二人の姿を目撃したとの事。
お祭りに行かなくて良かったと心底思った。
学年が上がり新しいクラスになったけど、今年の文化祭はダンスではなく、演劇。
小道具を作る係になった私は夏休みに熱心に何かを練習する必要がなくなり
部屋に篭っては夏休みの宿題と漫画を行き来する生活。
そして、たまに冷凍庫のハーゲンダッツを出して眺め、去年の夏を恋しがるのだった。
「え・・・・?嘘・・・・・・・」
ある時アイスのカップが異常に柔らかくなっていた。
明らかに溶けている。
「やだ、今の時間に冷凍庫開けないでよ。中の物が腐っちゃうでしょ。ドアも開けっ放しだし。」
振り返ると母が困った顔でそう言った。
「なんで?っていうかアイス溶けてるんだけど、冷蔵庫壊れたの?」
「あんた世間知らずにも程があるわよ。計画停電。うちの地区も対象でしょう。」
そう言われてやっと理解した。こんな明るい時間じゃ部屋の電気が消えているのにも違和感が持てなかった。
この夏この街は計画停電というものが行われていたんだった。
あの日、私には到底悲しめなかったあの地震の脅威が、今になって私を襲ったのである。
優しかった大輔くんは、溶けて消えてしまった。
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誰かが死んでしまう不幸と、生きている人の不幸って比べちゃいけないと思うんですよね。当たり前だけど、そんなの比較したら、後者は明らかにライトな不幸だし、でも不幸は不幸で。
「フラれたぐらいで不幸面すんな。あの震災で恋人を失った人だっているんだぞ」
「アイスが溶けたぐらいでなんだ。被災地の人は今でもまともな生活ができていないというのに。」
そんなことはわかってるんです。
でも不幸のスケールをそんなレベルまで拡大してしまったら、個人のちっぽけな不幸を許さない社会になってしまったら、誰が彼女の悲しみをわかってあげられるんでしょう。
彼女が悲しい思いをしたという事実は本物なのに。
もっとスケールを大きくしたら「アフリカの子供達は恋を知る前に死んでしまうんだぞ」って。そんなの、わかってるよ。わかるよ。命は平等に大切であるべきなんだ。
生きてるだけで幸せっていうのは、もう大前提で、それが当たり前になってしまったら、そりゃレベルの高い幸福があって、それに見合った不幸もあって。
幸せな生活の中でだって不幸に感じる場面がある。その人が不幸だと思ったらそれはもう本物の不幸なのだ。
彼女を責めるのは酷だ。
震災で恋人を亡くしたって、その人はその人、自分は自分。その二点は勝手に繋いではいけないと思うんです。
自分はその地震自体には被害を被らなかったものの、それに関連づいて何かしらの、側から見たら「ちょっとした」不幸を被った。そういう人って多分いっぱいいるんだろう。そんな時「自分の事ばかりで情けなくなる」かもしれないけど、でも、そんな時こそ、自分の事ばかりになっていいんじゃないかな。世間はきっと、こんなライトな不幸を、不幸とも思ってくれないだろうから。
あ、これはあくまでもフィクションです。そして被災者に喧嘩を売っている訳でもありません。きっと不幸っていうのは人によって程度が違って、それを他の誰かが良し悪し決めちゃいかんよね、というお話。
つらつらと。長々と。お付き合いいただきありがとうございました。おしまい。