今、うつ病のあなたへ

がんばれ、とは言いません。

 

 

 

今、布団からでられず、

朝がくることに怯え、

なんで生まれてきたんだろうと、

なんで私は生きているのだろうと、

何故、皆のようにできないのだろうと、

生き続けるのが苦しいと感じながら、

 

 

それでもお腹は空くし、

YouTubeで素敵な歌を聞いたら涙してしまう。

そんなあなたのことを私は愛おしく思います。

 

 


きっと人には

それぞれタイミングがあって、

同じにできなくてもいいんです。

 


 

私は高校の頃、引きこもりでした。

特にこれといった理由はありませんでした。

友達もいましたし、学生生活は楽しかったのですが、どうしても行くことができませんでした。

 

 


それで親との関係も悪くなりました。

全部自分のせいだとわかっていながら、

いい子でも、いい生徒でもいられませんでした。

 

 


今振り返ると、

『生きていく』ということに

漠然とした不安と絶望があったように思います。

 

 



生きるという事はどういうことなのだろう。


 


 

クラスメイトが楽しげに笑う傍らで、

何が面白いんだろうと、笑えない私は

この気持ちを打ち明けられずにいました。

 

 


そして、

その答えを本の中に見いだそうとしました。

父は読書家で家には沢山の本がありました。

 

 


母も子供の頃から、

歴史の本をよく買ってくれていたので、

それらを手当たり次第、読みました。

 


 

そして朝、学校に行くと出て行って

近くの図書館に行くようになりました。

 

 


もし、あの頃、インターネットが今のように

普及していたらYouTubeやネットサーフィンを

していたかもしれません。

 

 


あの時、

インターネットが身近に無くてよかった。

 

 

それは、私が読書の中で『生きること』

についての意味を見いだせたからです。

 

 

 

子供から大人になる狭間で揺れ動く。

 

 


それは私だけではなく、歴史上の人物は

誰もがあったことなんだと知りました。

 

 


その葛藤があったからこそ、

己の生きる道を見つけられたのです。

 



彼らの人生で、

燃やしている命の輝きは眩しく、

私の中にもボゥと灯る

あたたかな感触がありました。

 

 

 


あなたが揺れているのは、

自分にもっと期待しているから

ではないでしょうか?

 

 

 

もっとできるはずなのに、できない。

その挫折の傷を癒すのに、

今は必要な時間かもしれません。

 

 


それならばどうぞ今、

沢山もがいでください。

 



中途半端に大人になって、

自分を殺して物わかりのいいふりを

するのではなくて、

 


この気持ちはこの感情は何だろう、と

とことん突き詰めてください。

 

 


私はそれを、

読書の中で行いました。

 



人間失格、こころ、罪と罰、車輪の下、

蟹工船や破壊、ドグラマグラなど

かなり暗いものからはじまり、

 


・キリストやブッダやマホメット、

 日蓮など宗教の祖の本


・古代エジプトや始皇帝、ルネッサンスや

インカ帝国などの世界史


・龍馬がゆく、前田正名、南洲翁遺訓など

明治に生きた偉人


・フロイトやユングなどの心理学


・ギリシア神話や古事記などの歴史神話書

 



花の女子高生の時代を味わうこと無く、地中の芋虫のごとく土をむさぼりながら過ごしていました。

 

 


その地中生活の中で作者達は、

色んな景色を私に見せてくれました。

 

 

 

 

私は幼い子供の頃、

この世界は可能性に溢れていて、

とても美しいものなんだと信じて

疑いませんでした。

 


 

(そう見せていてくれたのは

両親や周りの大人の方々でしたから

感謝しなくてはいけません。)

 

 

 

ところが、思春期に入り、

この美しい世界の中で自分も美しいはずなのに

どこか欠けている、私は全然美しくないんだ。

という意識に襲われていきました。

 

 


 

歪んで見える自分を元の美しい世界に戻す術は

まったく無いように思いました。

 

 

 

でも、それは当たり前のことだったのです。

 

 

 

地中から地上へ這い出て、殻を破り、

天空へ舞うアゲハチョウのように、

 

 

私たちが大人になる段階で、

今いる美しい世界、

心地の良い世界は

いつか自分に合わなくなる。

 


 

それは新しい世界へ押し出される為に

必要な出来事だったのです。

 

 


すんなりと移ることが出来る人は

歴史上の人物を見る限りとても少なく、



ほとんどの人が自己の葛藤を抱え、苦しみ痛みながらその淵の底で扉を見つけ、新しい扉を開けることが出来るのだと思います。

 

 

 

 

 

恋に破れ、人との競争に破れ、他人の言葉に傷ついて、あなたが立っている世界がボロボロと崩れ落ち、もう立ち上がれないと思ったとき、まさにそこに次の扉があります。

 

 

 

 

どうか、自分をあきらめずにまずは先人達の世界に身を置き、お風呂に浸かってリラックスしながら体をマッサージしてみてください。

 

 


ネットを切って、電車に揺られながら風を肌で感じ、海や山を見に行ってください。

 

 


自分や親や兄弟や友達や同僚や上司のことをいったん忘れて、「自然とあなただけ」になってよく世界を見てみてください。

 

 


朝陽や夕陽を見に行くのもいいでしょう。




 

そこで『何かを感じる。』それこそが、

今、あなたのすべきことです。

 

 



感じることが何より大切なことです。




嫌な出来事、辛かった出来事は経験として今後の糧とし、箱にいれてその学びが人生の中で熟すのを楽しみに待ちましょう。答えは後からわかるものです。今は鳥のように空からゆっくりと風景の中にたたずむあなたを眺めてみてください。

 

 


心地よい世界は遥か彼方の別世界やインスタグラムやフェイスブックの中ではなく、あなたのすぐ足下にあります。

 

 

 

『生きる』ということは

『感じる』ことです。

 

 

感じるということは、対象物がなければできませんし、経験の数でも変化します。


 

風景でも、人でも、食べ物でも、生き物でも、読書でも絵絵でも、映画でも、

 


何か(対象物)に対して

あなたが感じる気持ち。

 

 


怒りや悲しみや喜びや愛しさは生きている限り、死の間際まで感じ続けることができます。

 



何を感じるか?

何を感じたいか?

誰と感じたいか?

 

 

そして、その先に

「何を与えたいか?」があります。

 


そこに喜びがあります。


 


だから沢山感じてください。

その感受性こそ、

あなただけのものです。

 

 

 

他人と分かち合ったり、

自然の中で見いだしたり、

受け取ったあたたかな想いが

感動となり刻まれます。

 

 

どうか今、じっと縮こまっているあなた、あなたの中に眠る感受性を動かしてあげてください。

 


 

経験上、まず泣いてみるのが一番いいです。

 

 


よかったらこの動画を見てください。私は落ち込んだときよくこの動画をみてわんわん泣きます。

 

 

下差し是非ご覧ください

 

 

 

 

 

そして、明日は日曜日です。近場で良いので自然が見られる所へ旅に出る計画をたてて、早めに寝てください。

 

 

 

もし、高校の頃の私がこの記事を読むことができていたら、きっと過食症やひどいニキビ肌や

人間関係に苦しむことはなかったと思います。

 

 

 

あなたが今何歳であれ、

絶頂の時ではなく、自分に落胆した

悲痛の時にこそ、次の扉があることを

どうか覚えておいてください。

 

 

そしてそんなときこそ、『感じる心』を注意深く、大切に育んでいってください。

 

 

 

 

長くなりましたが、

この記事がうつ病で苦しむあなたの

何かのヒントになっていただけたら幸いです。

 

 

 

 

 

YUKI