真昼ちゃんの父君の死は間接的にではあるけれど、僕たち――後に《家族》を形成する全員をひとつの場所に集合させる原因となった。

 井田隆徳がことあるごとに言っていたように、この世界が「原因と結果の連鎖でできている」のだとしたら、真昼ちゃんの父君の死もひとつの結果であり原因だったのだろう。

 そして、僕と温佳が出会うことになるのも、それに連鎖した結果のひとつだったと言える。きょうだいであるのだから、いずれ僕たちは顔をあわせることになったはずだ。でも、それが違う場所で違ったかたちで行われていたら、僕と温佳の関係は今のそれとはまったく違うものになっていたかもしれないのだ。

 そういった意味では、真昼ちゃんの父君の死は僕と温佳に直接的な影響をあたえたことにもなる。


 (せん)(だん)学園が理事長の死によって受けた影響も計り知れなかった。学園の財務状況が非常に悪化していたことがわかったからだ。もちろん、そのことに気づいていた人間はいた。ただ、強権を振るう理事長の前でそれを問題視するのはタブーだった。

 真昼ちゃんの父君は実力ある親から家業を継いだ者がよく(かか)る病――失敗を怖れるあまり良い報せにしか耳を傾けないといったもの――におかされていた。若い頃はそうでもなかったけれど、年をとるにつれてその傾向は強まり、晩年には誰も悪いニュースを伝えることができなくなっていたのだ。

 

 そもそも栴檀学園は真昼ちゃんの曾祖父にあたる櫻井幾馬翁が近隣の子弟の為に開いた私塾がもとになっている(と、学園の沿革には書いてある)。

 櫻井家は製糸で財を成した家で、幾馬翁はそこの次男坊だった。彼は本家の事業とは別に私塾を拡張し、栴檀学園中学を創設した。元は商業系の学校で、主に商人の子供たちを受け入れていたのだ。

 戦後、本家は廃業を余儀なくされたのだけど、栴檀学園は地元に根づき、中高一貫教育を(ひょう)(ぼう)して大きくなっていった。ちょうど子供が多くなっていた時期でもあって、学校の経営というのは旨味のある商売だったのだ。

 ただ、栴檀学園は優良な子弟の教育という点では他の同様な私立校のようには機能しなかった。あまりにも規模を大きくし過ぎたので、集まってくるのは中の下くらいの生徒たちだった。カリキュラムも教員も、それに生徒も二流――というのが栴檀学園に貼られたレッテルであり、長い時間をそのままに過ごしてきたことによって、それは伝統になっていった。

 そして、伝統というのは簡単に崩すことができないものでもある。それが良いものであってもそうだし、悪いものであったとしてもだ。


 僕たちきょうだいは、後に、その栴檀学園に入学することになる。僕たちの頃には特進クラスというのがあって、僕も温佳も武良郎もそこに入った。しかし、名前が持っている印象とは異なり、とてもじゃないけど一流大学に全員が入れるといったレベルではなかった。

 推薦枠でクラスの上位何人かが早稲田や慶応に行き、それよりちょっと下る者はまあまあ名の知れた大学に進み、僕のような者は一回名前を聞いただけでは憶えられないようなところへ行くことになった。そして、だいたいが僕と同じようなものだった。

 

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