真昼ちゃんも落ち着かないようで、以前にも増して胸を押さえるようになった。不安感が脈絡なく幾度も襲っていたのだ。
しかし、それは温佳ばかりが原因ではなかった。父さんがいまだ立ちなおれてないのも原因になっていたし、五月頃には新たな不安のもとがあらわれていた。井田隆徳がまた荒れはじめたのだ。
「今日も井田さんは夕食抜きですか」
田中和宏は無遠慮にそう言っては気持ちを逆撫でた。
「いやぁ、ご執筆に集中されてるんですね。どんなのを書いてるんだろう。気になるなぁ」
「あんた、ちょっと黙ってなさい」
真昼ちゃんは睨みつけながら首を弱く振り、温佳の顔を覗き見ては胸を擦った。気の毒なくらいだった。
「今回は重症なのよ」
アトリエへ行くと、土を捏ねながらそう言ってきた。
「前までとは違うわ。あと少しってとこまできて気に入らなくなっちゃったみたいなの。なにか大きな事件が起こるらしいのよ。小説の中でよ。でも、それがうまく書けないんだって」
「前に聞いたときは簡単に書けるみたいに言ってたけど」
僕は背の低い椅子に座った。吹き出た汗を手の甲で押さえると真昼ちゃんは捏ねた土をきれいに均しはじめた。
「そういうつもりだったんでしょうね。なにしろ何年も書こうとしてたものだったから。ここに来る前から温めてた話なのよ。その頃から『筋は完璧にできてる』って言ってたもの。
だけど、とにかく気に入らないんだって。ずっと意味のわからないことばかり言ってるの。そうでなきゃ部屋に閉じこもって話しかけもできないのよ。すごくカリカリしてるわ。ま、こういうのって誰も助けてあげられないからね」
真昼ちゃんは溜息をついた。胸を押さえたかったのだろうけど、土まみれの手を見て首を軽く振った。
「書きあげられるのかな?」
「さあ、どうでしょう。でも、できると思うわ。これだけはなんとしても書きあげるんだって言ってるもの。そういう気持ちが強いぶん、うまくいかないのに苛ついてるんでしょうね」
しかし、たまにあらわれる彼はいたって普通にみえた。若干は暗い面持ちをしていたものの、それは普段との比較でそう見えただけのことだ。普段の方がおかしいともいえた――あんなに陽性な顔つきを維持していられる方が異常ということだ。
「あれ? 井田さん、お久しぶりじゃないですか」
これまた無遠慮に田中和宏が声をかけた。
「そうだったかな? ――まあ、そうなのかもな。あまり憶えてないんだよ。今日が何日かもわからなくなってるんだ」
無精髭を撫でるようにしながら、彼は椅子に深く座った。
「すごいなぁ。それだけ集中されてるってことですもんね。僕には真似できないなぁ」
真昼ちゃんは何度も咳払いした。温佳は料理を切り刻んでいて、武良郎は鼻歌まじりに口の中のものをくちゃくちゃと噛んでいた。僕だけがきちんと食事をしていたわけだ。
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