ちょうど年末年始の特番を撮り終えていたり、企画が九部通り決まっていた時期でもあったので違約金やらの騒ぎになりもした。父さんはそういったすべてに応じた。
「ありゃ、そうとう参ったね」とシゲおじさんは言っている。
「でも、まあ、義兄さんがあんなふうに謝罪したんだから、そうなるのも仕方なかった。それに、俺はお前たちの叔父でもあるからな。あれは俺たち家族の問題だった。だから、金で済むならいくらでも払ってやったさ。それでもあんときはそうとうグチャグチャしてたんだぜ。てんてこ舞いだった。ま、全部の番組がポシャったわけじゃなかったけどな」
現在のシゲおじさんは芸能事務所の社長兼一番の稼ぎ頭になっている。
メインMCの番組をキー局でひとつ、地方局で二つ持っていて、週に何回かはワイドショーのコメンテーターもしてるのだから、「売れてる」といっていいのだろう。
また、父さんを回想する番組には欠かせない存在にもなっていた。そういうときのシゲおじさんは今は亡き師匠の意を汲んで過大に、そして、くだらなく在りし日の姿を語った。その事実の切り取り方や、どこを大きく見せ、どこを小さくするという手法は父さんそのものといっていい。
ヒール/ソール草介の懐刀として生きたことは、シゲおじさんにとって非常に大きな意味を持っていたのだ。
それと同時に、非常に大きな遺産を受け継いでもいた。伝説的な漫才コンビ、ヒール/ソールの一番近くに寄り添っていた者としての価値だけでも今後も芸能界に重きをなすに充分なほどだ。
それだけでなく、エージェントとしての能力を遺憾なく発揮して新人芸人の発掘にも力をいれている。それは父さんが亡くなる以前からしていたことで、はじめのうちは注入する力や金に見あうだけの人材を得るのは難しかったものの、しだいに軌道に乗り、今や事務所は中堅どころにまで育っていた。
「思えば、いつだって俺は振りまわされてた。子供の頃は姉さんに。そして、その姉さんが義兄さんと一緒に住むようになって、お前って息子をつくってからは、お前たち一家にな。でも、それは俺の仕事でもあったんだ。
仕事っていっても、金をもらうって意味だけのもんじゃない。生きるってのは働くのと同じ意味なんだ。義兄さんがそういう人だったろ? 人生そのものが芸人としての仕事に直結してたもんな。
あの人はズルいんだよ。それに、いい目をしてた。自分が苦手なことは全部押しつけてきた。自分の仕事に、生きるってことに集中するためにね。こう言っちゃなんだけど、それを俺にやらせたって部分ではいい目利きだったよ。
義兄さんはいつも一段高いハードルを用意してた。俺なら跳べるって見抜いてたんだな。ネタをつくるときと一緒さ。現実にあったことからツッコミどころのある部分を見抜くんだ。それを無駄な部分を削ってポンっと出してくる。あの人にはそういうとこがあった。物事の芯っていうか、肝の部分を見抜いてた。そういうことができる人だったんだよ」
当然かもしれないけど、シゲおじさんは父さんの話をすると止まらなくなった。
それは、話しつづけることで父さんを生かせつづけようとしてるかのようだった。また、それによってしか――語りつづけることによってしか、その人間がどういう人物であったか考えられないということでもあると思う。
自分の気持ちが移ろいゆくように、他者にたいする評価も移ろいゆくし、どのように事実を重ねてもその人間がほんとうはいかなる人物であったかなんてわかるわけも伝わるわけもないのだ。
しかし、同時に、語るのをやめてしまっては、なにも伝わらなくなってしまう。そのためのことをシゲおじさんはしてくれている。そして、たぶん今後もしつづけるのだろう。
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