「――で、お父さんの話だったよな? 悪いね、話が飛び飛びになっちゃって。あそこでのことになると、どうもしゃべりすぎちゃうんだ。そうだなぁ、あれについちゃ、いまだ確定した意見なんてないよ。あったことをそのままなぞるくらいしかできない。それ以外は想像で話すしかない」
そこで言葉をきり、彼はじっと見つめてきた。
「それでもいい。聴かせてくれよ」
「君は事故じゃないと思ってる。そうだよな? 事故じゃなきゃ自殺ってことか? でも、俺はあの人が自殺したとは思えないんだ。まあ、確かに表現者には自殺するのが多いよ。とくに言葉でもって表現する者に多いんだ。なんでかわかるか?」
わからないというように僕は首を振った。
「自分の内側にあるものは言葉にすべて置き換えられないんだよ。言葉ってのは万能じゃない。不完全な道具なんだ。それでも人間は、その不完全な道具で伝えようとする。そんなのが成功すると思うか? 伝わるのはいつだってほんとのことの一割二割さ。まして、君のお父さんは漫才師だった。理解しづらいことを言いつづける必要があった。
漫才ってのは、ダイアローグの繰り返しだろ? ボケは理解しがたいことを言う。ツッコミがそれを落とし込む。ボケの言うことがすぐ理解できるようじゃ面白くない。思いっきり飛び跳ねた、すぐにはわからないことを言うんだ。それをツッコミが理解可能なものに鮮やかに変える。それが優れた漫才だ。最良のな。
だけど、君のお父さんは相方を失ってしまった。いや、ずっと漫才なんてしてなかったけどな。俺があそこに住むようになったときにはそういう状態だったけど、それでも俺は思うんだ、漫才師にとって相方の存在ってのは不完全な言葉をより完全に近いものへ変えてくれるものだってな。君のお父さんはモノローグでいくしかなかった。これは常に不理解を呼ぶものだ。そういうのは単純にキツイんだよ。表現する者にとって不理解ってのはキツイものなのさ。それで、自殺者が増える。ただな、そうはいっても君のお父さんが自殺したとは思えない」
「どうして?」
サラダボウルのアボカドを刺すと、彼はそのままの格好で見つめてきた。表情は固まったように動かなかった。
「勘だよ、勘。井田さんふうに言えば、それじゃ登場人物の感情に寄り添った物語にならないからさ。まさに突飛な終わり方だよ。それに、君のお父さんはそういった不理解なんて跳ね飛ばす力を持ってただろ。俺が見ていた限りじゃ、ヒール/ソール草介ってのはそういう人間だったぜ。――ところで、君はどうして事故じゃないと考えてるんだ?」
僕は曖昧な表情をつくった。それは、こういうときにいつも用意するものだった。僕にしたところで確定した意見など持ってないのだ。
「遺書か、それに近いものでも見つかったのか?」
彼はいまだその質問癖をなくすことができなかった(三度目の離婚はそれによってもたらされていた――あまりにも干渉されるのを嫌って奥さんが逃げたのだ)。
「よくわからないんだよ。あの人は多く書き残しすぎてるんだ。何冊ものノートにびっしりとね。ほとんどは漫才のネタだったりするけど、それ以外も多い。多すぎるんだよ。そのどれもが遺書のようにとれる。何度も読んだけど、わからないんだ。いつだって混乱させられるんだよ。だから、こうやっていろんな人に話を聴きまわってるし、あの人が生まれたときからのことも書いてる。だけど、それでもわからないんだ」
じっと見つめる顔には家族的な微笑みがあらわれていた。今となっては兄のような存在でもある彼はそうやって励まそうとしていたのだろう。
「迷うことがあったら、――書いていてということだよ。人生についてじゃなく――迷うことがあったら、君の魔術師先生に相談するんだな。俺もそうしてるようにね。きっと、しかつめらしいことを言ってくれるよ。そういう言葉を落としてくれるさ。君がいま書いてるのは経験をもとにしてるものだけど、そこにだって想像力は必要なはずさ。『ノンフィクションだって一定部分は虚構だ』だろ?
であるなら、お父さんの死については君が自分の想像力で書くしかない。資料はたんとあるわけだろ? 経験だってたんとある。あとは、それらを想像力で繋ぎとめるんだな。登場人物の感情に寄り添った物語でありさえすれば、それはきっと最良のものになる。そして、最良の物語ってのは真実を描けてるはずなのさ」
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