幸福への意志 悩みのひととき

前頭葉で生きる男の 大脳新皮質の世界

身体を鍛えるようになり、収入がまともになったら古武道の道場に、と思うようになった。
ところがその道場は険しい山の中である。
愛車の原付で偵察に行ったのだが、1速でないと登れないような状態だった。
稽古は夜と決まっているから、雨の日なんぞだとろくでもないことに請け合いである。
やっぱり、また何か一台四輪でも、といろいろに妄想しているところである。

・・・・・・が、実にろくでもない状態である。
理想を書かせてもらえば、もう手のかかる車、面倒臭いやつは真っ平で――。
車体のサイズも小さいにこしたことはなく、趣味嗜好だけを言えば、カニ目のヒーレー・・・・・・銭のことを気にする必要はない、と言うならナローの911か912、フェラーリ208GT4、トライアンフのTR4、腐ってもいいから、とまで腹を括るというならアルファ・スッドも悪くない。
ここらを言うその心は、

サイズが手頃で乗りやすい
あんまり壊れない


ま、手頃、ということを重視するならシトロエンの2cv、旧型フィアット500なんぞも捨てがたいが、宮崎駿のファンにカリオストロだのルパンカーだの言われると癪であるからパスだナ。
ビートルとミニは・・・・・・・苦手だ。

まァ、しかし、ここらの車はまた修理工場と縁の切れない状態になる。
部品の入手だのなんだの、他人に見られるたんびにアレコレと話題にされても面倒臭いし。
強いて言えば、1980年代ぐらいのアルファ・スパイダーあたりは辛うじてOKだろうか。
あれなら誰もびっくりしないし、中古のボロ外車にしか見えないだろう。
放っておいてもらえるから気楽でよろしかろう。
故障もちょっぴり、見た目もカッチョイイしオープンな上、落ちていたら二束三文だろう。
かなり賢明なお買い物にはなってくれそうだが、アレはでも、走っても面白くないからなァ。
わざわざ買うほどであるかどうか。

どこの工場だろうが持ち込めばテキトーに修理してもらえる、と言えばやっぱり日本車で、それで手頃なサイズ、わざわざ探してまで乗ってみたいと思う、ということで、真っ先に思いついたのはコレだった。

初代MR2


ネットで少し検索してみたが、ボロばっかり、たまにまともそうなのがあったら170万円もする。
24年落ちで走行距離12万キロとか、こんなもん、現状渡しで入手して徹底修理、それでやっと乗れるかどうか、というぐらいのつもりでやる車だろうに。
170万円も出せるかバカタレ。

サイズで言えばこれぐらいがいいんだけどなァ。

仏界入り易く、魔界入り難し。
仏に逢えば仏を殺せ、祖に逢えば祖を殺せ。

これは著名な禅語ではあるが、自動車趣味人の苛烈にして峻厳な運命に通じるものがあると思う。
否、遍く人間の趣味というもの、文化的生活の一切に通じると言っても過言ではない。

もう、どうにでもなってしまえ。

   ◆   ◆ 

我ながらそろそろ倦んできた。
この続きをどうするか、それはまだ考えていない。
とりあえず、旧車趣味について「これだけは」と思う話を書いてしまおう。

よく、自動車は男のロマン、なんて言われ方をする。

いやー、ハンドルも重いギヤも渋いし、女の子には無理かナ

こんなことを言って、男性はすぐに得意になるわけだが、ボクに言わせれば、

クルマ=漢

こうした図式はただの思い込み、男性諸氏、初心者の勘違いである。
女というのは、

かわいい(・∀・)

この一言で何でもかんでも片付けてしまう連中だろう。
彼女らが旧車趣味に走ったらどうなるか、おわかりになるだろうか?

事実ボクは、こんなゲテモノをやる美女を目撃したことがある。



アストンマーチンV8である。
・・・・・・なんというか、醜い。

ボクはこれ以上悲惨な車をほかにみたことがない。
アストンマーチンは一般に無愛想でわかりにくい車が多いが、このV8は理解も共感もすべて無視、あるいは拒絶しているのではないか、というほど理解不能な一台である。
いかにひどいかを見ていただこうと、方々動画を探してみたのだが、やはり発見することが出来なかった。
やはりV8は難解な車である。
このグロテスクさ、「滑稽さ」は写真の一枚、動画のひとつではきっとわからない、そんな気がする。

おそらくこの動画をご覧になった人は、きっとこう思うだろう。
古風で地味な、ありふれたスポーツクーペではないか、と。
少し詳しい人なら、このファストバックのスタイルから、まずあのマスタングのマッハⅠやダッジチャレンジャー、バラクーダそのほかの、いわゆるマッスルカーのことなど思い出し、その次に全般に日本車がアメ車っぽい感じだった頃のケンメリのスカイライン、セリカのリフトバック、あるいはサバンナRX3を連想するかと思う。
違う。
違うのである。
V8はそんな生やさしい車体ではないのだ。

この動画ではわかりもしないことだろうが、まずこの車はデカい。
マスタングなんぞとは比べ物にならないぐらいに、何かと一々立体的に盛り上がった印象がある。
とにかく分厚いのである。
そして、一々装飾がフェチ臭く、ことに丸型メーターの処理であるとか、革張りシートのリクライトのレバーにすら丹念にメッキを施している感じ、そこらの質感が別モノで高級車然としている。
細部の仕上げは非常に上品、これぞ貴族の一台、という感じであるというのに、その爆音たるや、あの250GTOの直系尊属であるはずのフェラーリ・デイトナより、なおえげつない。
暴力的、攻撃的、そんなかっこいいものではない。
音量の問題でもなければ機械構造から来る質の問題でもなく、「えも言われず粗暴な爆音」、もうこのようにしか言いようもない、剥き出しのひどい排気音なのである。
おまけにその爆音が出てくる排気管はチバラギのアニキの暴走車のような竹槍になっていて、斜め上に突き出しているのだ。
テールエンドも動画や写真で見るより、ずっと暴走族風につりあがっている。
日本の暴走族のイデアはこれではないのか、そんな気さえしてくる後姿なのである。
前方から見た顔つきもかなりなもので、たぶん、これをデザインした人物は「人喰い鮫」なんぞをイメージしながら絵を描いたのではないだろうか。
ボンネットの盛り上がり方は鮫の背中のようであり、かなり不気味である。
「いかつい」とはまさにこの車のこと、一度この車を見てしまえば、マッチョだとか男臭いだとか、そういう形容を必要とすること自体が女性的、という気がしてしまい、もうあれこれ言う気も失せてしまう。

とにかく、おまえらが海賊の子孫だということだけはわかった

・・・・・・「美的」という要素がほとんどない車なのである。

ま、気が向いたのでこのまま脱線しておくが。
V8はヘロインのような車だ。
最初は、こんな車は絶対に嫌だ、そうとしか思えない。

しかし、忘れることはできない。
二ヶ月三ヶ月、半年一年と過ぎてもまだ覚えていて、なにかの拍子にちょっと思い出し、そわそわしてしまう。
またあの不恰好で滑稽な姿を見物して笑ってやろうか、なんて自嘲気味にひとりごちたり、それだけならよいのだが、何気に、退屈しのぎに、ふと愛車に乗ってあれこれ言い訳をしながらV8のある修理工場やらへそれとなく忍び寄り、遠目にちょっと眺めてしまう――、こうなったらもうおしまいである。
・・・・・・欲しい。
寝ても醒めてもV8のことを考えてしまう。
どうしてこんなものが欲しいのか、自分でもよくわからないのだが。
欲しいものは欲しいとしか言えないその感じ、もう立派な中毒である。

念のために書いておくと、人によらなくてもV8はアストン史上最低の一台、ということになっている。
後年のモデルにはP.O.Wというのがあるわけだが、これはアストンに縁の深いチャールズ皇太子のPrince Of Walesに因んだものである。だが、口の悪い連中によると、これはPrisoner Of War(戦犯)のP.O.Wなのだそうで、性懲りもなくこんなゴミみたいなのばっかり作りやがって、だからいつでもアストンは倒産寸前なんだョ、とのことである。

でも、ボク個人の感想で言えば、もっとひどいのはこれかと思う。



ラゴンダである。
・・・・・・ちょっともう、あれこれ言う気がしない。

ご存知ない方も多かろうから、簡単に説明はしておくけれども、あまりにどうでも良かったのであまり覚えていないのだが、限定何百台とかなんとか、そういう予約生産で、たしか、新車の予約の権利自体が抽選である上、購入する資格があるかどうかの審査まであったかと思う。
お値段は7000万円ぐらいではなかったろうか。
たぶん同じ年代のF40、それからその対抗馬と思しきポルシェの959、このあたりが限定生産で7000万円以上の値段をつけていたかと思うので、きっとそれに合わせたつもりなのだろう。
しかし、F40も959も「キミはそれでどういうレースに出るつもりなのかね」としか言いようもないハイテク・ハイメカ満載、いずれも驚愕の一台としか言えないシロモノで、1台1億円だと言われても、

そりゃそうだろう・・・・・・

としか言えない凄さだった。
959のほうは先進性とテクノロジー一辺倒だからそうでもないだろうが、F40のほうは、もし、フェラーリがアレを再販する、と言ったら、今でも二億円やそこらの値段をつけても一瞬で売り切れるのではないだろうか。

ラゴンダ?
・・・・・・スイッチにMGだかなんだかの、実に庶民的な部品が入っている。
まァ、ラゴンダの話はもういいではないカ。
あんまり書きたくないんだ。

実はボク、コレも好きではあるので。


で、これに乗っている女性も目撃したことがある。


女性はほんとうに得体の知れないものに、信じがたい格好で乗ってしまう。
ジャガーMKⅡなんてあんまり気楽な車でもないかと思うが、そんなものにジーンズとTシャツで乗っていたり、ワーゲンでもビートルではなくタイプⅢ、とくれば男性だったらワゴンに乗りそうなところを、なぜかセダンだ。
安かったのか、たまたま手に入ったのか、それとも単純に気に入ってしまったのか。
そうかと思えば、芸能人かホストのアニキ、あるいはイケナイ趣味の人では、と勘違いしそうなショッキング・ピンクの911に乗っていたり、かなり面白いものに乗る人が結構多い。
彼女らは居住性がそれなりで、自分が気に入れば何でもいいようである。

カワイイ(*´Д`*)

大事なことは要するのそれだけ、アンティークの宝飾品だの古着だのと横一列、なのだろうか?

欲しい

つまりはそういう話であるかと思うが、だとすれば、ある種、徹底した自動車趣味人に通じるところがある、という気がする。
ただ、その根底にあるものは真逆だろう。
男性の場合は、つまりそれそのものへの執着、ということになるわけだが、女性の場合は、

それに乗っているカワイイ私☆

こっちが強いのではないか、とも思う。
これは、下手をすると、嫌味な愛車自慢の団塊老人なんぞと紙一重になりやすいから、ちょっと注意したほうがいいかもしれない。
女性も他人には決して見せないお宝、みたいなものはあったりしないだろうか?
たとえば一人で使うだけに買ったマグカップだとか、ひそかに愛用する骨董品の万年筆であるとか。
そういう感じで旧車を買うというなら、たぶん、女性は男性よりこの趣味が性に合うかもわからない。
なんとなれば、男性はどこまで行っても社会的な生き物であるのに対して、女性はいつでも個人的な生き物、要するに

かわいい私☆

こんな感じなので。
たとえば色だ。
先ほどちょっと書いたショッキングピンクのポルシェと書いたが、あれも実はなかなかカッコイイが、男性だとああいうのは、

恥ずかしい

として、絶対に選ばない。
以前、初老の女性が赤のジャガーXJ・Sに乗っているのを見たことがあるのだが、色はバーガンディ・レッドとのことでえも言われずよい色だった。
XJ・Sのデザインは実はイタリア人なのだ。
だから英国車の癖、妙にイタ車のような色がよく似合うのだナ。
ボクの詳しい英国車でいけば、貴族のやるような車、アストンマーチンやらジャガーやらのスポーツタイプは薄いブルーのメタリック、あるいはゴールド・メタリックというような、日本人にはちょっと信じがたいセンスの色が意外やよく似合う。
そして、日本人男性はこういうのにはなかなか手を出さない、というか乗る勇気がないらしい。
ダーク・グリーンだのガンメタだの、白だの茶色だの、そんなのばっかりを選んでしまう。
とても面白いのに。
しかし、女性はそんなことは一々キニシナイ。

一事が万事このごとくで、自分の好きなもの、カワイイと思うものを素直に手に入れる。
気に入って可愛がって、ただ毎日乗っている。
こういうのを自然にやれる人が多いのも、女性ドライバーの特徴である。

世間が思う以上には・・・・・・旧車趣味と女性の相性はよい、ボクはそう思っているのだが。

仏界入り易く、魔界入り難し。
仏に逢えば仏を殺せ、祖に逢えば祖を殺せ。

これは著名な禅語ではあるが、自動車趣味人の苛烈にして峻厳な運命に通じるものがあると思う。
否、遍く人間の趣味というもの、文化的生活の一切に通じると言っても過言ではない。

もう、どうにでもなってしまえ。

   ◆   ◆ 




ジャガーEタイプのライトウェイトだナ。
こういう車体に乗る人物に、自動車趣味の話題をあれこれ言ってはいけない。
きっと彼は困ったような顔をして、ほどほどな返事をするだけでほかの話題をやりだしてしまうだろう。
ひとつには自慢話のように思われて面倒臭い、というのがある。
だが、彼を寡黙にさせる最大の要因はもっと他のところにある。

傲慢不遜にも書いてしまおう。
きっとこの感覚だけは、やるだけやった奴にしかわからない。
あまりに馬鹿馬鹿しいから、至極具体的に書いてしまうが。
たくさんいろんな車を見てしまい、深い煩悩の淵に落ちてしまうと、
往年のミレ・ミリアの写真を見ては

欲しい

タルガ・フローリオを走ったペッタンコの競技車両を見て

欲しい

ランボルギーニのトラクターを見て

欲しい

ナチスの水陸両用車を見て

欲しい

こんな風になってしまう。

何を見ても欲しいとしか

言いようもないわけで。
・・・・・・頭の中はそれしかない。


そんな奴に向かって、

流麗な60年代の流線型のスタイリングがどう、イタリアの甲高い渇いたエンジンサウンドがこうでああで、やっぱりイタリアの色は赤がどうこう、ドイツの鉄の感触と音は官能としかいえない文明の狂気でうんたらかんたら、フランスのシートの座り心地が云々かんぬん、革とガソリンの混じった匂いと細い革巻きステアリングの向こうに大型の丸いメーターがブリティッシュスタイルのどうたらこうたら、クラフトマンシップの香りのするボディーワークがああでもないこうでもない、このコークボトルラインこそが60年代以降の車体のスポーツカーの原器であるからあれこれ

そんなこと、どうでもいいのだよ
この車がほしいのだよ


考えていることはそれだけなのだ。

ガイシャ童貞みたいな団塊老人の旧車オーナーも、あれこれ話しかけてくる素人さんも、自動車趣味人だからと言って趣味の話をしたら喜ぶだろうという気遣いも、

面倒臭い面倒臭い面倒臭い面倒臭い面倒臭い面倒臭い
面倒臭い面倒臭い面倒臭い面倒臭い面倒臭い面倒臭い
面倒臭い面倒臭い面倒臭い面倒臭い面倒臭い面倒臭い
面倒臭い面倒臭い面倒臭い面倒臭い面倒臭い面倒臭い
嗚呼、あァ、面倒臭い



地球でもっとも進化した生物は昆虫である、という見解があるらしいが、何が進化の極みであると言って、一切無駄なものがついていない、そこが最終形態、ということらしい。
自動車趣味の行き着くところまで行った奴にも多分にそういうところがある。

昆虫は外界と内界をつなぐものは触覚しかない。
自動車人間もそうだ。
「クルマ」=「ほしい」
これでしか繋がっていないのである。
こんな人間に、自分のエサの匂いがしたら触覚がピクリと動くだけ、それでカサカサとそちらへ動き始める、ただそれだけの人間に、排気量がどうだ、サウンドがどうだ、味がどうこう、エンスーだの巨匠のこだわりだの、そんなことは言うだけ無駄なのだ。

行き着くところまで行った奴にとって、自動車というのは

欲しい車と欲しくない車

とがまず存在し、そのうちから

手に入る車と手に入らない車

これだけしかない。
車は語るものなのではなくて、欲しいと思う対象、ただの乗物なのだ。
いや、下手をすると、もう乗ることも考えていない、ただ欲しいだけ、そこまで行くかもわからない。
一年に一回走るかどうかも謎なフェラーリ・デイトナ、アストンマーチンのDB4なんぞがご老人の車庫に車検つきのまま転がっているとすれば、それはもう、そういう意味なのである。
乗ろう、そう思った次の瞬間、修理工場に入れるところから話が始まる、そんな車はザラである。

こういうに人間に向かって、あれこれ車の細かい話をしたところで、それは相手を至極面倒臭い気分にさせるだけなのだ。
そんなに車の話が知りたいなら、あのスノビズム全開のカーグラテレビでも見たらいい、ノスタルジックヒーローでもカーマガジンでもなんでもあるだろう、そんな言い方にしかならない。
自動車は乗るもの、所有するものなのであって、語るものでも見せびらかすものでもないのだから。

むろん、自動車のことを彼らが深々と話し込むことがないわけではない。
だが、その会話はきっとその昆虫並の狂人にしか理解不能だろう。

どんな感じかってか?
たとえばこの動画のEタイプをイギリスから一台引っ張り込んだとしよう。
・・・・・・もう、登録だけエラいことだ。
Eタイプはそもそもレース専用のDタイプの発展形で、どこにバックミラーをつけるか、なんてことはまるで考えてもいないデザインだからナ。
たぶん、バックミラーの話だけで簡単に半日は潰れる。

イギリスではバックミラーなしでも登録できる。
だいたい日本に入ってくるときは何もついておりませんわナ。
でも、それでは登録できないから嫌々つけることになる。

オリジナルのボディに穴を開けるなど言語道断
それはそれは深刻な大問題なのだ。

どこにつける?

使い勝手の問題ならフェンダーだろう、
いやいや、レースカーを公道化したらだいたいドアミラーみたいにする。
なるだけ小さいやつを。
でも、レースカー風だったら運転席側のみでないとダサくないか?
それでは登録できない。
二つなら諦めて古風にフェンダー後部だろう。
フェンダーにしたらチルトカウルの跳ね上げのときの取っ手にもなっていいぞ?
そこからどうなるかと言えば、デイトナだの300SLだの、ディムラー250SPではこうだとか。
何の車にどういうミラーがつけてあるのがカッコイイだの、あのミラーをどうにか流用できないかだの、ドアにするかフェンダーにするか右往左往。
そこからお決まりの

あの車がカッコイイ
この車が欲しい
あれをいくらで買い損ねた
欲しいけど維持できない
維持できるならこれ
ああでもない
こうでもない


こんな感じでコーヒーやら酒なんぞやりながら、いつまでも終わらない。

ところでナンバープレートは

これも深刻だ。
プレートの形状が向こうと日本では違うからナ。
普通につけると美観を損なうかもしれん。
前にもナンバーをつけなくてはいけない、これがもういけない。
また穴を開けなくてはならん。

これだけでまた、一晩ぐらいは当たり前に潰れる。
ほかにざっと思いつくのはシートベルトだろうか。
既得権の問題で、一定以上年式の旧い車体になるとシートベルトがなくてもOKではある。
なしで乗り回しても、一応反則キップは切られないわけだが、一々白バイのおまわりさんに呼び止められて年式のことを訊かれるのも面倒臭い。
第一、安全のことを考えるなら、一応何かベルトらしいものはあったほうがいい。
すると次はこの車のシートの形状からしてどのタイプが似合うのか。
三点式がいいのか四点式にするのか。
いっそ面倒臭いからおまわりさんのお仕事が増えるのを承知でナシのまんまで乗り回すのか?
三点式の何かをどこぞの旧車からかっぱらってくるのもひとつであるし、四点といったってアンティークもあるし、ホンモノのレース用のほうがドスが利いていて面白いかもしんない。

ああでもない、こうでもない、こんな調子で何日も何日もあれこれ悩み、その合間に

あれが欲しい
これが欲しい
もっと欲しい

一事が万事このごとく、やれタイヤ交換だ、足回りの交換だ、純正部品に欠品パーツが出た、その都度その都度、山ほど話が出てきてしまい、やっている本人も、もういい加減、自分で自分が面倒臭くてたまらない。
たまらないのだが、思わずやってしまう
自分で自分に辟易としており、そんな自分を他人に見せる気には到底なれない。
従って、旧い車ってどうなんですか、なんて話題を振られた日には、もう何をどこから話したらいいのか自分でももうさっぱりわからない、そんな感じなのである。
あるいは、

ポルシェとかどう思います?

こんな質問は特にイケナイ。
一瞬でありとあらゆるポルシェのこと、いいこともイケナイことも山ほど思い出し、それから下手をするとポルシェ博士の設計したあの駄作戦車の「マウス」のことまで思い出した挙句、やっぱり何の話をしたらいいのか、まるでわからなくなってしまうのである。

真夜中の森の奥で、無心に樹液にたかっているカブトムシとかクワガタムシとか。
狂人レベルの自動車趣味人というのはそういうのによく似ている。
隣にもう一匹か二匹いるような感じだったりもするが、とまれ目の前の樹液を一緒にナメナメ、ただそれだけ、そんなだと思えばいい。

こんなもん
同好の人間以外に見せられるかよ


というわけで、狂人レベルの自動車趣味人は、往々にして寡黙なのである。


こういう連中が、いかにして相手を自分の同類と認識するか?
これも実は案外簡単であったりはする。

車が好きか、そうでないか

ただそれだけである。
ボクに限った話をすれば、あれこれあれこれ、いろいろ知っている人よりも、である。
口を半開きにして、ひたすら爆音を全身で聞いている小学生のガキのほうが、よほど仲間になれる気がする。
これは白人の、それもイギリス人に多いのだが、あちらのスキモノのご老人はデキた奴が多い。
連中が車を見たらどうなるかって、まず、この世の真実に今気づいてしまった、というような、酷く深刻そうな表情になり、それから見事なブリティッシュ・イングリッシュで、

・・・・・・Oh,good sound.good・・・・・・good。
Good sound!

とかブツブツ呟きながらやってきて、ここだ、という角度、その車体がもっとも美しく見えるところにピタリと張り付いて動かなくなる。
それから思い出したように、年式と仕様のみを訊いて後、おもむろに「一枚撮影してもいいか」、それぐらいである。
あとはひたすら、あっちこっち移動しつつ、ここぞという眺めるポイントを見つけたら、二人で深々頷いてじっと車を眺めているだけだ。

自動車趣味人の付き合いなんてのは、これぐらいだと言えばこれぐらいである。
見栄もハッタリも、体裁も知識も何も必要はない。
別に車を所有している必要すらない。
ミニカーを集めている、実車は買わないけどこの造形が好きだ、それでもいいのである。
自動車趣味人が心を開く相手、というのは、そういうものだと思っておいてくださるといい。

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