№187.H30.12.12投稿 
  
「 心に触れる実感をもって 」
 
私が語り部として
震災の体験談を話すことが出来るのは
亡くなってしまった母と祖母の遺骨と遺体が
私たち家族のもとに帰ってきたからです
 
もし 母と祖母の遺体が行方不明であったなら
震災の体験を話すどころではありません
遺体安置所を探し回った私が
あの時人間の心を失ったように
今でも人の心を無くしたままでいるでしょう
 
皆さんどうか
ご自分の心に問いかけてみてください
 
もし家族が災害で亡くなって
遺体が見つからなかったらどうだろう
 
亡くなった家族が見つかるまで
自分は何を考え 何を想像するのだろうか
 
探していた家族の遺体が見つかって
自分のもとへ帰って来た時どう思うだろう
 
私は母と祖母が亡くなったと聞いたとき
目の当たりにした津波の惨状から
祖母が亡くなったことは理解できたのですが
母が亡くなったことについては
どうしても理解できず
未だに 強い抵抗を持っています
 
母の遺体が自分のもとに帰ってくるまでの間
どういう状況で亡くなったか
母と祖母がいた病院の様子や
海水が病院に入ってきた様子
水に……( ごめんなさい 書けません )
父の名を叫んだか
孫の名前を呼んだか
それとも私の名を呼んでくれたか
そんなことをする隙間すらなかったか
苦しいだろう 辛いだろう 寒いだろう 痛いだろう
 
自分が助かった罪悪感からなのでしょうか
母や祖母の苦しみを
自分も一緒でなければいけないと感じ
その想像は その時この身に起きているかのように
何度も何度も胸や頭や心の中で繰り返されました
今でも その状態に引き込まれることがあります
 
祖母の遺体を目の前にしたときも
母が遺骨で帰って来た時も
 「 帰ってきてくれた 」という
柔らかくて暖かい小さな小さな想いの一方で
もう二度と 話すことも 笑いあうことも
叱ってくれることも 心配してくれることも
そのすべてが 全部 全部 消えてしまいました
 
これまで母と祖母から
知らないうちにもらっていた幸せが
ガラガラと崩れていきました
 
母と祖母は帰ってきてくれても
あれから二度と笑いかけてはくれません
言葉を交わすことも 叱ってくれることも
心配してくれることもありません
 
そして私は二人を目の前にして
「 ありがとう 」も
「 ごめんなさい 」も
「 大好き 」も
伝えることが出来ないことに気づかされました
 
だから大好きな人が生きているうちに
気持ちを伝えなさいということではありません
気持ちを伝えて安心する事が
大切なのではありません
 
伝えなくてもいいから
大好きな人達と
長く深く寄り添って生きられるように
ご自分の心の奥底に触れて欲しいのです
大好きな人の心を
わが身に触れる実感としてとらえて欲しいのです
 
大好きな人達と
ある日突然理解の出来ない別れをしないように
今私達が出来る事がなんであるのか
今であるからこそ出来る事があるはずです
その時になってからでは間に合わないのです
 
大好きな人達が
「 ただいま 」と言って帰ってこれるように
 
例え家を失ったとしても
決して家族が無言で帰ってくるようなことが
あってはならないのです
 
家を出て用事が終われば帰ってくる
毎日当たり前のように繰り返される行動ですが
災害時にその観念はがらりと覆され
生きて再会できることが
当たり前ではないことに気づかされます
 
「 何があっても 必ず生きて再会しようね 」
この約束は 大切な人と生きるための約束です
破ってしまえば言葉にできない痛みに苛まれます
 
そのような思いをせずに
大好きな人達と長く深く寄り添って
優しい時間を過ごしたいものです
 
出来ましたら
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               #語り部佐藤麻紀