August 17, 2018
木材業者として
大昔のことは知らないが
自分の親世代の時には高度成長期で、木材は仕入れできれば飛ぶように売れた
製材所の前で、製材できるのを結束もせずに片っ端から積み込んで、現場に直行していたらしい
世の中がすべて上向き前向き思考で、未来永劫それを疑わなかった
40年代後期のいわゆるオイルショックも、簡単に乗り切ってきた
儲けたお金は、貸しビルやアパート経営・事業拡大など様々な不動産投資をした
顧客の与信管理・・・という概念すらなかった時代は、多少の夜逃げなどあっても吸収できただけの利益率があった
今の時代・・・といっても私が代替わりする前後の約30年前は、バブルが絶頂期から崩壊したあたりでしたが、建築業界にはバブルはなかったので当然崩壊もありませんでした
それどころか、バブル崩壊後も年間160万戸ほど建っていた時代があったのです
そのころのムラモトは、宮大工さんを何組か顧客に持ち、その他有力工務店数社と取引して、売り上げも利益的にも何の心配もない状態だったと思います
取り扱っている材料も「青森ヒバ」「木曽さわら」を中心に、金沢でも高級材の取り扱いが多い材木屋だったのです
ところがある夜、猛烈な不安に襲われたのです
自分の将来を考えていた時でした
ムラモトの今の大事なお客さんは、はたして自分が継いだときにもムラモトのお客さんとしていつまでもついてきてくれるだろうか?と
今のお客さんは親父のお客さんであって、私のお客さんとなることはない・・・なぜならお客さんも代替わりしていくから
はたして代替わりした工務店の息子たちは私についてきてくれるだろうか?
答えはすぐに浮かびました・・・「無理や・・・」と
建築業界そのものは、その当時でも好況感があったと思います
特に木造住宅には、様々な「新建材」「新工法」「フランチャイズ」などで、工務店さんが儲けるためのアイテムが目白押しだったのです
その中でも木材業界は「プレカット旋風」が吹き荒れていた時代の真っただ中
プレカット率が5%ほどから見る見る間に50%を越えてきました
当然うちのお客さんたちもこぞってプレカットへ流れ始めました
また、無垢の造作材が当たり前だったのに、新建材の枠材が飛ぶように売れ始めました
無垢造作材や手刻み材料を主に取り扱っていた当社は、瞬く間に岐路に立たされました
プレカットの仲介業者となるか?
あくまで手刻み材料の納材業者となるか?
その時に私は第3の道を選んだのです
自分の親世代の時には高度成長期で、木材は仕入れできれば飛ぶように売れた
製材所の前で、製材できるのを結束もせずに片っ端から積み込んで、現場に直行していたらしい
世の中がすべて上向き前向き思考で、未来永劫それを疑わなかった
40年代後期のいわゆるオイルショックも、簡単に乗り切ってきた
儲けたお金は、貸しビルやアパート経営・事業拡大など様々な不動産投資をした
顧客の与信管理・・・という概念すらなかった時代は、多少の夜逃げなどあっても吸収できただけの利益率があった
今の時代・・・といっても私が代替わりする前後の約30年前は、バブルが絶頂期から崩壊したあたりでしたが、建築業界にはバブルはなかったので当然崩壊もありませんでした
それどころか、バブル崩壊後も年間160万戸ほど建っていた時代があったのです
そのころのムラモトは、宮大工さんを何組か顧客に持ち、その他有力工務店数社と取引して、売り上げも利益的にも何の心配もない状態だったと思います
取り扱っている材料も「青森ヒバ」「木曽さわら」を中心に、金沢でも高級材の取り扱いが多い材木屋だったのです
ところがある夜、猛烈な不安に襲われたのです
自分の将来を考えていた時でした
ムラモトの今の大事なお客さんは、はたして自分が継いだときにもムラモトのお客さんとしていつまでもついてきてくれるだろうか?と
今のお客さんは親父のお客さんであって、私のお客さんとなることはない・・・なぜならお客さんも代替わりしていくから
はたして代替わりした工務店の息子たちは私についてきてくれるだろうか?
答えはすぐに浮かびました・・・「無理や・・・」と
建築業界そのものは、その当時でも好況感があったと思います
特に木造住宅には、様々な「新建材」「新工法」「フランチャイズ」などで、工務店さんが儲けるためのアイテムが目白押しだったのです
その中でも木材業界は「プレカット旋風」が吹き荒れていた時代の真っただ中
プレカット率が5%ほどから見る見る間に50%を越えてきました
当然うちのお客さんたちもこぞってプレカットへ流れ始めました
また、無垢の造作材が当たり前だったのに、新建材の枠材が飛ぶように売れ始めました
無垢造作材や手刻み材料を主に取り扱っていた当社は、瞬く間に岐路に立たされました
プレカットの仲介業者となるか?
あくまで手刻み材料の納材業者となるか?
その時に私は第3の道を選んだのです