週刊 #今川氏真 詠草&#おんな城主直虎 の不都合な真実 Vol.26 5月20日号
(2020/05/11-05/20)
今宵も『おんな城主直虎』第25話「材木を抱いて飛べ」のお話をば。
井伊谷の材木が売れました。気賀の商人中村与太夫を通じて成川屋が買い入れたそうです。直虎、子供たちも使って材木に「井」の字の焼き印を入れます。政次との囲碁勝負で負けた虎松は動こうとしませんが、直虎が一番多く印を入れた子に褒美をあげるというと、腰をあげます。
虎松、直虎の薬が効きすぎて、負けず嫌いで何でも一番になりたがるようになったそうです。
史実の虎松=井伊直政が家康に仕えるまで龍潭寺にいたのか、直虎とどのくらい関わったのか、不明です。
大石泰史さんは『井伊氏サバイバル五百年』(218~219頁)で虎松が父直親死後龍潭寺を経て三河鳳来寺に移ったという『井伊家伝記』の記述に触れつつ、新野家出身の珠源がいた浄土寺(浜松周辺?)を経て鳳来寺に移ったという『寛永諸家系図伝』の説を採用しています。
虎松が龍潭寺にどのくらい関わったのか、井伊直盛娘が虎松にどのように関わったのか、確証できる史料はありませんが、ドラマとしてはは、『井伊家伝記』ベースで直虎が虎松を育んだとしないと面白くなりません(^^)
材木は気賀まで運び出されますが、直虎、気賀までやって来て、男たちに混じって嬉々として作業に首を突っ込みます。
直虎に会った中村与太夫は、龍雲党は井伊谷から戻った後、よろづ屋をしてかたぎ?に暮らしていると伝えます。複雑な表情の直虎。
南渓和尚の部屋での政次との囲碁で、直虎は材木売却の話を。政次は氏真が気賀に城を築こうとしていると報告します。
これは堀川「新城」のことで、この頃家康の遠江侵攻に備えて氏真が築かせたもので、井伊谷徳政関連文書に登場します。
徳政実施を求める祝田の農民と、徳政免除を求める銭主瀬戸方久の間で、氏真の甘心を得ようとして、新城築城への協力合戦みたいな事が起こったようです。祝田農民側の匂坂直興は徳政実施のため弾薬購入を蜂前神社の祝田禰宜に提案し、瀬戸方久は「根小屋蔵取立」で氏真から徳政免除のお墨付きを得ています。
堀川城は、このドラマでとてもよく使われています。それはまた後日。
直虎が村の女たちが染め上げた綿布を見ていると、政次に連れられて関口氏経が井伊家の屋敷に。井伊家が材木を売った成川屋は徳川方の間者で、材木は三河に流れる、氏真は直虎の申し開きを求めているので、駿府に来るよう申し渡します。
家臣たちは直親の二の舞になると懸念しますが、直虎はあっさりと受諾。その夜、直虎は南渓和尚の部屋で一人碁を打ちます。しかし、一人じゃない。同じ頃、政次も屋敷で一人碁を打ちます。テレパシー囲碁の始まりですね(^^)
テレパシー囲碁、物語が進むにつれて、安っぽい恋愛ドラマよりも遥かに艶っぽいシーンになります(^^)
しかし、なつに背後から抱きしめられて、政次の一人囲碁は中断。なつは自分が直虎への使いになるとささやきますが、政次はその必要はないと答えます。
なつの献身が切ないです。
翌朝、直虎が直之と駿府に旅立とうとすると、政次と関口氏経らが待ち構えていて、同行します。
同日夜、一行は寺に泊まりますが、政次は直之から直虎が発熱したと伝えられ、病床を訪ねます。
直之に水をくむよう命じて政次と二人きりになった直虎、自ら毒を飲んで時間稼ぎをしようとしている、と正直に告げます。
直虎、もはや政次への信頼を隠しません。
熱に苦しむその直虎の頬に触れる政次。「俺の手は冷たかろう」とささやきます。
伝説の?「冷た家老」ですwww
しかし、これも名シーンですね(^^)
繊細な人は手に汗をかくので手が冷たい、という話から政次の繊細さを想像します。政次が自ら「俺の手は冷たかろう」という所に、井伊家と直虎のために冷酷と言えるほど必死に考え行動してきた政次の苦悩と自責の念が感じられ、切ないです。
直虎は政次を「鬼目付」と呼びますが、「昔から誰よりも冷たい」と言いつつ、政次への理解を示しています。
それがしは井伊谷徳政文書から、井伊次郎=直盛娘と小野但馬との信頼関係があったと考えているので、かなりぐっときました。
次の場面は洋上の船。六左衛門が龍雲党の船に乗っています。
直虎は、六左衛門に、龍雲丸の助力で三河に向かう材木を洋上で差し押さえるよう頼んだんですね。
船上では、なぜかゴクウが柱にくくりつけられてます。柱にくくりつけておくと、なぜかいい風が吹くそうです。
両腕を広げて風を迎えるゴクウ。タイタニックか!?!?!?wwwwww
しかし、ここで重大な伏線。ゴクウの名前の由来は人身御供のゴクウだったんですね(;´д⊂)
これは龍雲党の運命にも関係します。
我々は、後に龍雲党や龍雲丸が適当な架空キャラではなかったことを知る事になります。
龍雲党は、見事成川屋の船を捕らえ、材木を差し押さえます。
駿府では、直虎と今川氏真が二十年ぶりの再会です。「鞠では落着せぬ」と冷ややかな氏真ぼったまに対し、直虎は涙をこらえつつ、今川に尽くしてきた、と切々と訴えます。
そこに龍雲党が差し押さえた大量の材木が到着!直虎は申し開きに成功します。
以上、第二十五話、「材木を抱いて飛べ」のあらすじでした。直虎が材木伐採や売買に関与した史料もないので、今回も脚本森下さんの創作です。
しかし、史料の間隙を埋めつつ、小野但馬と直虎との関係、関口氏経の導入、架空キャラ龍雲党登場の意味付けなど、歴史ファンとしてとても面白い回でした!
今宵はここまでにしとうございます。以下は過去ツイート再掲です。
今川義元公命日ツイートもありますよ!
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今日は島田市博物館置塩家文書から氏真さんの一首を。
祝言
水上の清き世なれやなかれての末の身まてもすみよかるらん(島―6)
島田市博物館『女戦国大名寿桂尼と今川氏』では天正五年(1577)と推定されているが、サガラには異説あり(続
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ
牧野(諏訪原)城付近で見つかり「仏名」(島―3、4)の二首が出家者にふさわしいため氏真が牧野城を離任した(サガラは「解任」とは考えない)天正五年と推定したようだが、「深雪」(島―2)は「詠草中」(6―549)と一致(続
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ
「詠草中」の「深雪」(6―549)は冷泉家月次歌会と同一の題が登場する前の位置にあり、冷泉家歌会は慶長八年(1603)五月に始まっている。となると、氏真が慶長八年(1603)前半に島田市周辺を訪れた可能性も否定できない(続
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ
そう考えると、「祝言」の歌は家康の将軍就任をことほいだ可能性がある!
「水上の清き世」は清和源氏による清き世を願ったのでは?ちなみに愛宕百韻では威徳院行祐が脇句(第二句)で「水上まさる庭のまつ山」と詠んでいる(続
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ
サガラはこれを大坂にいる丹羽の軍勢にも水上、すなわち源氏の光秀が勝つでしょう、と信長打倒を決意した光秀に賛同したと解釈した。
以上。今日も氏真詠草研究で新たな発見があった。幸せ(^^)
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ
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義元公命日に氏真さんの二首を。
懐旧 述懐 十九日近□(虫損)に
三十過みしやうつゝかと斗を枕はしるや夏のよの月(草―95)
こちらは天正十九年(1591)の一首。三十余年過ぎても義元死後の転変を信じられない思いを詠んだ(続
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ
懐旧こゝろさす事有て 五月十九日
五月雨のふる事かたるともゝなし心してなけ山ほとゝきす(6―688)
次の一首(6―689)から義元五十回忌の慶長十四年(1609)と分かるが、すぐ後に「みな月の」の物騒な一首(6―690)が続く。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ
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今日も氏真さんの一首を。
寄風恋
塵ならぬ名に立もうし行すりの袖引とむるよその追かせ(4―75)
天正十五年(1587)玄旨(細川幽斎)と紹巴(里村)の和した百首の一。行きずりの女性に心ひかれて悩むという趣。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ
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おっと!「#麒麟がくる」と言ったのは光秀の父ちゃん光綱だったか!
これで駒ちゃんは妹分。
お妻木となって、本能寺の変前年に亡くなって、光秀と信長の関係悪化につなげるかな!?
要チェック!
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今日も氏真さんの一首を。
五月雨
沼水のうらこすのみか五月雨はきてもかはかぬ磯か菅笠(4―28)
天正十五年(1587)五月、玄旨(細川幽斎)と里村紹巴の百首に和した一首。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ
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他も微妙なのwがあるけど、戦闘力がザビエル!?
ザビエーール!www
髪型には親しみを感じるwww
嵯峨良蒼樹を戦国武将にすると、顔は島津義弘、政治力は武田勝頼、作戦能力は足利義昭、戦闘力はザビエル、人徳は島津義久、野望は吉川元春
#shindanmaker
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今日も氏真さんの一首を。
春の夜は思ひやりつる庭の面の若葉に霞む月の涼しさ(1―325)再掲
五月十五日三州牛久保打着
天正三年(1575)。家康は永禄四年(1561)四月に逆心して牛久保城を攻めた。氏真の胸中は複雑だったのでは?
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ
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今日も氏真さんの一首を。
古郷
哀とも岩木はしらし立離れ猶故郷にかよふこゝろを(3―91)
天正六年(1578)?この歌は後にかなり手を入れて改作している(続
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ
手を入れた後の一首がこちら。
古郷
哀ともしるや岩木は故郷に立離れたる跡の余波を(3―91改)
この他にも氏真はかなり時期を空けて十数首を改作している。氏真は自分の歌を大事に保管し読み返していたと分かる。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ
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天正三年(1575)氏真ぼったま初上洛で光秀と会うのか、里村紹巴がどう絡むか、氏真さんが紹巴絡みで出るのか、楽しみです(^^)
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ
#今川氏真
#今川復権
#麒麟がくる
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吉報です(^^)
静岡新聞 @shizushin
Web静新: げんこつハンバーグ「さわやか」 5月21日から順次営業再開 http://www.at-s.com/news/article/economy/shizuoka/765706.html … #静岡新聞
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今日も氏真さんの一首を。
寄草恋
心とは茂らさりけり思ひくさ忍そ(や)種をまき始ける(むらん)(3ー74)
天正六年(1578)?忍ぶ気持ちが種をまくという。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ
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とても面白い掌編ですのでオススメ(^^)
#今川復権
#今川氏真
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今日も氏真さんの一首を。
祈逢恋
つれなくは消ねと神に祈る身を残すや今日の契なるらん(2―78)
天正五年(1577)?氏真四十歳だが、なかなか情熱的な恋の歌を詠んでいた。
#今川氏真
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RT
歴史が好き 🍀 @naruseyanoken1
秀吉最後の城、京都で見つかる 「今世紀最大の発見」(朝日新聞デジタル)
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www(イチゴジャム)
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今日も氏真さんの一首を。
都にて聞し初音は春なれと五月も稀に聞時鳥(1―323)
天正三年(1575)五月上旬。三月二十三日に都で聞いたホトトギスの初音を懐かしみつつも、対武田戦に備えていたはずだ。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ
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嵯峨良蒼樹は諸葛亮。ルールを破るものは友人であっても処罰する厳格な性格。何でも自分でできてしまうが故、人に任せることができず全部自分でやろうとする人。冷徹に見えて隠れて泣いている。
#あなたを三国志武将に例えると
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家康の駿府城のための石切場だそうです。
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www
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楽しみです。
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#今川氏真! #今川復権 はいずこへ?www
#お亀堂 は賛成(^^)
#あなたが政治に求めることを当てる
・本能寺の変保護区設置
・電子書籍系の減税
・おんな城主直虎ジャパン推進
・新型コロナウイルスによる外交
・亀堂を主要産業に
・端午の節句重視政策
・回転寿司の義務化
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週刊 #今川氏真 詠草&#おんな城主直虎 の不都合な真実 Vol.26 5月20日号
(2020/05/11-05/20)