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アルベルト・カスティリオニ神父 5、最後の手術

2018-11-14 06:31:14 | シュステル枢機卿
『シュステル枢機卿 - 模範的な司牧者』カスティリオニ神父・デルコル神父共著

★2、興味ぶかい事件 アルベルト・カスティリオニ神父

◆5、最後の手術

 その頃スイスのルガノ市にいたわたしを、「ルガノ市の民」という名の新聞の編集長ビスコッサ氏が招待しました。なん年か前にかれが来日して、別府に来たとき、教会にとめてあげたお礼のためでした。

 でも、かれの家に着くと、わたしは突然気分が悪くなりました、すぐ、かれの友人の医者がよばれました6医者は、わたしの血液に、もうほとんど、ヘモグロビン(赤血球の色素)がなくなりかけているといいます。

 わたしは注射してもらい、入院するため、大いそぎで家に自動車で運ばれたのです。病人なのに動きまわったわたしに、弟は怒っていいました。「おまえが、自分の健康を自分で面倒みないのなら、わたしが面倒をみてやる。あしたは、きっと、レニャーノ病院に行ってガンデリー二先生に話をつけてくるからな」と。

 こうして、ついに10月のはじめにわたしは、レニャーノ市の病院に入院することになりました。

 ずっと後に、弟を通じてわかったことですが、この病院の院長ガンデリー二先生は、診察の感想を驚いて弟に話し、こういったのです、

「不思議ですなあ、カピタニオ病院に一か月も入院なさっていたというのに、どうして、あの腫瘍に気付かなかったのでしょう?手で触ってもすぐわかるほどなのに!」と。

 そして、ある朝、巡回診察に来られた先生が、思いあまった様子でいいました、

「あのー、神父さま、あらゆる手をつくして検査してみたのですが、どうも解決の糸口がつかめません。こうなったら、最後の手段に訴えるしか道はないようです。つまり切ってみる他はないということになりますね」。

 わたしは、少しもためらわずに、すぐ答えました、

「もう何回も切ったのですから、あと一回切ったからといって、どうということはありません。どうぞお願いします」と。

 これは、あとで知ったのですが、手術室に運びこまれたわたしのまわりには、ずいぶんたくさんの人が息をころして見守っていたのです。つまり、メスをとるパストーリ先生の他に.ガンデリー二先生、外科の院長ピッチオー二先生、それから、特別な許しを得た同病院つきのチャプレンであるヨハネ・レポッシー二神父さまです。

 一秒一秒が、音をたてて過ぎ去るような緊張した長い時間がたってから、やっと手術が終わりました。先生は、わたしに、「すべて、うまくいきましたよ」といったものの、その表情は暗かったのです。その理由を手術室を出た弟はきかねばなりませんでした。それで、あとで、その時のことを弟はわたしに告げたのですが、手術室を出た弟のまわりに、暗い表情で額を集めたのは、ガンデリー二先生、ピッチオー二先生、それに、ヴィットリーノ・クレスピさんと、チャプレンのレポッシー二神父さまがいたかもわかりません。

 医者たちは、当惑したように弟にいいました、「お気の毒です、腫瘍は悪性です、それも、手おくれで、もう、ああなったら手のつけようもありません。まあ、長くもってここ2~3日でしょう。しかし、悪くすると、時間の問題かも分りません」と。

 弟は、悲しみを耐えようと、じっと唇をかみました。


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