出逢いはスローモーション (7)
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これまでのお話
出逢いはスローモーション (1)
出逢いはスローモーション (2)
出逢いはスローモーション (3)
出逢いはスローモーション (4)
出逢いはスローモーション (5)
出逢いはスローモーション (6)
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"やばい、バスに間に合わねええ!!"
と、平日の朝からバタバタ家を飛び出すと、マンション入口の郵便受けの下に荷物が届いているのが目に入った。
日本菓子か何かの段ボールだったので、すぐにうちの実家の母から送られてきたものだとわかる。
"えーと、荷物を抱えて、一度家にも戻ろうかすら、あるいはこのまま、夜、会社から戻ってくるまでここに置いておこうかすら"
と数秒考えたが、ここに放置しておいて万が一誰かに盗まれでもしたら(だれも日本語で書かれた訳の分からぬ段ボールなどもっていかないだろうが)、とバスはやりすごすことにして、荷物を抱えて家に戻ることにした。
次のバスのスケジュールを携帯で確認すると、まだ時間があるので、その段ボールを開けて中身をみてみることにする。
箱の中にはいつものように、粉末状の緑茶やら薄焼き煎餅やらフリーズドライの味噌汁やら鎌倉名物の鳩サブレーやらが詰められていた。
"こうやってわざわざ日本からアメリカまで荷物を送ってもらえるのも、母ちゃんが元気でいてくれる間。永遠に続くものじゃないのよね・・・”
としみじみその有難さに感謝していると、
煎餅やらなにやらに混じって、小さい紙袋が2つ入っているのに気が付いた。
その小さな紙袋には、それぞれ「弘明寺」とかかれたお守りが入っていたのだったー。
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1年前の冬。
久しぶりにクリスマスに日本に帰った。
実家で数日過ごしたあと、大阪、奈良、高野山、東京と旅行したのであるが、大阪からはN君が合流し、十数年前にN君が英語教師として住んでいた奈良の村などを一緒に訪れたりしたのである。
アメリカに戻る前には、新宿の天ぷら屋で妹夫婦にN君を紹介したのだが、妹夫婦も普通に接してくれて、安堵したのを今もよく覚えている。
その翌日、アメリカに戻るべく羽田空港へN君と向かっていると、両親がいつものように空港まで見送りに来るというではないの!
さて、N君のことをどう紹介しようか・・・、と空港についてからも、ロビーをふらふら歩きながら考えあぐねていると、見覚えのある背の低い老夫婦の後ろ姿が。
「あら、あんた! もう着いてたの!」
と自分とN君に気づき駆け寄ってきたのは、我が母であった。
「えっと、あ、アメリカ人のN君です」
と突然のことに、訳の分からぬ紹介をしてしまう自分、
すると母は、
「いつも息子がお世話になってます」
と普通にN君に日本語で話しかけている。
思わずぽかーんとする自分だったのだが、どうやら、妹がすでに母にある程度話をしておいてくれたようなのだった。
別れ際、
「ほら、いつもの弘明寺のお守り、買っておいたの渡したかったのよ~!」
と母はごそごそと地元のお寺さんのお守りを手提げから取り出し自分に手渡す。
そしてそれと同時に、
「ほれ、こっちはN君の分!」
とN君にも同じお守りを手渡してくれたのだった。
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それから1年がたち、決して宗教を信じる家ではないのに、今でも「お守りは1年に一度とりかえるもの」と信じる母から、こうやってまた二人分のお守りが送られてきたのであった。
段ボールに紛れて一緒に入っていた母からの手紙には、
「弘明寺にお守り受けに行ってきたよ~。来年用! 今年のと取り替えてネ。ご加護があるように頼んできたからネ。でも、クリスマスにお守りってどうなのかね? まあいっか。お互い元気で暮らそう。N君にもよろしくネ。」
と書かれていて、これから会社に出勤だというのに、思わず涙する自分だったのだ。
続く
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"やばい、バスに間に合わねええ!!"
と、平日の朝からバタバタ家を飛び出すと、マンション入口の郵便受けの下に荷物が届いているのが目に入った。
日本菓子か何かの段ボールだったので、すぐにうちの実家の母から送られてきたものだとわかる。
"えーと、荷物を抱えて、一度家にも戻ろうかすら、あるいはこのまま、夜、会社から戻ってくるまでここに置いておこうかすら"
と数秒考えたが、ここに放置しておいて万が一誰かに盗まれでもしたら(だれも日本語で書かれた訳の分からぬ段ボールなどもっていかないだろうが)、とバスはやりすごすことにして、荷物を抱えて家に戻ることにした。
次のバスのスケジュールを携帯で確認すると、まだ時間があるので、その段ボールを開けて中身をみてみることにする。
箱の中にはいつものように、粉末状の緑茶やら薄焼き煎餅やらフリーズドライの味噌汁やら鎌倉名物の鳩サブレーやらが詰められていた。
"こうやってわざわざ日本からアメリカまで荷物を送ってもらえるのも、母ちゃんが元気でいてくれる間。永遠に続くものじゃないのよね・・・”
としみじみその有難さに感謝していると、
煎餅やらなにやらに混じって、小さい紙袋が2つ入っているのに気が付いた。
その小さな紙袋には、それぞれ「弘明寺」とかかれたお守りが入っていたのだったー。
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1年前の冬。
久しぶりにクリスマスに日本に帰った。
実家で数日過ごしたあと、大阪、奈良、高野山、東京と旅行したのであるが、大阪からはN君が合流し、十数年前にN君が英語教師として住んでいた奈良の村などを一緒に訪れたりしたのである。
アメリカに戻る前には、新宿の天ぷら屋で妹夫婦にN君を紹介したのだが、妹夫婦も普通に接してくれて、安堵したのを今もよく覚えている。
その翌日、アメリカに戻るべく羽田空港へN君と向かっていると、両親がいつものように空港まで見送りに来るというではないの!
さて、N君のことをどう紹介しようか・・・、と空港についてからも、ロビーをふらふら歩きながら考えあぐねていると、見覚えのある背の低い老夫婦の後ろ姿が。
「あら、あんた! もう着いてたの!」
と自分とN君に気づき駆け寄ってきたのは、我が母であった。
「えっと、あ、アメリカ人のN君です」
と突然のことに、訳の分からぬ紹介をしてしまう自分、
すると母は、
「いつも息子がお世話になってます」
と普通にN君に日本語で話しかけている。
思わずぽかーんとする自分だったのだが、どうやら、妹がすでに母にある程度話をしておいてくれたようなのだった。
別れ際、
「ほら、いつもの弘明寺のお守り、買っておいたの渡したかったのよ~!」
と母はごそごそと地元のお寺さんのお守りを手提げから取り出し自分に手渡す。
そしてそれと同時に、
「ほれ、こっちはN君の分!」
とN君にも同じお守りを手渡してくれたのだった。
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それから1年がたち、決して宗教を信じる家ではないのに、今でも「お守りは1年に一度とりかえるもの」と信じる母から、こうやってまた二人分のお守りが送られてきたのであった。
段ボールに紛れて一緒に入っていた母からの手紙には、
「弘明寺にお守り受けに行ってきたよ~。来年用! 今年のと取り替えてネ。ご加護があるように頼んできたからネ。でも、クリスマスにお守りってどうなのかね? まあいっか。お互い元気で暮らそう。N君にもよろしくネ。」
と書かれていて、これから会社に出勤だというのに、思わず涙する自分だったのだ。
コメント
ほんとうにちょっとしたものだらけの贈り物なのですが、ありがたいものですね。ちょうど仕事やら何やらで心が弱っているときに毎回届くので、親というのは子の心が遠くても分かるものなのか、と本気で考えたりしました。JapanSFOさんが、こうやって異国で頑張っているのも、お母さまは見守ってくれていると思いますよ!
2019年もJapanSFOさんご家族にとって、よい1年になりますように!