ふっと感じた、犯罪被害者の気持ち | 戦国好きのアドリブ雑記帳

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戦国ネタ(話)が多いですが、基本は感じたこと雑記した内容です・・はい。

今朝、駅のホームにて電車を待っていた際のことです。
 
私は、電車がホームに来るのを待つ列に並んでいました。
 
その列は少し長くなっていた為に、ホーム上を縦に歩いて階段に向う人には、邪魔な形になっていました。
 
そんな状況で横から歩いて来た人から、不意に「すみません」と、声をかけられたのです。
 
私はその声に、相手が 「列の向うへ行きたいのだ」 ということが理解できるのに、数秒かかってしまいましたが、その声に反応して少し列からずれて、通行する人にスペースを作りました。
 
実は 「すみません」 と、声をかけられた時の私は少し考え事をしていて、一瞬ですがハッとした感覚にとらわれていたのです。
 
その後、直ぐに電車に乗る為の列が、ホームを通行する人の邪魔になっていると理解して、通り道を作りました。
 
この時は、よくある駅のホームでの日常的な出来事だと捉えていて、特段に何かを感じる事も無く、終わりました。
 
その後に何気にスマホを見ていて、偶々以前に起きた
 
『JR東海道新幹線内での、男女3人を殺傷した殺人事件』
 
の内容を目にして
「あ~、あの誰でも良いからと、電車内で数人をナイフで刺して、助けに入った男性もメッタ刺しにし殺してしまった事件」
かと、思い出しながらスマホの記事を読みました。
 
この事件の記事を読みながら、ふっと感じたのが・・
突然に、見ず知らずの人から刃物で刺されてしまい、それでも生きのびる事の出来た被害者の気持ち・・
そんな事を考えている自分がいました。
 
きっとトラウマになり 「人と接する事が恐くて仕方ない」 そんな精神状態に、なってしまうのだろうな?
 
そんな事を考えると、今朝の電車に乗る際の駅での出来事のように、何でも無い日常での、他人から 「すみません」 と声をかけらる事だけで、心臓が止まる程の恐怖を感じてしまう事が、容易に想像できて本当に被害者の方達の辛さに、胸が苦しくなりました。
 
こうした事件の被害者になってしまった方達の、トラウマに対するケアや、犯人に対する法的な刑罰の在り方を、真剣に考すにはいられません。
 
『JR東海道新幹線内の殺人事件』
 
の犯人は、何の反省もせずに動機を 「無期懲役になり刑務所で一生を過ごしたい為」 と語り、実際に事件を起こしました。
 
そして裁判の結果も、死刑判決では無くて無期懲役になり、その判決を聴いた犯人は、その場で万歳をしたと言います。
 
何の罪も無い人を殺したり、トラウマが残る恐怖のどん底に人を突き落としておいて、自身はのうのうと刑務所内で一生を過ごす。
 
しかも、精神疾患があるだろうとは思いますが、それが犯人の狙いだったのですから、司法の判決には到底納得が行きません。
 
これとは少し違いますが、以前に書いた小金井刺傷事件  詳しくは コチラ では、一人の女性をメッタ刺しにしたにも関わらず、懲役14年という判決でした。
 
こちらの事件も、裁判の途中で大声を出す等の、寄行に出て反省の感情は、ほぼ見られ無い中での判決です。
 
こちらの事件は、たった14年で一人の女性をストーカーして数十回も刺した犯人が、世間に出て来ると言う判決です。
 
被害者の奇跡的に生き延びた女性は、たった14年後には、犯人が出所して自分と同じ社会にいる事になるという、この恐怖を判決から感じています。
 
私は普通に生活の中で、人と接するだけでまた殺されるかも?
 
という恐怖を、他人に植え付けておいて、反省がみられない人物でも、被害者の意志に反する刑罰しか与えられない司法に疑問を感じてしまいます。
 
また、被害者の心のケアと、社会生活への復帰と援助についても、自治体・警察・医療機関・弁護士会や法テラスという具合いに、各機関が個別になっていて、しかも被害者自身からおもむいた上で、そこから複雑な手続きを要しているのが現状です。
 
犯罪被害にあってしまった方の中には、普通に生活していて
『側に人がいるだけで、恐怖を感じる』
という感情が起こる。
 
こんな事に、今朝の通勤時の些細な出来事と、偶々スマホで目にした過去の無差別殺人事件の詳細から、思いを巡らせているマサ村田です。