悩める子育て

幼児から中学受験→難関校からの大学受験、その先を考える

正しさを信じることに対する違和感

少し前の話だが、オウム真理教の死刑囚たちの死刑がまとめて執行された。
死刑制度の是非や、まとめての執行についても思うところがないわけではないが、何と言っても気になるのは、なぜ信者たちは、麻原彰晃を信奉したのかということ。

死刑囚となった信者たちは、高学歴の若者が多かった。

なんとなく、わからなくないのだ。

 

以下は私の勝手な考えに過ぎない。
彼らは色々なことに興味関心を持ち、読書や勉強で得た知識も多いだろう。
それが自信になる。挫折が少なければ、万能感を持つかもしれない。
社会の矛盾に疑問を持ち、自分が変えてやるという思いを持つようになる。
言葉巧みな勧誘者の罠にはまり、万能であるはずの自分が論破を諦めた時、万能だったはずの自分を超えた存在として、指導者を崇めるのはそう難しくないような気がする。

 

若者は、正しいことが好きだ。正しくあろうと行動する場合も、逆に敢えてそこを外して非行に走る場合も、「正しいこと」という答えはどこかにあると思ってはいないか。

 

そして、正しいことを守るためには、正しくないことを糾弾しても良い、と考える。

極めれば、間違った世の中を変えるために殺人も厭わないと考えるようになる。

 

正しいことが好きなのは、若者に限らないかもしれない。
少し道を外した人やルールを破った人に、世間はとても厳しい。
悪いことをした人には何をしてもよいと考えている人もいるだろう。マスコミのバッシングには違和感を覚える。

 

嘘はついてはいけない。人に迷惑をかけてはいけない。先生には従わなくてはいけない。小中学校や家で「〜でなくてはいけない」と言うのが、一番メインの教育のような気がする。
  

昔と比べてどうなのか、調べたわけじゃないけれど、正しくない人を糾弾することはあまり責められないみたいなので、人はますます自分の正しさを信じるのではないか。

 

物事なんて大抵立場によって良し悪しも変わってしまう。
そこを考え始めると、自信を持って自分の意見を押し通すなんてことはなかなかできなくなる。
だけど、一部自分とは違う立場・事情を想像できない、想像しない人がいる。

 

子どもを育てるにあたり、その辺の想像力は身につけてほしいと思う。
そして頭でっかちに自分があらゆることをわかっているなんて思わないように。

親ができるのはそういうことかな、と思う。

 

自分が強くて解決できる問題でも、そうできない人がいること。
一見良くないと思われる制度でも、別の立場から見れば必要であること。

 その人には私に見えない事情や歴史がある。そう思えば安易に決めつけることが怖くなる。

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微妙に内容は異なるが、子どもに伝えたいことを思い起こさせてくれたのは、こちらの記事より。

www.amenochi-hare.com

どちらが悪いか、正しいか正しくないかで物事の決着をつけがちだ。
だけど、実際は答えなんて出ないことも多い。そんな時はスルーしていく。
共感しなくてもいい。自分を持ったまま、やり過ごす。

価値観は人の数だけある。自分が世界を変えるなんておこがましい。
だから何もしないということではない。

ただ、自分の「正しい」が万人に「正しい」わけではないことも多い。
戦争においては人殺しさえ正義となりうる。
それは間違いだとは言いたいが。

 

 

vt-maguna.hatenablog.com

↑一年前。この頃に比べれば息子も少しは聞く耳持った。