こんにちは。今日は、少し憲法の話をしてみたいと思います。憲法というのは、そもそも、国家権力に対して暴走をしないように定めたもので、普通の法律とは意味合いが違います。

 

ところで、一昔前に、こんな話がありました。甲子園で活躍した高校球児が、どうしても彼がファンの球団に入りたかったのに、ドラフト会議で他の球団に指名されました。

 

ここで、よく言われたのが、憲法22条に記載されている、「職業選択の自由」を使って「ドラフト会議が、高校球児の職業選択の自由を奪った、したがって、ドラフト会議は憲法違反だ!」という議論も巻き起こりました。(まぁ、一部の人たちですが)

 

私も、当時は子供で、「そうなのかもしれない」と思っていましたが、憲法が個々の国民の行動原理を縛るものではない、と分かれば、意味のない議論だとすぐに理解できました。

 

そもそも、22条には、職業選択以外にも、居住移転や国籍離脱の自由を唱えています。これは、国家が、国民一人一人の自由を奪うような権力を行使したり、そのような法律を作ることを禁止しているのです。

 

それでも、「ドラフト会議が就職先を自由に選べない」という人もいるでしょう。しかし、自分が好きなところに勤められないと、職業選択の権利が奪われるということが社会的に通じると、逆に公正性が失われます。

 

簡単に言えば、ある人が、「僕は電子機器に興味があるので、ぜひSONYに就職したい!」と思っていたとします。しかし、めぐり合わせが悪く、別の電気関連の企業に就職することになりました。それでも、SONYに勤めたいからと言って、職業選択の自由がないから憲法違反だと訴えるとなると、常識的におかしなことが起きますよね。

 

ところで、憲法には、いわゆる、「国民の三大義務」というのがあります。26条第2項は、教育の義務、27条は勤労の義務、30条では、納税の義務です。

 

でも、少しおかしいですよね。本来、憲法は国家に対する縛りなので、これは、国民ではなく国家の義務であるべきです。では、国民ではなく「国家の三大義務」として、再解釈してみましょう。

 

まず、教育の義務に関してですが、国家は国民の教育を受ける権利を保障しなければなりません。どういう意味かと言いますと、国民一人一人が教育を選択でき、いじめを回避できるように、学校を変える自由や、家で学習して、中学までの教育を習得したとされる試験を適切な価格で受けられる、など、いろいろな問題点を解決できるように国家は、場合によって法律や規制緩和をしていかないといけません。もちろん、国家がすべてを追うのは大きな負担なので、NPOや民間なども協力できるようにアレンジできれば良いのです。いずれにせよ、国民の教育を受ける権利を奪わないようにするということです。

 

勤労に関しても、国民の権利として労働の機会を平等、公正に保つ義務が国家にあります。基本的な斡旋や、職業訓練はすでにやっているので、良いのですが、やはり、経済構造や社会構造などを考えて、あまり極端な格差を職業間で作らないようにするなど、国民の働く権利を守るという意味で、国家に責任があるとしても良いでしょう。

 

また、納税に関しても、国民が公正に収められること、また、その税金が正しく使われているか、積極的に公表したり、透明化をすすめ、納税する権利を公平にできるようにするように認識すべきです。

 

もちろん、上に書いてあることは、当たり前なことで、現在でもやってはいるのですが、憲法に記述していることから、もっと、国家に義務感を持って、国民の権利を意識して、この項目を考えてほしいものです。

 

ただ、注意してほしいのは、国家が国民に対して全部やってあげる、というのではなく、国家が国民の良心に基づいた権利を奪うことのないように我々も意識するというのが、本来の憲法の役割であるということを理解したいものです。