真の家庭と家庭盟誓 ⑭ - 4 家庭盟誓第二節の解説 3.家庭では孝子,国家では忠臣,世界では聖人,天宙では聖子の道理を完成 (2) 聖人と聖子の違い

2018年12月15日 06時40分27秒 | 真の家庭と家庭盟誓

 真の家庭と家庭盟誓 ⑭ - 4

 第二章 家庭盟誓の各節の解説

 二 家庭盟誓第二節の解説

 私たちの家庭は真の愛を中心として、神様と真の御父母様に侍り、天宙の代表的家庭になり、中心的家庭となって、家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の道理を完成することをお誓い致します。


 3. 家庭では孝子、国家では忠臣、
    世界では聖人、天宙では聖子の道理を完成

 (2) 聖人と聖子の違い

 聖人と聖子の異なる点は何でしょうか。聖子とは、堕落していない本然的アダムとエバが、神様の愛を中心として、神様の生命体として、神様の血統として一つに結ばれた位置から出てくるものです。神様の息子、娘の血統を受け継いだ位置から聖子が出てくるようになっているのです。しかし、聖人はそうではありません。ゆえに、堕落した世界には聖子がいないのです。聖人までは出てくることができます。

 今まで、聖人たちは、外的な相対的世界の道理は教えてくれましたが、内的な主体的な道理は教えることができませんでした。なぜでしょうか、父母が現れず、聖子が現れなかったからです。父母と聖子の道理を植えつけるものが再臨の思想です。それがメシヤ思想です。

 この世の聖人の中で、最も中心の聖人は誰でしょうか、イエス様です。イエス様の血統は、既に腹中にいる時から聖別されていたので、サタンのどのような 条件にも引っ掛かりませんでした。神様を中心として、神様の愛によって身ごもったその赤ん坊は、最初の真なる愛の結実体です。

 したがって、そのお方は、偽りの愛とは関係がありませんでした。そのような聖子として生まれた方は、イエス様以外にはいません。釈迦牟尼もそのような人ではありません。マホメットも、孔子も違います。しかし、イエス様は、心情圏を中心として神様のひとり子になるのです。

 歴史時代において、血統を清めて最初に生まれた息子がイエス様です。したがって、神様の前において、その息子は長子であり、ひとり子となるのです。宗教圏において、このように血統を清めて生まれた聖子は、イエス様しかいないので、「聖子」と言うことができるのです。

 イエス様は聖人の中の聖人です。初めて血筋を清めることによって、初めての愛の先祖になることができたのです。

 イエス様は、神様の愛を中心として、国家的基準で生まれた血統を転換させた、神様の第一号の息子であり、ひとり子です。有史以来、そのように血統を清めて生まれた聖人はいません。孔子であろうと、釈迦であろうと、マホメットであろうと、誰であろうと、そのような伝統的な背後の血統を清めて生まれたお方は、イエス様お一人しかいません。

 イエス様は、ひとり子の聖者であり、聖人の中の聖人です。イエス様は、真の愛を中心とした一代目の先祖です。

 世界的な人物になるためには、どのようにしなければならないのでしょうか。人倫道徳だけを中心としては、そのような人物になることはできません。人間のみを中心としてはなれないのです。人間のみを中心としては、国を越えることができません。国を越えることができる内容は、天にあるのです。天宙思想をもつことなくしては、国を超越することはできません。

 それゆえに、聖人たちは、人間だけを紹介したのではなく、神様を紹介したのです。聖人の列に加わった人々を見れば、その人たちは、神様を崇拝しましたか、しませんでしたか、神様を除外して聖人になった人はいますか、また、聖人たちは、人倫の道理のみを教えてくれたのではなく、それとともに天倫の道理を教えてくれたのです。

 聖人の道理とは何でしょうか。世界の人々に生きることができる内容を教えてあげることです。自らの国の民のために生きる人は忠臣です。自らの家庭のために生きる人は孝子です。神様は、孝子よりも、忠臣よりも聖人を好まれるのです。聖人の中でも最高の聖人がいるとすれば、その最高の聖人は救世主となるのです。皆さんは、それを知らなければなりません。統一教会は、この道を行かなければなりません。

 忠臣は、一つの国における忠臣ですが、聖人というものは、国家を超え、万民を超えて、万世に栄光の基台を築き、万国の解放圏をつくり、自らが勝利したすべての栄光を与えても、もっと投入しようとする人です。そのようになる時に聖人の道理となるのです。五色人種を超え、文化背景やすべての階級を超えて、投入して、投入して、また投入しながらその平等的価値を 追求していく人が聖人です。

 聖人とは、国境を越えて世界の人を愛する人です。したがって、聖人の道理は人種を超えて世界を収拾していくのです。

 聖人とは、どのような人でしょうか。家庭を捨ててでも天と世界のために生き、国を捨ててでも天と世界のために生きる人が聖人です。それでは、どのような人が より大きいのでしょうか。孝子よりも、国のために生きる忠臣のほうが より大きく、国のために生きる忠臣よりも、聖人のほうがもっと大きいのです、皆さんは何になろうと思いますか、

 「聖子」 と言えば、神様の息子のことですが、聖子は、神様はもちろん、天と地を愛そうとされるのです。天と地の愛の圏だけではなく、天国の王宮法まで愛そうとされるのです。聖子は天国の王子なので、天国の王宮法も守り、地上世界の王宮法もすべて守らなければなりません。その上で天国の王孫たちも愛し、天国の民たちも愛し、地上の国の王孫たちも愛し、地上の国の民たちも愛さなければならないのです。

 そのようにして、二つの世界の宮殿と、二つの世界の民を愛することができるようになる時に、神様の息子であるというのです。神様の息子は、この地上の民も必要であり、この地上の王族たちも必要であり、あの世の民も必要であり、あの世の王族も必要とするのです。そのようになってこそ聖子になるのです。

 宗教の出発は、どのようになされたのでしょうか。聖人たちがすべて宗主となっています。宗教の主人になっているのです。この人たちが精誠を尽くし、道を通じて神様の教訓を受けることができる位置から出発したのです。しかし、より高い位置に上がっていくようになってからは、徐々に世俗化されていってしまったのです。

 それゆえに、世界が混乱する中にある このような時に、本質的で明確な内容をもって正しい道へと指導することができる宗教体制がありません。ブロック的な体制はありますが、世界全体をカバーして 収拾することができる宗教がないというのです。宗教も実験済みです。すべて実験済みです。政治も実験済みであり、すべての思想も実験済みであり、すべて失望的な帰着点に到達しました。今はもう、進んでいこうとしても進んでいくことができない 限界線にぶつかっています。

 今まで、神様が共に暮らすことができる 家庭がなく 国がなく、世界がなかったということは繰り返して言うまでもありません。皆さんは、常にこのような概念をもたなければなりません。私自身においても、神様が共に生きることができず、家庭においても生きることができず、国においても生きることができず、世界においても 生きることができなかったのです。

 そのような神様を 再びお迎えし、堕落した世界の いかなる孝子、いかなる忠臣、いかなる聖人、いかなる聖子よりも、高い位置において 神様に侍って生活しなければならないという、そのような信仰のモットーを強化しなければなりません。

 「聖人」 と言えば、世界人類を愛する人々です。今まで、宗教指導者たちが聖人になってきましたが、聖人の中でも大聖人は誰かという時、人類のために血を流しいくらでも命を投げ出そうとすることができ、それを続けてきた人が聖人の中の ナンバーワンであるという論理が成立するのです。そのような意味で歴史を通じて、キリスト教が数多くの血を流してきたので、キリスト教が第二次大戦以後に世界を統一したのです。

 私たちは、命を投げ出して生きているのです。既に覚悟した体であり、天の前に誓った体です。ゆえに、たとえ客死する運命であっても恨みはありません。神様がその場に訪れてこられて、私の体を引き取ってくださることができる孝子となり、国王が訪れてこられて、その場を整えてくれる忠臣になったとすれば、またそのような聖人になり、聖子になったとすれば、それ以上の幸福はありません。

 そのようになれば、倒れたその場所は名勝地になるのです。天下の万民を蘇生させることができる 祝祭の基台となり、記念の基台となるのです。そのような悲しい場所によって、数多くの後代の若者たちが新しく生まれ、その国を身代わりして活火山のように爆発するのです。そのような材料を統一教会はたくさんもっています。

 歴史は、何(なに)を通してつづられてきたのでしょうか。堕落した世の中であっても、人倫道徳を中心としてつづられてきたのです。その道徳の中心は何でしょうか、愛です。父母の前における孝子とはどのような人かというと、父母をより一層愛する人であり、国の前における忠臣は、より一層 国を愛する人です。

 そして、国を越えて世界の前に愛を教えようとするのが聖人の道です、世界を自らの家庭よりも、自らの国よりも愛そうとするのが聖人の道理です。聖子の道理は何かというと、天と地のすべての法よりも、王宮法を中心として「最高の愛を実践しなさい」と言うのが聖子の道理だということを知らなければなりません。

 アダムが堕落しなければ、家庭の王であり、氏族の王であり、民族の王であり、国家の王であり、天地の王になっていたのです。堕落した人間世界ではありましたが、この道理を備えるために孝子を育ててきたのです、忠臣を育ててきたのです、聖人を育ててきたのです、聖子を育ててきたのです。

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