フクロウのひとりごと

フクロウのひとりごと

愛知県在住のトロンボーン吹き、作編曲家、吹奏楽指導者。
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ある音大生が、レッスンで習った内容を覚え書き的にSNSに書いていたことについて、ダメなのではないかという意見を見たのです。みなさんはどう思われますか。教わった内容をネットに書いてはダメなのでしょうか。

こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。

 


 

 

  レッスンの内容を…

 

冒頭のことについて、みなさんはどう思われますか。
これはね、先生によると思うのです。
「書かないでね」という先生だったらもちろん、書かずにおくべきだと思います。
でも、とくにそう言われているわけではないのであれば、かまわないと思うのです。
覚え書き的に書くのですよね、SNSに。
べつに、いいではないですか。
ぼくも自分のレッスンや指導の内容を書かれたって、べつにかまいませんよ。
秘密なんてないしね。それよりも、
そんな覚え書きを読んだところで、少なくともレッスンを受けたのと同じことにはならない…
そう思うのです。
 

 

  企業秘密?

 

これは吹奏楽指導のお話なのですが…
練習見学は許可しないという先生がおられました。
指導内容は企業秘密なのだそうで…
あのね、書いてしまいますが、そういうのに限って、ろくな内容ではないのですよね…
どうせ、楽譜の改竄とかそういうやつでしょう。
楽譜に手を入れている演奏、これまで何度か聞きましたが、
いいアイディアだと思ったことはありません。
そんなことをしても、ろくなことにはなりませんよ。
せいぜいよくて、難しくて出来ないから分担奏にするぐらいではないですかね。
 

 

  書いてしまいましたね?

 

ぼくもネットにはいろいろ書く人です。
このブログにもあれこれ書いているし、ホームページには課題曲解説なんかも書いています。
どの記事だったか忘れたのですが、「書いてしまいましたね」って言われたことがあります。
秘密なのに、って…
秘密の練習? 秘密のやり方? 秘密のノウハウ?
そんなものはありませんよ。
文章を読んだくらいでなにが出来るのでしょうか。
文章で伝わる程度のことは、ノウハウでもなんでもありません。
レッスンや指導の価値って、それよりも先のことだと思うのです。
それとも、知識やノウハウだけで指導するのでしょうか。聞きかじりオンリー?
指導にいちばん大切なことって、観察ですよ。
 

 

  万人に有効な教え?

 

レッスンや指導の内容をどんなに正確に、こと細かにネットに書いたとしても、
そこには万人に有効なことなんてほとんどないと思うのです。
その生徒さんにとってはそれが有効だったのでしょう。
だから先生はそれを授けられた。
でも、それがほかの人に今、有効である可能性は、多くはない。
万人に有効な教え、誰にでも無条件にプラスになる指導なんていうものはないのです。
だから指導法にハウツーはないし、観察が大切なのです。
観察しないで聞きかじりを伝えるだけの指導なんかには、価値はないのです。
 

 

  消化吸収

 

レッスンや指導を受けたら、消化吸収が大切です。
鵜呑みではいけません。
ただ言われた通り、無思考にやるだけ、ただ言われたことを、なんの疑問も持たず…
それでは、進歩なんて望めません。
考えて、理解して、腑に落ちて、消化吸収して、自分のものにする…
それでなければ意味がありません。
ネットの覚え書きで、はたしてそれが出来るでしょうか。
ぼくが書く記事や解説は、ただその通りに鵜呑みにするのではなく、
考えるキッカケになったらいいな、という思いを持って書いていることが多いと思います。
なので、「これはこうしましょう」という書き方は、あまりしていないですよね?
どうでしょう…

さて、みなさんは、考えて消化吸収していますか。
 

なにかの価値を伝えるために、なにかの良さをわかってもらうために、また、自分の価値を感じるために、そのほかのものをおとしめること、あなたはしてはいませんか。他者を下に見ることで、自分の位置を高くするの?

こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。

 


 

 

  辞任知事

 

他者をおとしめる発言(失言?)を繰り返して辞任した大バカ知事が、最近いましたよね。
よくあれで知事なんか出来ていたものだと呆れるばかりですが、でも…
みなさんもありませんか。
なにか他者をおとしめることで、自分や仲間、自分の選んだものの価値を主張したこと…
他者とくらべて優れていると思い込むことで、自分には価値があると思ったこと…
でも…
他者をおとしめなければ見いだせないような価値って、いったい何なのでしょうか。
 

 

  あんなのはダメだよ?

 

「あんなのはダメだよ」、「あんなやつダメだよ」…
そんなふうに言って、自分が選んだものは価値があると主張する人っていますよね。
「あんなものは音楽ではない」とか…
そうやって上下関係をつけてなにかを見下すことでしか、価値を見いだせないのでしょうか。
それって、ほんとうには良さを見ていない、わかっていないということではないかと思うのです。
そもそも、『ダメなもの』なんて、世の中にそうそうあるものではないです。
それは多くの場合、その言っている人が、それをダメだと決めつけているだけなのです。
そしてそれは、なんの価値も生み出さないこと。
それどころか、その言っている人のレベルさえ知れてしまうことなのです。
ほんとうにちゃんとした人は、「あんなのはダメだ」なんて決して言わないのです。
 

 

  優秀だね?

 

人をほめるとき、たとえば教えていて、よく出来たとほめるとき…
「こんなに出来る人、なかなかいないよ」なんて言ってしまうこと、ありませんか。
「これ、普通なかなか出来ないんだけど偉いね」とか…
ふと考えるのですが…
それって、他者とくらべてそれよりも優れていると言っているということですよね。
他者や平均的なところよりも優れている、だから「優秀だね」ということ…
それって、どうなんでしょうか。
ある意味、他者をおとしめているのと同じなのではないか、そんなふうにも思うのです。
尤も、あんまり考えすぎるとなんにも言えなくなってしまうのでしょうが…
 

 

  存在意義

 

人間の存在意義、価値ってなんでしょうか。
他者よりも優れていること、でしょうか。
人には出来ないようなことが出来ること、それはたしかに魅力的なことです。
価値にもなるでしょう。でも…
それは、ただ単に『その一面において』優れているというだけのこと。
決してそれで、『人間としての価値』が決まる訳ではないと思うのです。
そのことは、忘れてはならないところだと思うのですよね。
別の面においては、相手の方が優れている、そんなことはいくらでもあるのです。
そしてそもそも…
 

 

  くらべること

 

くらべること、なにかのモノサシで序列をつけること、それって何なのでしょうか。
もちろん、たとえば誰かのことを『素敵な人だ』と思うのだってじつは、
過去に出会った人たちとの比較、なのかもしれません。
でも、はたしてほんとうに大切なことって、他者よりも優れていること、なのでしょうか。
それは一時の指標にはなるのかもしれませんが、ほんとうに価値あるものは実はそこではなくて、
個性に魅力を見いだしたり、成長を見つけられたりすることなのではないでしょうか。
他者をおとしめたり否定したりする態度は、その対極にあるものだと思うのです。
正方向に意識が向いているのか、負の方向に向いているのか、ということ。

さて、あなたはほんとうの価値、見いだせていますか。
 

吹奏楽部、新入部員が入ってきたと思います。そんな子たちに手ほどきするのって、多くは先輩の役目だったりしますよね。さて、どんなふうに導きますか。どんなことに気をつけて手ほどきしてあげたらいいのでしょう。

こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。

 


 

 

  知らないのが当たり前

 

みなさんは、初心者の頃、どんなふうに導いてもらいましたか。
どんなことがプラスになりましたか。
さて、新入生、楽器の初心者なら特にですが、まず…
知らないのが当たり前です。出来ないのが当たり前です。
最初から知っていて最初から出来る…、そんな人はいません。
楽譜の読み方だって、楽器の演奏のし方だって…
だから、「えっ、こんなことも知らないの!?」とか、
「あれっ、こんなことも出来ないの?」という対応はやめましょう。
みなさんも、最初は誰かに導かれて、時間をかけて、出来るようになったのですよね。
 

 

  こうしなければならない?

 

教えるとき、導くとき、たとえばこんなふうに考えがちではないでしょうか。
『こうしなければならない』、『これをやらなければならない』…
そして逆に、『こうしてはいけない』、『これをやってはいけない』…
それをとにかくもらさず全部伝える、強いる、そんなふうに発想しがちかもしれません。
たとえば管楽器なら、『腹式呼吸をしなければならない』とか…
さて、よく考えてみましょう。
そんなことたちの中に、ほんとうに必要なことが、はたしてどれだけあるのでしょうか。
ほんとうにプラスになることが、はたしてどれだけあるのでしょうか。
 

 

  ほんとうに必要なことだけを

 

教えすぎないこと、伝えすぎないこと、これ、大切です。
ほんとうに必要なことだけを、ほんとうにプラスになることだけを、伝えればいいのです。
そしてそれは、そんなにたくさんあるはずがありません。
いろんなことを言われれば言われるほど、出来なくなっていく、そんな経験ありませんか。
なにかを伝えれば伝えるほどに、ぎこちなくなっていく…
そんな場面、よく見る気がします。
腹式呼吸?
それ、要りますか。プラスになりますか。あなたにとってはどうでしたか。
 

 

  自分の経験を

 

自分はこんなふうに教わったから、それをそのまま伝える…
それがセオリーだと言われているから、それをそのまま伝える…
とかく、そういう発想になりがちかもしれません。
どうでしょうか、そんなことないですか。
それよりも、自分の経験を伝える方がいいと思うのです。
自分はこうしたらうまくいった、こんなやり方で成長できた…
それを、「自分はこうだったよ」という言葉で伝えるのです。
決して、「そうしなければならない」ではなく。
 

 

  一緒に成長

 

さて、そんなふうに考えていくと…
教えなければならないこと、伝えなければならないことって、決して多くはない、
そんなふうに思うのです。
それよりも、音を聞かせてあげたり一緒に練習してあげた方がいい。
自分も一緒に成長していく、そんな意識でいた方がいい。
そしてもうひとつ…
先輩って、なんでも出来なければならない?
なんでも知っていなければならない?
そんなことありませんよね。
人間は誰だって、出来ないことや知らないことはたくさんあるのです。
下級生より出来なければならない、なんて思う必要もない。
肩の力を抜いて、後輩といい関係を築けることも大切ですよ。

さて、新入部員、どんなふうに導きますか。