個性が伝わる演奏って | フクロウのひとりごと

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愛知県在住のトロンボーン吹き、作編曲家、吹奏楽指導者。
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昨日の記事『演奏の価値は何によって決まるのか』では、聴く人ひとりひとりの中に価値がある、

ということを書きました。では、演奏って何なのでしょう。ぼくがいいと思うのは…
 
こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。
 
 
良い悪いではなく
 
演奏、だけではなく音楽でもなんでも、その価値は、ひとりひとりの中にある感性が決める。
だから、それはひとりひとり違うし、正しいとか間違ってるとかでもない。
そこにはただ、好きか嫌いか、そして、どう思うかどう感じるかがあるだけ。
『これが正しい』、『こんなのはダメだ』、『これは間違ってる』…
そんなのないんです。
では、ぼくが好きなモノ、いいと思うモノのことを書いてみます。
 
 
 
演奏の、2つの形
 
演奏ということに限っていえば、なんだか2種類の形があるように思うのです。
2つに分類?できる。それは、以前にも書きましたが…
自分を伝えようとしている演奏と、曲世界を伝えようとしている演奏。
前者は、演奏者が、自分(技術とか個性とか)を表現しようと一生懸命。曲は、そのための道具。
後者は、ただただその曲の世界を追い求め、それを音にしようと心を尽くしている。
この2つに分かれるように思うのです。
で、ぼくは断然、後者が好きです。
 
 
演奏とはなにか
 
演奏って、なんでしょう。どうすること?
音楽の種類によっても違うでしょうし、一概に言えるものでもないのでしょうけど、
たとえば演奏するとき…
『この曲を使ってなにをやってやろうか』とか、
『どうやって自分(たち)らしさを出してやろうか』とか、
『人と(よそと)違うところをいかに出してやろうか』とか思っていると、
たいてい失敗、というか、上手く行かないように思うのです。
ある意味、自我を捨ててスコアを読み、その曲の世界に素直に向かう
それが、あるべき演奏の姿なのではないのかな、と思うのです。
自分の失敗や、心動かされる演奏に触れた経験から…。
 
 
 
どんなに凄腕でも
 
どんなにテクニックがあって、どんなにすごい音で、どんなに見事でも、
まるでそれを『聴いて聴いて!』って言ってるみたいな演奏は、聴いていて疲れます。ぼくはね。
もちろん、技巧を聴かせる音楽もある。それはいいのです。
でも、どんな曲を演奏してもいつでもそれでは、聴きたくなくなってしまう…。
上手いとか下手とかではないのです。
拙くても(曲に対して)誠実な演奏もある。上手くても押しつけがましい演奏もある。
上手くて誠実なのが最高ですね。
 
 
個性は
 
これも以前に書いたのですが…
演奏者の個性って決して、意識して出すものではないと思うのです。
我を張って意識して出そうとすればするほど、それは伝わらなくなるもの。
自分らしさを出すために、どうしてやろうか、とか、この曲をどういじってやろうか、とか、
そんなふうに策を弄するなど愚の骨頂だと思うのです。
そんなことをすればするほど、個性なんか伝わらない。大根役者のようになる。そうではなく、
楽譜に、その曲に誠実に向き合い、その曲世界を読み取り、それを音にすることに、ただ心を砕く、
そうすればするほど、演奏者の個性って自然ににじみ出る、聴く人に伝わっていくものだと思うのです。
そんな演奏が、ぼくは好きです。
 
さて、あなたはどんな演奏が好きですか。