自分の考えを持つということ | フクロウのひとりごと

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愛知県在住のトロンボーン吹き、作編曲家、吹奏楽指導者。
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みなさんは、「これ、どう思う?」って訊かれたら、ちゃんと自分の意見を言える人ですか。
自分の考えをちゃんと持っていますか。
 
こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。
 
 
指導の現場などで
 
もしかしたらぼくは、こんなことを訊くことが比較的多いかもしれません。
「これ、どう思う?」
「どんな感じ?」
「どう変わった? 違いは?」
「こうしようと思うんだけど、どう?」…
指導の現場で、レッスンで、音楽の現場で、そのほか。
でも、はっきりしたリアクションが返ってくること、少ないんですよね…。
自分の意見や考え、インプレッションを持てない人が多いのかな、と感じるのです。
わからない、感じない、判断する立場にない…
 
 
 
リアクション
 
以前、CUGジャズオーケストラというところにいました。
そこでリハーサルをしている時に、よく言われたのです。
たとえば、どこかを合わせていて、「今の、どう思う?」と訊かれたら、
答えられない、リアクションできないのではダメなのです。
よく叱られました。
これ、演奏面にも通じるところがあって、
「なんにも考えずにただついてくるだけの2番吹きなんて要らないんだよ!」
と言われたりしました。
それまで、自分を出さず、忠実につけるのがサイドの仕事だと思っていた当時のぼくには、
この言葉はショックでしたね…。
 
 
合わせることは自分を出さないことではない
 
これは『ジャズだから』なのでしょうか。
いろいろな現場や、人を見てきて思うのは、
これはジャズに限ったことではない、どんな音楽や現場でも同じなんだ、ということです。
たとえばベルリンフィルを見て聴いてみたらいい。
彼ら、『自分を出さず、まわりにつける』なんてことはこれっぽっちも思ってないですよきっと。
みんな自分の思ったように弾いています。
それで合っている、一致しているからすごいんですよ!
自分を出さず、ぶつからないようにソツなく…
そんなんじゃあ、ほんとうのアンサンブルや合奏なんてできない!!
だいいち、それって音楽やってる意味あるの!?
これ、どんな音楽や形態でもおんなじなんです。
 
 
考えのない人って…
 
自分の考え、自分の意見、そういうモノを持とうとしない人って、音を出しても、
自分を出さず、はみ出さないようにソツなく演奏しようとする人なように思うのです。
でも、その先にはほんとうの『合う』はありません。
それぞれが自分の考えを出し合わなければ、ものごとだって進んでいきませんよね。
顔色をうかがってばかりじゃあどうしようもない。
ではどうして、こうなってしまうんでしょうかね。
やっぱり、学校、でしょうか…。
 
 
 
学校というところ
 
学校って、『自主性を持って考えて行動』なんて言っている割には、
協調とか従順とかを求められるようなところですよね。偏見?
つまり、自分を出さないようにを求められるようなところもある。
どうなんでしょうね…。
自分を出さない…。年々、そんな傾向が強くなっていっているように思うのです。
言われたことを、なにも考えず言われたとおりにただやるだけ…
 
 
自分の意見を言えること
 
「どう思う?」って訊かれたら、思ったことを言えるようにしよう。
正解も間違いもない。
そんな中から、よりよいものが生まれてくるのではないかと思うのです。
音楽も、社会生活も同じですね。
自分の意見、感じたこと、考え、思い、そんなことをパッと言えるためには、
意識を活性化しておく必要がある。
ボーッとしていたら、どう感じたかなんてわからないですものね…。
でもこれ、練習次第でできることだと思うのですよ。
そして、とても大切なことです。
 
さて、あなたは自分の考えをちゃんと持っていますか。
自分の意見、言えますか。