編曲はじめ、作曲はじめ | フクロウのひとりごと

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愛知県在住のトロンボーン吹き、作編曲家、吹奏楽指導者。
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昨日は作編曲のススメについて書きましたが、ぼくが作編曲するようになったのはなぜなのだろう…、

というのを、ちょっと思い出してきょうは書いてみますね。
 
こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。
 
 
きょうはトリエンナーレ『戯れこと』の音楽リハーサルでした。
自分が書いたモノが音になるのって、やっぱりいいですね。
素敵な舞台になると思いますので、ぜひお越しくださいね♪
さて、作曲編曲、どうしてやるようになったんだろう…、と、ふと思ったので、
思い出して書いてみますね。
 
 
 
見よう見まねで
 
中学の時はパート譜を写譜して使う決まりだったことは、昨日書きました。
でもそれは、ただ元の楽譜のとおりに見よう見まねで書き写しているだけでした。
高校生になって、ソルフェージュを習い始めてから、耳コピのようなこともするようになりました。
なにしろ鳥取の田舎だったので、やってみたい曲があったとしても、
どうやったら楽譜が手に入るのか皆目わかりませんでしたから…。
ソロ曲、カルテット、向井滋春さんのアドリブコピーなんかもしましたね。レコードから…。
 
 
編曲はじめ
 
高校の頃は、編曲と言えるようなことはほとんどしていなかったのですが、大学に入って…
先輩たちと、トロンボーンカルテットをやっていたのです。
今ほど学生がいませんでしたから、大学の垣根を越えてやっていましたね。
県警音楽隊の方とかとも一緒にやっていたと思います。
で、楽譜ってそう豊富にありませんでしたから、いろいろ書いたのです。編曲。
見よう見まねで。
某、超有名バンドの超有名バラードなど、途中でジャズ風になる楽譜とか書きました。
凝っていろいろやりましたね…。
「また凝ったやつ書いてきたねぇ…」とか言われました(^_^;
 
 
それから編成もいろいろに
 
当時はもちろん、紙に書いていました。
コンピューターで楽譜を書くなんて考えられない時代てす。
で、トロンボーンカルテットをいろいろ書いているうちに、
「あいつは編曲ができるみたいだぞ」
っていう噂が広まって、依頼が来るようになりました。
まず、金管アンサンブル。山ほど書きました。
これは大学卒業後ですが、トロンボーンのジャズアンサンブルもやっていたので、
その楽譜もたくさん書きましたね。
それから…
 
 
 
オーケストラの依頼が来た!
 
大学の2年か3年の頃だったでしょうか、オーケストラの編曲依頼が来たのです。
もちろん弦楽器の楽譜なんか書いたことありませんでした。
勉強もしましたが、見よう見まねで書きました。
あの時の楽譜、まだあるのだろうか…
でも今思うと、本を読んで勉強したことよりも、現場で見たり聴いたリ訊いたりしたことの方が、
ずっと大きな財産になっているように思います。
そういう現場がたくさんあったことはほんとうに恵まれていましたね。
 
 
それからいろいろ
 
オーケストラの楽譜を書いたら、弦楽カルテットの依頼もたくさんいただきました。
フルートカルテットとか、アンサンブルもほんとうにいろいろ書きましたね。
そして現場からのフィードバックは、とても財産になりました。
オーケストラもたくさん書きましたし、ちょうど今もいくつか抱えています。
吹奏楽を書き始めたのはいつ頃だろう…
多分、大学を出て間もない頃だと思います。
校歌とかいろいろ、たくさん書きました。
 
 
作曲はじめ
 
初めての作曲は、いつだっただろう…
高校の頃、ピアノの短い練習曲をトロンボーンのアンサンブルにして音を出したりしていました。
『これ、短いから中間部作ろう』
って書いたのが、作曲といえば作曲か…?
ちゃんとした曲?は、多分、20代の中頃に書いた『Dear M』でしょうね…。
自分でビックバンドにアレンジしてCUGでやったのですが…
そのアレンジが、なんだかかっこよくないのです…。
ピアノの水野修平さんの書く楽譜は、かっこいいんですよね…。
なにが違うんだろう…、と思って、バークリーの理論を習いに行ったのでした。
考え方変わりました。あそこで、いちばん大切なことに気付けたのかもしれません。
 
 
 
朝日作曲賞
 
前に書いたように、初めて作曲した吹奏楽曲が、『しおかぜのマーチ』(2006年)。
朝日作曲賞に出したら、ファイナルまで行っちゃった…。
それから少しだけ、世界が変わったかもしれません。
あのあと、アンコン夏のコンクールの編曲もいただくようになりました。
でも、朝日作曲賞に入選したわけじゃない。
また書かないとね…。
 
 
コンピューターで
 
楽譜をコンピューターで書くようになったのは、2005年からです。
しおかぜのマーチを書いた頃(でもスケッチ自体はそれより前に書いてあったのです)。
なにしろそれより前はフィナーレもコンピューターもYouTubeもなんにもなかったから、
資料や音源の手に入らない曲は頭の中の音の記憶を頼りに書いていました。
今は、音源も資料もみんなコンピューターの中にあって、パソコン1つあれば仕事が出来ちゃう。
で、出来た楽譜はPDFにしてメールで送ればよくて…
ほんとうに、世の中変わりましたよね。
 
なにしろそんな感じで、これからもいろいろ書いていきたいと思ったのでした。
『戯れこと』、観に来てくださいね♪
 
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