ふと、最近感じることに…

金と生きることとは、分けて考えたほうが良いということ。

 

それが、ふと、今のコロナや経済へのニュースを見ていると…

 

経済活動(金)

よりも生命のほうが大切だと思った。

 

で、

経済活動(金)

生命(生きること)
は、
分けたほうが良い。
 
生命にとっちゃ、経済活動(金)はお遊びみたいなものだ。
オプションとも言う…この世での楽しい遊びだ。
(その証拠に、死んだら持って帰れないしね!)
そっちの方に必死になって、生きることと稼ぐことが一緒になるなんて本末転倒。
生きることと、稼ぐ(遊ぶ)ことは別個に分けたほうが良いのだ。
 
なんて、明確に思ったのです。
 
では、生きることをどうやって確保しよう・・・?
普通は、仕事して稼がないと・・・
カネがないと生きられないよね?
 
どうも、この考えが「間違え」らしい。
 
 
考えてみれば、どうしても必要な通信費や国税を割り出して2年で40万のみの、文無し生活を結構した時期があった。
山と海がある環境で暫く過ごしていた時…
山の山菜と海の幸で、食べ物にはあまり困らなかった。
 
もちろん、金のかからない住処がありの、米とガス水光熱費を援助してくれる親がありのでの話だ。
(その親を払う、ガス水光熱費も2年で1.5万行くか行かないかだったらしい…
やり方教えてもらったけど、多少不便だが工夫すれば楽しい生活という程度だった)
 
だから、ガス水道電気は年間では少ないけど…若干いる。
多少の外貨は必要。
だけど、生きるためには働かなきゃ!!
という程度ではない…
 
ようは、金、使ってない。
 
経済活動をしなきゃ!!
生きてけない!!
 
というう程度ではないのだ。
これって、幻の恐怖なのだ。
 
本当に、食べるという事と家賃がいらないと言うこと。
その環境さえ整えれば…
必要な外貨を稼ぐためにチロッと働く程度でいい。
本当は、それで生きていけるのだ。
贅沢しなきゃ大丈夫。
(新鮮なアジやサバの刺し身、コチやカワハギの食い放題で贅沢三昧は出来る。
無農薬の新鮮な完熟みかん、レモン、生で食べれる筍、そういう意味では贅沢。)
 
だから、
生存することと、経済活動は別個。
別個なのよ・・・
 
本当は。
 
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たださ、外貨だけを稼ごうとしたらFXでも株でもなんでも良いんですけど・・・
たださ、霊性を高めたり成長するためには・・・・
己を知るためには人との関わりが必要だから。
仕事に行くというのって、修行というね・・・・
そういう意味では、良い仕組みだと思うの。。。
 
(これは、我慢して歯を食いしばれという意味ではない。
自分自身を保ちつつ、人を鏡として使い、自分自身を知っていったあとには・・・
会社というカーストから距離を置いた方が良い場合もある)
 
ただ、仕事しなきゃお金なくて死んじゃう!
という、まやかしの仕組みに騙されなきゃ、うまく仕組みを利用して自分を成長させることが出来るよって意味。
(勘違いするひつもいると思うけど、仕事がうまく行っている、昇進した=霊性を高めた…じゃないからな…)