黒川番楽

2018年8月14日
ついに訪れたお盆シーズン
昨年はこれでもかと言わんばかりに各地の盆踊りを回ったが、今年は盆踊り以外の行事もいろいろ見てみようと計画
それにしてもこの期間は本当にたくさんの伝統行事が行われる。
管理人の手引き書である「秋田の祭り・行事」は年間通じて行われる祭り・行事をほぼ掲載しているが、調べてみたところ全124ページ中、実に20ページ分がお盆に行われる行事だった。
そんな行事ラッシュのこの時期に今回選んだのが「黒川番楽」

黒川番楽が行われるのは秋田市金足黒川
秋田市内の番楽というのもかなり珍しいが、他にも萱ヶ沢番楽、山谷番楽など、いくつかの番楽が小規模ながら根強く続けられている。
また、金足といえば言わずとしれた夏の甲子園準優勝校 金足農業高校のお膝元(金農校舎があるのは金足追分)でもある。
高校野球と伝統芸能ではあまりに接点がなさすぎて「金農と同じ地域の番楽?それがどうした?」感はあるが、ちょうど高校野球開催中ということもあり、思わぬ形で金農旋風の勢いを今日の公演で垣間見ることになった。

当日8月14日を迎える。
仕事が終わったあとに、一路金足黒川へと向かう。
「秋田の祭り・行事」には19~21時に番楽が行われると書いてあるので、それほど急ぐこともせずのんびりと向かった。
そして会場となる黒川公民館に到着

管理人の住まいと同じ秋田市内と言えども、馴染みのない場所だったゆえgoogleストリートビューで現地の様子を閲覧していたこともあり、迷わず到着できたが、思っていた以上に年季の入った渋い建物だ。その雰囲気から、おそらく昭和30~40年代の建築と推定
それはよいとして、開演前だというのに太鼓と拍子木の音が鳴り響いているではないか。
そう。すでに演目が始まっていたのです。
しまった!19時開演という情報は何だったんだ「秋田の祭り・行事」よ!などと愚痴る時間も惜しみ早速なかへと入った。

ちゃんとした受付があるではないか!

これぐらいの小規模会場で受付が設けられているというのも珍しい。
なかに入ると受付の女性からペットボトルの飲み物をいただいた。これは嬉しい。
そして、本日の演目プログラムと保存会作成の会報、さらには「黒川番楽について」と題された紹介資料、ポケットサイズのパンフレットを渡された。
この充実ぶりはすごい!黒川番楽のことを知ってほしい、見てほしい、触れてほしいといった熱意が十分に伝わってくる。
また、演目プログラムを見ると開催時間「18:00~20:00」と書かれていた。やっぱ遅刻したんだ、オレ。。。

急いでビデオカメラをセッティング。舞台となる会場前方では武士舞が演じられていた。


武士舞と言うと華やかできらびやかな装飾具をパッとイメージするが、この武士舞での出で立ちは鉢巻と襷がけに、袖と草摺と呼ばれる鎧の一部だけであり、どちらかといえば地味な印象
そして太鼓と拍子木だけで構成されるお囃子は、パーカッシブさがむき出しになっていて異様なくらいだ。
以前は笛も付いていたのだが、一時番楽が中断した折に途絶えてしまったらしい。
シンプル極まりない舞とお囃子ではあるものの、そのことが番楽の原初的なスタイルを見せてくれているようで興味深くもある。
黒川番楽の起源は平安時代とも、室町時代とも言われているそうだ。
これだけ歴史のある伝統芸能が秋田市内に目立たないながらも、脈々と継承されてきた訳だ。

武士舞が終了
舞の途中からの鑑賞だったが、それなりに堪能できた。
バタバタと駆け込んでしまったので、あまり周囲の状況を見れなかったが、あらためて見ると10数人の観客と関係者がいた。
公民館は広くないのでそれぐらいも入れば十分だ。
そんななかビックリしたのがNHK秋田局の取材班が訪れていたことだ。
顔見知りの記者さんがいたのであとで話を聞いたところ、数ヶ月前からコツコツと黒川番楽の取材を開始していたそうな。
なんと!こんなちっちゃな行事をずっとフォローしていたのか!NHKの機動力、侮りがたし!!

あらためて舞台を見てみると‥

番楽幕横に金農Tシャツが掲げられている。
反対側には金農バスケ部のユニフォームが掲げられていた。
番楽幕の横に団体の幟を飾ることはたまにあるが、こんなアイテムが掲げられるのを見たのはもちろん初めてだ。
この日8月14日は高校野球二回戦で金農が岐阜県 大垣日大高校に勝利した日でもあり、金農が三回戦進出した喜びがこんなところにまで溢れてしまっているのだった。

ここで小休憩
保存会の方が登場し、番楽に関するエピソードを紹介


~以下エピソード~
番楽は家内安全、五穀豊穣を祈願するとともに、ときには雨乞い行事として行われることもあったらしい。
そして雨乞いに欠かせない演目が「鐘巻」であり、その舞で使用される「龍頭(たつがしら)」が雨を降らせるとされている。
昭和初期、石川理紀之助翁の記念式典に来賓を招いて番楽各演目を舞った折に、当初のプログラムにはなかった鐘巻を舞ってほしいと声が上がった。
この時期は干ばつ続きで日照り気味の状態ではあったものの、田畑が流されるような豪雨を心配した人たちと揉める事態も発生したが、結局舞われることになった。
そして舞が終わり、深夜2時
それまで満天の星空だったのがにわかに雨雲がかかり、2時間にわたって屋根に穴があくほどの豪雨になった。
だが、近隣の地域には全く降ることなく、この地域だけに降ったということで大評判になったそうだ。

続いては「伊賀舞」


険しい表情の古めかしい番楽面、ピンク色の衣装をつけて、タスキだけを使い舞う姿は結構不気味だ。
また頭につけているのは赤熊(シャグマ)ということなので、本海獅子舞や本海流で幾度か見てきた「シャガマ」と同じだと思うが、本海のシャガマはヒラヒラとなびくカッコよさがあるのに対し、今日の赤熊はチリチリでリーゼントパンチパーマのようなイカツさでこれまた怖さを増幅させている。
パンフレットでは「沙門(鬼形役)」と紹介されていて、鬼形というだけあって赤熊の上から2本の角がのぞいている。
また、沙門(しゃもん)とは「古代インド社会に於いて生じた、仏教・ジャイナ教などヴェーダの宗教ではない新しい思想運動における男性修行者」(←wikipediaより)が起源ということらしいが、パンフレットでは「古事記などの天孫降臨から神武天皇の代までを織り込んで、特に伊勢皇大神宮の縁起ものといえる」とも紹介されており、基本的には神的な舞であると思われる。
個人的には以前鑑賞した、本海獅子舞番楽 八木山講中の「羅生門」で見た鬼神、根子番楽「鐘巻」で登場した鬼神と肩を並べるぐらいの不気味キャラだ。

本日管理人が鑑賞開始する前に「清祓い」「三番叟」「曽我兄弟」の3演目が披露された。
ほかに現在舞われているのは「鳥舞」「姫舞」「扇舞」「剣舞」となり、このあとの「橋引き」と合わせて計10演目が継承されているとのこと
そして全ての演目の基礎となるのは「扇舞」で、そこから「剣舞」「姫舞」と進み、最終的に残りの演目をマスターするらしい。
根子番楽では「露払い」が基礎となっているが、舞台を祓い清める意味を持つ「清祓い」が基礎ではないところに黒川番楽の独自性を感じる。

続いて本日最後の演目となる「橋引き」


パンフレットでは「御前面(女面)をつけ舞鈴と扇子を持った一人」と紹介されている舞い手が登場し、一人舞を披露
おそらくは妙齢の女性という設定なのだと思う。
また、橋引きに関して言えば昨年能代市二ツ井町富根の富根報徳番楽を訪問した際に鑑賞しているので、何となくストーリーは知っている。
パンフレットでは「名取川にかけられる橋にまつわる話を芸能化したもの」と書かれている。
「秋田の民謡・芸能・文芸」によると宮城県仙台市南部に流れる名取川は古今集・新後撰和歌集など中世歌集によく現れる名所であるとともに、能に「名取川」なる演目があるそうで、このことが番楽にも影響を与えたとのこと


先の伊賀舞といい、今舞っている最中の女面といい、番楽面がとにかく渋い。
いつぐらいに制作されたものか詳しいことはよく分からないそうだが、この辺り一帯を明治時代に襲った大火を免れた面であることは相違ないらしく(会報にコピーが掲載されていた、昭和58年「中学教育 付録」から抜粋)、室町時代から使用されているものとの説をとる古老もいたらしい。
そんな昔からの面が現役で!?とはにわかには信じがたいが、ひょっとして本当にそうかもと思わせるほどの年季を感じる。

続いてお可笑面を付けて、斧を持った翁が登場

出ました。この舞のキーパーソンとでも呼ぶべき道化役です。
ふらっと登場し、舞を舞う様子もなくあっちへブラブラ、こっちへブラブラ

まずはお囃子方へ話しかける。これから橋をかけに行くよ、鼻歌でも歌いながらよーみたいなことを話しかけたと思っていたら‥


いきなり金農校歌を歌い始めた。それもフルコーラス。自由だな~。。。
この日は金農が二回戦を突破した日ではあるが、高橋佑輔クンの逆転3ランが飛び出した三回戦横浜高校戦、菊地彪吾クンの超絶走塁がサヨナラ2ランスクイズ(そんな野球用語、初めて聞きましたよ、、)を生んだ四回戦近江高校戦の前、いわゆる全国的な金農フィーバーが巻き起こる前だったにもかかわらず怒涛のフルコーラス披露
金農フィーバー後の公演だったら、おそらくユニフォームを着ての登場だったに違いない。

もちろん客いじりにも精を出す。

橋を普請したあとに婆が登場。プログラムによると「木を切る翁はユーモラスに踊り、杉の妖精と心を通じた姫が橋を引く。その後の下りに婆がでるという演出である」と書かれている。

翁と婆の酒盛りが始まった。しかも、お囃子方を呼びつけて無理やり参加させる。
それにしても、まさか本物のビールとがっこ(漬物)が出てくるとは思わなかった。
室町時代から受け継がれているかもしれない番楽面をひょいと上げてがっこを喰らい、ビールを呑む。これはスゴイ!
番楽界の革命児!イノベーター!パンクロッカー「翁と婆」

婆が辞去したあとに最初に登場した舞い手が再登場。そして翁の舞でエンディングを迎える。


お可笑面について、不思議な伝説が残されている。
かつてお可笑面を所有していたのは別の村であり、金足黒川の村民たちは橋引きを舞うときだけ特別に面を借りていた。
あるとき黒川村の住民が番楽面の保管箱を開けてみたところ、別の村に返したはずの面が他の面とともに箱に収まっていた。
不審に思った住民があらためて別の村に返却したものの、やはり何故か黒川の番楽面の箱の中に再び収まっていた。
気味が悪い、と両村で占い師をたてて御託宣を求めたところ、番楽面が「離れて一人でいたくない。黒川の面たちと一緒に祀られていたい。離されたら何度でも黒川に飛んでいく」と言ったそうな。
それにより両村が協議し、お可笑面は黒川に譲り渡されたということだ。

30分に渡って披露された橋引きが終演
舞を鑑賞するというよりも、翁のしゃべくりを楽しむといった様子で会場に笑い声が溢れた面白い演目だった。
これを以て全演目が終了、管理人も1時間ほどの時間だったが、大いに楽しんだ。
最後は何故か演者と観客が舞台に集まって全員で記念撮影
皆が満足し、帰路についたのだった。

秋田市民でも黒川番楽のことを知っている人は少ないと思う。
事実、管理人も今日の公演を観るまでは特に注目する伝統芸能という訳でもなかった。
しかしこの日、小さな公民館で決して多くはない観客を前に、ときに真剣に、ときにユーモラスに展開される演目を鑑賞すると何だか愛着が湧いてくるようだ。
また、配布された各資料の充実ぶりから分かるように保存会の皆さんは番楽の普及に一生懸命務められていて、後日放送されたNHKニュースこまちでは、今年初めて行われた公開練習の模様を放送していた。
その画期的な取り組みから分かるように、番楽をたくさんの人に伝えたいという思いが本当にヒシヒシと伝わってくる。
たくさんの人たちにこの番楽のことを知ってもらい、お盆の夕べのひとときを番楽で楽しんでほしいと思う。

※参考文献・・秋田市無形民俗文化財指定 黒川番楽調査報告書


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