日本は他国とあらゆる面で違う。。

皆様もそう感じたことありませんか?

教科書には書かれてない本当の歴史の一部を...(長いっす)


アジアの歴史は長い間、西欧列強の植民地でした

でも、日本とタイは植民地にされた事はないのです

四方を海に囲まれてるから?攻める価値がなかったから?

違います。。。コロンブスは黄金の国ジパングを目指したし

ポルトガル、スペインなど。。

日本を植民地にしようとやってきています


フランシスコ・ザビエルは布教だけが目的ではなかった

彼らはキリストの名において、自分達に占領を許されたとし

あらゆる国を植民地にして行っただけのことです

奴隷として日本人を世界各国へ連れ去ってもいます

それで、秀吉がキリスト教弾圧をやったわけです

貿易の中心として認めていたのに、裏では彼らは

日本を植民地にしようとやっていたから。。。

中国「明」を植民地化する計画の前に、まず日本からと...


支倉常長率いる慶長遣欧使節団も各国で奴隷となってる

日本人を見てショックを受ける(1613年)ピラミッドで

記念写真撮った人達ね...支倉もキリシタンになっちゃうけど

幕府に反し、支倉にスペイン行きとローマ教皇謁見を命じた

伊達政宗もキリシタン(独眼竜よ、お前もか。。)

政宗の場合は信仰というより利益からのようだけど。。。


そもそも種子島に来たポルトガル商人から2丁の鉄砲を

千両という高値で買ったことが鉄砲伝来です(1543年)

領主の時尭が鍛冶屋に、この複製を作らせたところ

わずか一年で作ってしまったのです

一年後に儲けられると再び来たポルトガル商人及び

西洋人は唖然としたのです(恐るべし日本!)


分解して仕組みを理解したところで、当時の高性能精密機器

なので、同じものを作れるはずがないのが当然なのです

先に伝わった、インド、中国、アラビアも失敗して作れず...

これは、当時から日本は高度な工業技術を有した国だった

証拠なのです。。しかも大量生産し日本全土へと広まり

しかも本家を遥かに凌ぐ高性能のものを作ってしまった...

その数50万丁、欧州より多い数の鉄砲王国になったのです

わずか2丁から一年で作り、良いものへと改良し広めた。。

(日本の職人精神は昔から凄いのです。。)

戦国時代だから、兵の数、兵の士気、戦術など西洋より

飛び抜けていて植民地化など、到底無理な事でした

武力で日本を征服出来る国は存在しなかったからなのです


しかし白人達は、諦めず作戦変更し多くの宣教師達を布教と

称し来ては、日本の実情を本国に伝えさせます(スパイ)

でも「日本の征服は非常に困難」「勇敢で絶えず軍事訓練を

積んでいる」「名誉を重んじ誇りを傷つけられるようなもの

なら命を賭けて戦う」

「精神性が高いこのような武士が日本全国にいる」

「なので武力を持って日本を支配するのは到底無理」

この報告を受けたスペインとポルトガルは断念するしかなく


でも、武力による日本侵略を諦めただけで、やり方を

直接支配から間接支配に切り替えただけ

すでに仕込んでいたキリスト教を利用し、日本を内側から

切り崩す戦法にし、各大名に「貿易の利」をチラつかせ

彼らに取り入り、領民をキリスト教勢力に変えて行った

長崎をイエズス会にプレゼントまでしてしまう始末...

キリスト教の正義の元に、大名達を改宗させ中央への忠誠心

の削り取りをさせたのです

自分達は中央よりキリストの意に従うとさせたわけです

(勿論、キリストの意ではなく利用する西洋人の意です)

洗脳で都合のいい勢力に作り変えて行ったのです

布教の裏で宣教師達が奴隷貿易をしながら、神社や仏閣、墓

まで全て破壊せよと民衆全員をキリスト教へ改宗させよと

キリシタン大名に命じたのです

一神教だから、キリスト以外は認めなかったのです

(そもそもキリストは人間で崇める神は別にいたのに)
  乗っ取り、奴隷で売り飛ばす神って一体?

これに抵抗した民衆はキリシタン大名に囚われ奴隷として

ポルトガル商人に売られて行ったのです(酷いでしょ)

幼い子供も多く含まれ、これを先導してたのは宣教師達。。

「神の恵み」?ふざけるなとキリストも草葉の陰で激怒し

たはず...こんなことを伝えたはずはないのに。。とね

しかも、ローマ教皇お墨付きの、この愚行。。

これがキリスト教の真実です..秀吉の激怒が理解出来ます

金を出すから返せと、バテレン追放令(1587年)まで出し

宣教師達を追い出した。。草履を温めるだけじゃないのね

これが、なぜか教科書では可哀想なキリスト教の弾圧とされ

秀吉の強引さを強調するものになってます。。う〜ん悲しい


真実は侵略を仕掛けてきた西洋から日本を守ったのです

秀吉は世界中で悪事を働くスペインらと堂々と渡り合った...

スペイン支配下にあるフィリピン総督に書簡を出してます

フィリピンに攻め込むぞと親分のスペインに言えと

要はこれを通してスペインを脅したのです

当然フィリピンはスペインに援軍を要請します

当時世界一の強国スペインと互角以上に渡り合える自信が

秀吉には、あったからです

当のスペイン本国は日本との全面戦争を恐れて日本には

踏み込まず、日本も秀吉の急死で攻めることはなかった...

秀吉が狙っていたのは朝鮮などショボいものではなく

大陸「明」であり、明の植民地化を狙っていたスペインと

ポルトガルを出し抜くための[朝鮮出兵]だったのです

秀吉の死で頓挫したけど、この朝鮮出兵で日本の軍事力を

世界に見せつけることに成功し、これ以降武力で日本侵略の

西洋の野望を諦めさせることに成功したのです


ただ、家康の時代になり宣教師達が再度やって来ますが

この頃になるとオランダや英国もやって来るように...

家康も宣教師の正体や世界でどんな悪事を働いてきたか

そして日本で何をしようとしてるか?充分に理解しており

キリシタン禁止令を出しキリスト教の布教を禁止したのです

貿易はするが布教はダメだとしたのです(1612年)

それでも布教に拘るスペイン、ポルトガルの船の来航を

禁止し、要は日本からの永久追放をしたのでした

布教に拘らないオランダのみが貿易相手として残ったのです

しかも出島だけに限られ、将軍への服属まで誓わせたのです

ペリーが来るまでの200年間、日本は外国に振り回されずに

平和な江戸時代を過ごしたのでした  政治力の凄さ!!

江戸の町は清潔でリサイクルシステムも出来上がった

下水道設備まである文化的商業的都市だったのです

「軍事力」と「政治力」これが平和には必要なのです

これが日本にあったからこそ植民地支配されずに済んだワケ


相手に気づかれずに支配する「間接支配」のやり方は

 ①スパイ行為で情報を集め、工作員を各中枢に潜入させる

 ②教育現場に入り込み「平和」「人権」「平等」「博愛」
  心地よい言葉で既存の価値観や愛国心などを破壊させる

 ③メディアを使った印象操作をして国民が自分で考える力
  これを徐々に奪っていく。。

 最後...国民が腑抜けとなったところで大量の「移民」を
    受け入れ、国を乗っ取る → 今、ココ!!

昔は強大な軍事力と政治力があったからこそ防げてきたけど

両方を失った現代こそ危険なのですよ..起きましょう!!


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