神戸の小学校での教師いじめの事件が報道されている。今は台風の深刻な被害の道に押しやられた形だが、当初は、嫌がる男性教師を羽交い絞めにして、数人の同僚教師がカレーを無理やり食べさせている動画と、眼にカレーを付けられた被害教師の写真が、悲鳴に近い音声と共に毎日流されていた。

 

東京の民放は、早朝、朝、昼、夕方とワイドショーの番組がある局が殆どである。それに、ニュース番組を加えると、一体、何度同じ映像が流されていたことか。

 

確かに、事件ではある。しかし、こんなショッキングな映像をその小学校の生徒たちが見たら、どう感じることだろうか?言葉や文字だけでこの事件を知った場合に比べると、映像は本当に生々しい。子供たちの心が傷ついたり、閉ざされたりしないかと心配である。子供たちの目に触れるような番組で、こんな映像を流す必要があるのだろうか?

 

昨夜のNHKの続報では、カレーを無理強いする映像は流されなかった。それで充分なのだ。しかし、民放ではまだ続報の度にその映像を流している。

 

ワイドショーと呼ばれるものは、本当に考え直すべき時にきていると思う。司会者とコメンテーターと言われる人達がなれ合いながら、被害者に同情し、加害者に憤る。貴重な意見ならともかく、私のような凡人だって感じることをただ喋っているだけ。そして、加害者がいかに悪かったかを強調するかのように、見るたびに嫌な気持ちになるショッキングな映像を流す。品が無い上に、無意味で、有害でさえある。

 

虐待事件の報道だってそうだ。残酷な虐待を微に入り、細に渡り取り上げて報道する。韓国の反日運動の報道の時も、日本製品の段ボールを踏みつぶす映像を何度繰り返して流したことか。それにより、韓国の理不尽さを強調したかったのだろう。

 

A局とB局で、視点が違うというのならまだ意味はあるが、全く横並びの意見で、同じ事件を扱っているのなら、電波の無駄遣いもいいところだ。

 

TVっ子の私だが、最近はNHKのニュースと録画したドラマを見ている。ワイドショーの視聴率をみんなで下げて、TV局が番組を考え直すように促すべき時が来ているのではないだろうか?

 

昨日読んだ「男の不作法」「女の不作法」に倣って、「ワイドショーは超不作法」と言いたい。

 

 

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