散歩で見た光景から感じた事 | JIROのブログ

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JIROが日頃、感じていること、見たもの、趣味のこと等情報発信していきたいと思っています。

今日水曜日はお休みでした。お天気も良く散歩に出かけた、大阪枚方

(ヒラカタ)では、春も本番と言ったところで、先週あたり満開だった桜も、散り始めています。自宅マンションから出て行く途中に、通路の横を見ると小さな黄色い花が咲いていた。また、歩道を歩きながらふと足元を見ると散った桜の花びらが、風に吹かれ、まるで天の川のように歩道を覆っていた。デジカメを持ち、季節の移り変わりを撮影してもうかれこれ5年が過ぎようとしています。デジカメを持ち撮影をしてきたことで思うことは、世の中の様々な出来事・・・そんな事に色々な思いを持つ人間と違い、自然は、毎年同じような風景を見せてくれる。それは、毎年同じような営みを繰り返しているのに、ある意味感動した。そんな、黄色い小さな花、歩道を埋め尽くした桜の花びらを見ていると、毎日の小さな出来事に、喜怒哀楽を繰り返す自分が小さく感じた。自然のように、地に足をつけて、毎日をしっかり過ごしていきたいと思った。話は変わりますが、私の生きる上での考え方のスタンスは、「人は生きているのではなく、この世に生かされている」と言うことです。幼少の頃、祖母が仏壇の前に座り、泣くような小さな声でお経を唱えていました。祖母は、子供の私によく「仏さんのおかげで、毎日生きている。有り難い有り難い。感謝せないかんよ」と言っていました。子供の私には、祖母の気持ちが理解出来ず「自分は自分の力で生きているんや!」と反発していました。この歳になってようやく祖母の言っていた意味が分かるようになりました。それは、「人はこの世に生かされている」と言うことを言いたかったのではないかと・・・もし、タイムマシンで過去に行くことができるなら、子供時代に行って祖母の手を握り、「有り難う、ごめんね」と言いたい。そして祖母を抱きしめてあげたいと思う。そんな事が分かる頃には、もう手遅れ・・・人はそんな繰り返しをしているのかも知れない。そう思うと自分も精一杯残された時間、冒険、チャレンジして、悔いのない一生を送りたいと思った。なんだか、偉そうな話になってすみません。今日、散歩して見かけた花を見てそんな事が心に浮かんできました。

 


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