武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)

「武るるん♪ 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」武将と姫の銅像めぐり、
堀尾吉晴の銅像の紹介です。

 

人物名 銅像設置場所 住所
堀尾吉晴 二の丸大手門そば 島根県松江市殿町

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堀尾吉晴の銅像は、二の丸大手門そばにあります。

くるまr松江城の有料駐車場があります。


豊臣三中老の一人に列し、隠居後に松江城を築く
堀尾吉晴(ほりおよしはる)は豊臣三中老の一人です。
はじめ岩倉織田氏に仕えますが、岩倉織田氏は織田信長の台頭により滅亡。
その後、織田信長に仕え、はやくから木下(羽柴/豊臣)秀吉旗下に配属されます。
以降は秀吉の元で活躍し、天正10年(1582年)の備中高松城攻めでは、高松城主・清水宗治の検死役を務めています。
信長の死後も秀吉の天下統一に貢献し、豊臣政権下では中村一氏、生駒親正とともに三中老に列しました。

秀吉死後は徳川家康に接近し、慶長5年(1600年)の家康の上杉景勝征伐の際には、子の忠氏とともに、忠氏の居城・浜松城にて家康を迎えています。
関ケ原の後、子の忠氏は出雲富田24万石を拝領しますが、その四年後の慶長9年(1604年)に早世してしまいます。
吉晴は、家督を継いだ孫の忠晴の後見役として藩政を取り仕切りました。
慶長12年(1607年)より松江城の築城を開始。
1611年(慶長16年)、城の完成を見て世を去りました。

 

堀尾吉晴の墓はこちら。

 

 

堀尾吉晴の銅像全景。

 

 

正面から。

 

 

アップ。

 

 

斜めから。

 

 

横から。

 

 

後ろ。

 

 

右手から。

 

 

お顔。ちょっとロボっぽい。

 

 

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日本全国の武将と姫の銅像を紹介しています。

 

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