「武るる 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」武将と姫の墓めぐり、
柴田勝家とお市の墓の紹介です。
武田勝頼vs織田信長、「信長怒涛の甲州征伐~勝頼滅びへの道~天目山の戦い」史跡めぐりの旅
は少しお休みです。
人物名 | 墓のある施設 | 住所 |
---|---|---|
柴田勝家、お市、柴田勝景、柴田孫次郎 | 西光寺 | 福井県福井市左内町 |
勝家公資料館:300円
発見難易度★☆☆☆☆
境内に停められます。
織田家の筆頭家老・鬼柴田
柴田勝家は織田信長の家臣ナンバー1の実力者で、敵からは‘鬼柴田’と恐れられました。
信長のもと各地を転戦したのち、北陸方面の攻略を任され、越前北ノ庄城を居としました。
しかし、本能寺の変により勝家の人生は激変。
織田家の後継者争いでは信長の三男・織田信孝(のぶたか)を擁し織田家の掌握を狙いますが、信長の孫・三法師を推し謀反人・明智光秀を討ち果たした羽柴秀吉に実権を握られてしまいます。
その後、勝家は滝川一益(たきがわかずます)、織田信孝ら織田家の旧臣と手を結み秀吉に対抗しますが、1583年、賤ヶ岳の戦いで秀吉軍に敗れ、北ノ庄城にてお市とともに自害して果てました。
柴田勝家の銅像はこちら。
非運の美女・お市の方
お市の方は織田信長の妹です。
北近江の大名・浅井長政のもとへと嫁ぎ、茶々、初、江の3人の娘を儲けています。
しかし、浅井長政の盟友・朝倉義景と織田信長が対立したために浅井と織田との同盟関係は決裂。兄と妹は敵同士になってしまいました。
天正元年(1573年)、浅井長政の小谷城は落城し長政も自害。
お市と3人の娘は助け出され織田家に引き取られました。
本能寺の変後、柴田勝家と再婚します。
しかし、幸せは長くは続かず、天正11年(1583年)、夫・柴田勝家は羽柴秀吉に破れ、北ノ庄城にて勝家とともに自害して果てました。
お市の銅像はこちら。
朝倉家滅亡後、勝家が北ノ庄に移し柴田家の菩提寺としました。
昭和20年、戦災により焼失しますが、不思議にも後日発芽したのだそうです。大きく育つといいですね。
毛受兄弟の墓という字が木像の奥に見えますね。
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