「武るる 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」 武将な寺社街道めぐり、
小山田信茂が処刑された甲斐善光寺の紹介です。
武田勝頼vs織田信長、「信長怒涛の甲州征伐~勝頼滅びへの道~天目山の戦い」の史跡めぐりの旅
ともリンクしていますので、よろしくお願いします。
史跡名 | ゆかりの武将 | 住所 |
---|---|---|
甲斐善光寺 | 小山田信茂、織田信忠 | 山梨県甲府市善光寺3丁目36-1 |
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川中島の戦いがきっかけで建立された甲斐善光寺
永禄元年(1558)、川中島の戦いにより信濃善光寺に兵火がおよび、その焼失を恐れた武田信玄が本尊をはじめ寺宝を甲斐に移したのが始まりです。
江戸時代には徳川家の庇護を受け繁栄を遂げています。
なお、本尊は現在は信濃善光寺に安置されています。
本堂は宝暦4年(1754年)に焼失。
現在の本堂は寛政8年(1796年)再建のものです。
武田家滅亡後に甲斐善光寺で処刑された武田の家臣
甲斐善光寺で処刑された武田の家臣は、
「甲乱記」 によりますと、葛山十郎信貞幷、小山田出羽守信茂、
「甲陽軍鑑」 では、小山田兵衛(信茂)、武田左衛門、小山田八左衛門、小菅五郎兵衛らの名前がみられます。
小山田信茂、縁の下に隠れる
処刑のため甲斐善光寺に集められた上記の面々ですが、その際に小山田信茂は逃げだし本堂の縁の下に隠れたんだそうです。
で、結局は大泉坊という山伏に見つかり、ついに処刑されてしまいます
う~ん、小山田信茂、最期までショボイですね。
山門。重文です。
常香炉。奥に見えるのが本堂です。
本堂。これも重文です
本堂の彫刻。
本堂の縁の下。こんな感じの所に小山田信茂は隠れたんですかね。
ちなみにこの本堂は寛政8年(1796年)再建なので信茂が隠れた本堂とは異なります。
ちなみにこの本堂は寛政8年(1796年)再建なので信茂が隠れた本堂とは異なります。
甲斐善光寺には加藤光泰、浅野長政の墓もあります。
加藤光泰の墓はこちら。
浅野長政の墓はこちら。
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