Zen禅

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

Sweeping of healing, Zen-Sweeping掃く癒し―掃禅

2018-10-15 | 坐禅

アメリカの北部の冬は早く来る。

Winter comes earlier to northern America.

毎日のように木々の葉っぱの色が変わり、

乾いた葉っぱが雪のように降ってくる。

The color of the trees changes as every day passing by,

the dried leaves come to fall like snowflakes.

 

庭の落ち葉掃除は冬支度の一つで、

雪が降る前に掃いておかないと

雪かきの時に大変なことになる。

Sweeping fallen leaves out is

one of preparations for coming winter,

if don’t do it before snow,

the snow shoveling work will be hard.

その落ち葉も定期的を掃いておかないと、

絶え間なく落ちてくるので

その量が膨大になり

道が落ち葉で埋もれてしまう。

Unless sweeping regularly

the amount of leaves will be enormous and

drive way also be berried with fallen leaves

because they fall constantly.

 

週末は雨が降らない限り、

庭の仕事をする。

As long as not rain,

we do garden works on weekends.

夫は力仕事の芝刈りをやって、

私は箒で庭を掃き、

竹で作られた大きな熊手で

芝生の上の落ち葉を集めて

60ℓ袋に入れておくと

夫がその重い袋を運んで

裏庭の密林に捨てる。

My husband charges muscular job like lawn,

I do sweep floor gardens with a broom,

gathering fallen leaves on lawn either

with a big rake and

put them into in a 60ℓ bag,

then my husband carries the heavy bag

to dump in the backyard where forest densely.

 

落ち葉を掃くと、

心の落ち葉のような余計な雑念も

掃く行為で掃いて飛んでいくような気がする。

When I sweep the fallen leaves,

I feel like my unnecessary idle thoughts 

such like fallen leaves, also would have swept away

by action of sweeping.

 

掃く時のそのサッサーという箒の音

The sound of broom like sha-shsa- when I sweep.

落ち葉が擦れ合う時のザーザーという季節の音

The sound of season like zha-zhza-

 when fallen leaves rubbed each other.

そのサッサー、ザーザーという音と共に

心のざわめきも一緒に掃いていかれる感じがする。

With such sounds of sha-shsa, zha-zhza,

I feel like the buzzling sounds in my mind

also be swept out and taken away from me.

 

掃き仕事は体の筋肉を無駄なく全部使うので、

10分も経たない内に汗が出てくる。

To do sweeping work,

it uses all body muscles efficiently,

so start to sweat in less than 10 minutes.

ここに移住してから、

気候が変わったことから生じた気管支系の疾患に

悩まされているが、

掃いている時は

体の病気も忘れ、

落ち葉を無くすことだけに

注意の全てが向く。

Since I immigrated here,

I have been suffering from bronchial disease

resulted by the climate differences

from where I have been

but when I sweep,

I forget my sick body and

all my attentions are focuced onto 

removing fallen leaves.

 

そうしている内に、

掃いていること自体すっかり忘れて、

掃かなければならないという目的も

意識に昇らなくなる時がくる。

While I do it,

the time comes to be able to forget sweeping act itself,

the conscious purpose of must sweep,

it no longer comes up in my mind.

気がつくと落ち葉を見るだけで

体が自然に動いてくれる。

Noticing my body moves spontaneously,

just by looking at fallen leaves.

 

見ては掃いて、

掃いた落ち葉を集めていく。

As I see I just sweep it out,

gathering filed leaves which I have swept.

そのように意思を介入せず、

ほぼ無意識的にやっていると、

坐禅の無念無想の教えに

類似した状態になる時がある。

As I am doing it almost unconsciously,

the time comes

be able to get into a similar mental state

with a zazen teaching that

think nothing and imagine nothing,

without intervene of will to do so.

 

つまり、

念じることや想いを巡らせることのない

ある種の無思考状態に入れる。

In other words,

be able to get into a kind of

nothingness of thinking and burdened affection.

 

 

坐ることで得られるとする何かの利得を求めず、

ただ坐ることで

何かが自然に為されていくその過程が

理解できるようになる。

Be able to understand that

a processing of something being done spontaneously

as it should be by just sitting

without seeking expected advantage that

would have attached by doing zazen.

 

また、掃く行為を通して、

瞬間だけだったが自分の病を忘れ、

心配ことを忘れ、

心の憂いを忘れ、

願望や希望さえ忘れていることに気がつく。

Become to realize throughout sweeping action,

I forgot my own illness

even though it was just a momently,

forgot my worries,

forgot my gloominess in my mind,

even forgot my desires and hopes.

 

ある程度、その一定した行為の流れに慣れてくると、

自分が落ち葉を掃いているとの自覚が消える時がくる。

If gets used to the constant behavior flow,

along with the time I spent

be able to reach to a certain point that

even the awareness of sweeping be able to disappear.

掃いている私という物質的な存在は

空気のようになり、

落ち葉が無くなった結果だけが見えてくる。

Be able to see the result only that

fallen leaves are all gone and

I who is sweeping which as a material presence

becomes like air.

 

労働後の肉体的な疲れも体の中に長く停滞せず、

一休みを入れるだけですーと抜けていってくれる。

The physical fatigue after labor

will not stagnate long in the body,

it also comes out smoothly

by taking a short break.

心に積もってあった憂いも

落ち葉と共に掃いていかれたことを

後になって気がつく。

Realizing when after things have done,

the gloomy which has filled up in my mind

was also swept out with fallen leaves.

 

閊えていた憂いが無くなることを

癒しだと定義するならば、

閊えている何かをただ掃けばことが済む。

If defines healing meaning as

the symptom would be healed

when blocked barriers eliminated,

in the same way,

things be able to set

when just swept it out.

 

ただ坐ることが目的で手段であれば、

それを為すことでことが済む。

If just sitting is as a goal or it is also as a mean

then the thing will be set by behave it.

 

癒しの過程や無念の状態に辿る着く過程は

ただ想うより遥かに簡単かもしれない。

The process of reaching to be healed

or be able to to get into nothingness of thinking,

maybe it must be much simpler than just thinking.




Comments (348)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Cooking of honesty and supe... | TOP | Combustion of frame-Combust... »
最新の画像もっと見る

348 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (たかはし)
2018-10-16 09:32:59
掃除と一つになる、ですね。

アメリカでも紅葉するんですね、って当たり前ですね。

我が家の周囲は、気候のせいか綺麗に紅葉しません。それが残念です。紅葉を期待してモミジとかをたくさん植えたのですけど。
Unknown (桂蓮)
2018-10-16 12:29:10
紅葉も後数週間で全部落ち、雪が降ります。
これは今日の午後、4時頃
小雨が降っている時に
家の前の公道を渡って
撮ったものです。

名無しさんが家の全景が見えるような写真をと
リクエストがあったので
撮ってみました。

家は右がコナーで左が
伝統300年くらいの教会です。

右側の真ん前庭はこの前の日曜
夫が草刈り、私が大まかに落ち葉を掃いておいたのでしたが、
左側の庭は今日、やる予定でしたが
あいにく雨でできなかったです。

投稿してから
夕飯時だたので、
前回の記事のコメントもざっくりしか読んでなかったので
これから読んでいきます。
Unknown (桂蓮)
2018-10-16 12:41:22
この記事にした理由は
前回の記事でコメントを読むために
自分のブログに結構アクセスしたので
もう飽きてきて
取り急ぎ、個人レッスンが終わってから
書きあげました。

内容もコメンテーターの知識層に
少しだけでも終えるべく
坐禅カテゴリーに入るテーマにしたのです。

と言っても
日常生活の育む中での
こじんまりした身の周りで起きる、
些細な禅類似体験ですが、

読む層が世界人というのもあり
英語圏でもあるから
どうしても
スケールが小さくなってしまいます。

ここは
坐禅ってなに?と聞かれるケースが多く
その言葉さえきいたことが無い人が大部分です。
そんな人に向けて書いています。

ですが、皆様の博識な見解で
私のミクロなサイズを
マックスに拡大していけたらと願っております。

ご指導など宜しくお願いします。
Unknown (ZIP)
2018-10-16 23:42:57
御坊哲さんのブログで、今回の記事に書かれている、形式論理の埒外にあたることが、即ち、
掃除と一体になることと言えるでしょう。
形式論理だけが自己であるとは言い切れないわけです。
つまりは諸法無我なわけです。
率直な所見 (桂蓮)
2018-10-17 06:16:06
コメンテーターの方々へ

最近、この数週間で行われた
コメントの流れをみてみますと、

①皆様は記事内容と仏教思想を関連付けしてくださった。

②私が思う本拠地としての恐山ブログとここのブログがコメンテーターによってリンクされつつある。

③各位コメンテーターは時と場所を弁えて、その都度適切な意見交換がなされている。

④コメンテーター同志、情報交換及び知識を媒介した交流が基盤にある。

⑤仏教思想に多格的な視点が提示され、その見方への詳細な評論がなされている。

⑥コメント内容は豊かな機知が溢れ、
 質問者への機敏な応対が見られる。

⑦参加者中の一人を置き去りをしなく、話題に誘ってくれている。

⑧性別による差別を避けている。

⑨知識の多少で人を欺けない。

⑩ブログ主も参加者のコメンテーターも交流によって可変している。

大まかですが、上記にて私の感想をまとめてみました。

私も毎回、確実に
より真剣になり、
より謙虚に
より管理者としての重みを感じるようになりました。

一匹狼として
独り言をいっていたような寂しさも
今や
他の一匹狼方々が群を為してくださり
それらでもって、
これからも
格式のある意見の場にしていけたらと
願っております。

謹んで感謝の念を示し、
人の育成に協力して頂いたことも
次世代に何らかの意味をもたらすことになると期待して止みません。





Unknown (Unknown)
2018-10-17 07:23:05
スクロールに疲れ果てたケイレンさんは前記事の最後コメ(byたかはしさん)を見逃しているかもしれませんので、再度彼のコメを書いてみます。
『コメを新しい順に並べればよい』

まあ私的には古い順の方が、話の流れがよくつかめて、一つ一つのコメへの応答が書きやすくなる感じです。
かなり時間をかけて、上下にスクロールにスクロールを繰り返して、何度も読み返して、
ジックリ自分の意見・見解・疑問点などを醸成させる。そうする価値が有ると思っていますが・・

もともとケイレンさんは
自分の記事やコメを二度見なんてしない、
書きっぱなし読み流しが自分の流儀だとかおっしゃっていたから、

前回の記事・コメを契機として、
ご自分の「コメント方針と接待態度を大きく変えた」という事は
どういう意味に成るのでしょうか??
Unknown (桂蓮)
2018-10-17 08:29:59
Q:「コメント方針と接待態度を大きく変えた」という事は
どういう意味に成るのでしょうか?

つまり、以下の名無しさんの意見とそっくりなので、手抜き作戦でコピペしておきます。


A②:『A①:まあ私的には古い順の方が、話の流れがよくつかめて、一つ一つのコメへの応答が書きやすくなる感じです。
かなり時間をかけて、上下にスクロールにスクロールを繰り返して、何度も読み返して、
ジックリ自分の意見・見解・疑問点などを醸成させる。そうする価値が有ると思っていますが・・』

付け加えて、
コメントを細かく読むようになりました。
読み流し
ちら読み
慌て書きコメお返し
性急な判断などの
私の悪質な癖を改善しつつあります。

私も習える動物なので、
その辺のDNAには己のことながら
持ってよかったなと。

そういえば、読む習慣は
亡き父の教えで
常に何かを読んでいないと
怒られてましたね。


ブログコマシャールブログ (桂蓮)
2018-10-17 08:51:52
過去3週間の閲覧数・訪問者数とランキング(週別)
日付 閲覧数 訪問者数 ランキング
2018.10.07 〜 2018.10.13 2702 PV 938 IP 12775 位 / 2843344ブログ
2018.09.30 〜 2018.10.06 2134 PV 874 IP 12850 位 / 2842419ブログ
2018.09.23 〜 2018.09.29 1617 PV 731 IP 16560 位 / 2841592ブログ
Unknown (桂蓮)
2018-10-17 09:03:02
おっととと、
マウス操作ミスって投稿されてしまいました。

言いたかったのは
3列目の結果はたかはしさんが交流する前のデーターで
1列と2列はたかはし効果です。

参考までにたかはしさんのブログURLは
https://blog.goo.ne.jp/karazima

たかはしさんはご自身のブログランキングなど
気になさっていないようで
私が知っている限りだと
①日常の日記を自己に向けて書き残している。
②他人からの関与をあまり望んでいない。
③知人との関りの手段として活用している。
④刻私的な記録内容
⑤身の回りのイベントや出来事など

たかはしさんのブログについて私誤解のまま書いてますかね?




Unknown (たかはし)
2018-10-17 09:38:33
コメントを新しい順に並べると、直近の10ぐらいのコメントがすぐ読めますよね。

なお、紹介された私のブログは、仕事してた時の友人への近況報告がメインですね。

毎年、ブログ見てるぞ、という年賀状が届きます。

post a comment

Recent Entries | 坐禅