いろんな人生があって、いろんなしあわせがある。
こんばんは*
トータルスタイリスト中村ナオです。
ラインのファッション系の公式アカウントをいくつかフォローしてるんですが、今日はその中からVOGUE のコラムをご紹介します。
VOGUEはスタイルの記事ももちろん面白いんですが、コラムもおもしろいんですよね。
今回のこの記事も、うんうんと唸ってしまいました。
ぜひ、お時間あるときにご一読ください。
(リンク以下の内容は、↓の記事を読まれてからの方がいいかと思います。)
https://www.vogue.co.jp/beauty/worldbeauty/2019-05-01/not-al-women-want-to-be-mothers/cnihub
私は、いわゆる
「世間の風潮」
とか、
「女性なら、男性なら〜〜であることを望む“べき”」
といった、「押し付けがましいしあわせ論」には、ついついアンチテーゼを投げたくなる性分なんですね。
人生の選択肢なんて、本当は人の数だけある。
ところが、例えば今回のコラムのように、結婚や出産となると、「するか?しないか?」という2択の視界に、みんながなってしまいがち。
(結婚や出産に限らず、そういう視界のものは数多存在します。)
この2択の視界でものごとを見てしまうときに、
一方を尊重し、一方を批判する。
というのは、私は非常にナンセンスだと思うんですね。
「世間の風潮」も、
「女性なら、男性なら〜〜であることを望む“べき”」という「押し付けしあわせ論」も、大きく見れば、
一方を肯定し、一方を否定するもの。
この視点っていうのは往々にして、
「一方を選んだ私の選択は正しかったんだ。」
という自尊心を、
「もう一方を批判すること」
で満たそうとしてるに過ぎないんだと思うんですよね。
例えば、産む産まないというテーマは、政治家の失言の元にもなったりしていますが、そのように、当事者ではない人が一方を肯定し、一方を否定するという場合。
(政治家はある意味ではそれが仕事でもあるけれど、それは政党同士や国同士でやってくれ。国民の人生の選択にとやかく言うから問題になる。)
そういった場合でも、
「一方を否定することで、自分の経験値やこれまでの人生の選択の諸々を肯定したい。」
という感覚が含まれてるんじゃないかと思うんです。
自分を認め、他人を認める。
選択肢も、選ぶ理由も、人の数だけあるもの。
でもそれだと都合が悪い人たちが必ずいて、2択の世界が生まれるんじゃないかな。
しあわせなんてね、最後は自分でしか測れないよ。
毎日をどう思って生きるのか。
人生の旅路を終えるときにどう思うのか。
答えは自分にしかわからないし、自分の答えにしか納得できない。
不用意な不平不満は、納得の人生を遠ざける。
私はこう思ってこれを選んで、だから今しあわせなんだ
って、ひとりひとりが言えたら、狭い2択論それ自体が生まれないんじゃないか。
、、なんてことを、考えさせられた記事でした。
あなたはどう思いますか?
ではでは〜
おやすみなさい⭐