日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
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津神社はむかし公民館でした

2020年01月19日 15時09分25秒 | 日記
安倍口新田は、徳川家康が駿府城に居た頃・・・1605(慶長10)年4月16日、徳川家康は、将軍職を我が子・秀忠に譲り、駿府を隠居所に決めて、「大御所政治」を行ないます。1607(慶長12)年から1616(元和2)年の間、実質的に駿府城が日本の政治の中心として機能していました・・・駿河国志太郡相川村から相川善七ら7人の農民が移住して開拓した新田です。相川善七の墓は内牧の結成寺にあり、この付近には相川姓が多いです。

安倍口というのは安倍川の流れが賤機山西麓辺にあったころ、駿府から安倍山中への入り口に、この村があたっていたためだそうです。

津神社(つじんじゃ)で検索すると、岐阜県岐阜市にある津神社に行き着く。伊自良川に架かる島大橋の西岸にある。社伝によると、推古天皇の時代、伊勢国安濃郡津(現・三重県津市)より勧請されたという。勧請元の神社名は不明である。

その先は全く不明です。ここまで辿り着いたのは「安倍口新田の庚申塔」で検索した結果です。郷土史に詳しい方の応援をお願いいたします。


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