初心に返る | 中学理科教師のつぶやき

中学理科教師のつぶやき

中学校理科教師として25年。ひとつの意見として、ここに私の日々考えたことを記録していきます。同業の方、現役生徒、現役親御さんとのネットでの交流もできるといいですね。

初心忘れるべからずというが
人は簡単に初心を忘れてしまう。

特に仕事に関しては、そう。

仕事にはジョブとワークの2種類があるという話は

結構あちこちで耳にする。
ジョブというのは、給料のためにはたらくこと。
ワークというのは、使命をはたすためにはたらくこと。
などと言われる。


ホームワーク=宿題は、いくらやってもお金はもらえないでしょ?

自分の力をつけるためにやるんだよ。
お父さんが家族を養うためにお金を稼いでくるのは
ジョブというのです。なーんて説明に、そうか、そうだったのか。

と感心したのは中学生のとき。
確かに、ライフワークという言い方はするが
ライフジョブという言い方は聞いたことがない。

ジョブにしてもワークにしても

仕事には、2つの面がある。
使命感を持って世の中に貢献するという面。
もうひとつは、対価として報酬を得られるという面。

なんのために仕事をするのかと言われると
この2つの面に触れないで仕事を語ることはできない。

しかし

初心を忘れた人は
いつの間にやら対価、報酬に注目して
仕事を否定する傾向にある。

これしかもらえないから、馬鹿らしくてやってられない。
認めてもらえないので、やる気が出ない。

結論は、もう働きたくない。というところに落ち着く。

その結論を導き出すために
報酬が少ないことを言い訳とし
報酬を出す人を非難し
自分は虐げられた悲劇の人となる。

初心に立ち戻るとはどういうことか。

その仕事をなんのためにやろうと思ったのか?
少ないとは言え、家計のいくらかの足しにするつもりで

就職したのではなかったか。
報酬など度外視して

社会的に貢献したくて始めたのではなかったか。

人が生きていくためにはお金は必要である。
誰かに認められるということも必要である。

それでも、そんなに多くのお金や
多くの名誉や評価がなくても
生きていけるのは間違いない。

現代は、福祉や経済が発達、充実しているのだ。

報酬や人間関係に泣き言を言うよりも
常に自分の目的、はじめに考えていた社会貢献の価値を
今一度問い直しておこう。

自分の決めたように生きたい
主体的に生きたいのならば
他人や環境、社会のせいにして
自分の目的を否定してはいけない。
夢や理想への道筋を自ら閉ざしてはいけない。

打つ手は100万通り
まずやってみる
引き返すことはいつでもできる。
やめることもいつでもできる。

仕事についての考え方は
どの仕事に関しても同じなんだけど
教師の仕事について具体的に知りたいなら
明日の講座に出席すれば良い。

ただし、厳しいけどね。

生徒のため、社会のためと思ってやっていたことが
自分の立場を守るためだったと自覚してしまうから。

その自覚を受け入れた先にホントの主体性があるんだけどね。

明日の講座のテーマは
「教師のお仕事」
遊んでいるようで、意味のある仕事
意味のあるようで遊んでるのと同じ「仕事」
この辺を分類しながら、教師の仕事を俯瞰します。
そうすることで本当の目的、やるべきことが見えてきます。