この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。





ライダースーツのまま
ひっそりと佇立する鷲羽海斗は薄客席の薄暗がりに
見事に溶け込んでいる。
先程の綾周に寄り添う姿にあった無駄なオーラは
スイッチを切った照明のように消えていた。


「行こ 行こ アヤちゃんって
 可愛かったね。
 瑞月君、君にはプンプンだぞ。」

「‥‥‥‥やはり、そうなんでしょうか。」


感じてはいた。
作田はほっとした。
進歩はしている。


「それはそうだよ。」

「‥‥‥‥綾周ですか?」


作田は応えなかった。
考えさせなければ進歩はない。


代わりに
下の様子を眺める。

リンクの端で柵を挟み西原が長身の男性に向き合っている。
男性の顔がパッと明るみ
何か口早に西原に話し出した。
その手がいつしか柵を握っている。


西原が何か応えると
長方形のリンクの短辺にかかるカーテンから伊東が現れ
その後ろから瑞月がワーイといった様子で続き、
ブンブン手を振る。


すーーーーっと
スケーターの中から一人が抜け出し
瑞月に滑り寄っていくのが見えた。
高遠だった。

肩を抱き
頭を撫で
何か言い聞かせると
瑞月に並んで群れに戻っていく。


同時に
群れのみんなから
ミヅキ ミヅキ と声が上がり
手が振られた。


先程の男性は
固まったまま首だけが瑞月にくっついてジリジリ動いていく。
そして、
男性の脇にいた銀髪の男性に顔の前で大袈裟に手を振られてビクンとした。


今度はその銀髪の男性に
コソコソっと話して
もうリンクを向いて動かなくなった。



 まあ
 瑞月君は
 リンクにいるしな‥‥‥‥。


「あの人が瑞月君の先生かい?」

「はい」


かなり心配性の先生のようだ。
それも、
瑞月の場合必要なことかもしれない。


そんなことが頭を掠めたが
作田の興味は
もう高遠に移っていた。
高遠が瑞月に踊りみたいなのを教え出していた。



その動きが一々明確で、
瑞月にも分かりやすいだろうが
周囲にもよく分かる。

メンバーを指して
それから動くものは
おそらく
そのメンバーの滑るパートなのだろう。


指された少年や少女は
何となくその動きをなぞるようにその場で
腕を上げてみたり型を取ったりしたくなるようだ。


 
周りの金色やら褐色やら黒やらの頭が
いつの間にやら
高遠と瑞月を取り巻いて群衆から集団へと姿を変えていくのを
作田は興味深く眺めた。
高遠の笑顔が場の中心となっていた。



 いい笑顔の男だ
 ああいう笑いのできる男は
 人を動かす


と、
頷きながら
作田は視界の端にひっかかるものを感じて
先程瑞月の現れたカーテンを見た。


そーっと
カーテンが揺れる。
そこから覗いている小さな手が見えた。
西原と伊東の位置からは隠れている引っ込み思案の子どもも見えているに違いない。



 こっそり隠れて見ていたのか‥‥‥‥。

作田の心はチクっと痛んだ。
綾周は寄る辺ない子どものように感じられる。



揺れるカーテンは
 入ってみたいな
 もっとよく見たいな
現れだ。
高遠の笑いが綾周も会場に誘い出したようだ。




海斗がすっと動こうとする。

「どうした?」

作田は穏やかに尋ねた。
己もそうしたくなった。
だが、
海斗はダメだ。



「綾周が出てきました。
 一人です。」

海斗は淡々と答える。



その通りだ。
一人は可哀想だよな。
だが、
構っちゃならん場合だってある。
それを教える手間も時間もかけられないが
作田としてはここは阻止しておきたい。



「だから?」

何でもないことだ。
そう伝えるには声のトーンしかない。
作田は海斗以上の淡々とした声で応じた。



「呼んでやります。」

作田は一拍置いた。
鷲羽の警護は大したものだった。
様々な危険は未然に防ぐことが肝心だ。


四角い顔に精一杯の笑顔を浮かべて
伊東がカーテンに向かっていた。
そして、
情というものがある。


「ほら
 伊東さんが声をかけてる。
 だいじょうぶじゃないか?」

作田は
のんびりと宥めた。



「綾周は伊東を知りません。」

 ああ そうかい
 でも君はだめだ

教えてやりたいが、
自分が惚れられているという明らかな事実が理解できないアンポンタンに
教えを自分に引き寄せて考える力はないだろう。



「伊東さんが西原さんを呼んだようだよ。
 アヤちゃんは西原さんになついていた。
 だいじょうぶだよ。」

本当に
作田は西原が気に入った。
頼りになる。
そして強かった。
高遠豪という男もだ。



いつの間にやら
楽しい楽しい自主練習を和やかに展開しているリンクの明るさは
高遠の力に発している。
しかも
それを自然発生的に完成できるのは並大抵のことではない。


海斗がようやく止まった。




「昔の君には考えられないな。
 よく気がつくようになった。」

これも本音だった。
言ってやりたかった。


海斗はしばらく応えなかった。
作田は待った。



こういうとき、
鷲羽海斗は誠実に答えを考えている。
それはもう学んでいた。



「瑞月と‥‥‥‥道子のおかげです。」

ポツンと返る答えは必ず正直なものだ。



「婚約者だった人だね。」

 聖母はいた。
 やはり
 いたんだな‥‥‥‥。

そんな感慨に
作田はしんみりする。


「はい」

そう答えると
海斗が
すっと柵に寄った。
薄暗がりの中に光の柱が立ちのぼる。


えっ
作田がたじろぐ間に事態は進んだ。
思わずリンクを確かめた。
最低限、
瑞月が気づかぬことが絶対だ。



不思議なほど
リンクは変わらなかった。
そこは高遠という太陽を得て和気藹々と通し稽古に入ろうとしていた。


ほっとしながら作田は気づいた。
海斗は綾周に情をかけただけで
その光は真っ直ぐに綾周に向かっていた。
自分は脇にいるからそれが見えた。



そう言えば応接室でもそうだったのかもしれない。
嫌でも見えてしまう状況では
それは様々な解釈を招く。

だが、
海斗は綾周に優しさを注いでいた。
それだけのことだった。



 それだけのことを
 君はしちゃあだめなんだけどな‥‥‥‥。



引き寄せられるように
綾周が海斗を見上げるのが見えた。
そして、
その頬は染まっているのだろう。
それが遠目にも分かる気がした。


海斗が軽く手を上げて見せた。
綾周は
それが自分に向けられたものか確かめるように
おずおずと周りを確かめる。
そして、
リンクを向いていた西原に何か尋ねているようだ。


西原がこちらを振り仰いだ。
もう海斗は手を下ろしている。
呆れているかもしれないし
仕方ないと思っているかもしれない。


静かに一礼し
綾周に何か囁き返している。
綾周がそっと小さく手を上げてこちらに振り返した。
海斗が優しく頷いてやっている。



そうして
また照明のスイッチが落ちるように
そのオーラは消えた。



「聞きたいんだが‥‥‥‥。」

作田は影となった男に声をかける。


「はい」

声だけが返る。


「君は
 瑞月君を見つめるとき
 どうして気配を消している?」

「今は
 スケートの時間です。」

「呼び掛けたくならないのかい?
 見ているよと。
 今
 綾にしてやったように」

「瑞月は俺の中にいます。
 いつも共にいる。
 契りを交わしてから
 離れたことがありません。」

「そうか」

納得するしかない。
それも真実なのだろう。


ともかく
瑞月は笑っている。

まだ怒っているかもしれないが、
今は平和だ。


「はい」

そして、
海斗はまた影となった。



楽しい自主練習は
どうやら終わりを告げた。
高遠らが
瑞月の先生だという男性の前に滑り寄って行く。


瑞月を残して
他の子どもたちがリンクから上がっていく。
先生が何事か言い聞かせ
何だかえらく固そうな眼鏡の女性が出てきた。


にっこり笑うと
眼鏡の縁をくいっと上げ
しげしげと瑞月を覗き込んだ。
眼鏡女史って感じだな
作田が思ったときだ。



「瑞月ちゃん
 また海斗さーん?」

とんでもないテンションで
嘘みたいな言葉が体育館に響き渡った。


作田は思わずキョロキョロ辺りを見回し
反応を窺ったが
金髪銀髪茶髪の異国のメンバーは
ゆったりと柵の周りでニコニコしている。

高遠もだ。



「だいじょうぶです。
 日本語がわかるのは俺たちだけですから。」

ひどく低くなった海斗の声が説明してくれた。



「ううん ちがうよー
 夕べは抱っこで寝たもの。
 さっきはね
 ぼく 海斗の中で眠っちゃってたの」

さらにとんでもない答えが続く。


 ちがうって、
 何とちがうって言ってるんだろう。


 あれだろうか。
 いや
 こんなあからさまには言わないよな。


作田は
小さく咳払いして、
夕べ瑞月を抱っこして寝た男に
こそこそ話しかけた。



「‥‥‥‥照明室とかあるだろう。
 聞こえないか?」

「結城先生が海外のメンバーで固めました。」


 あ、ああ結城っていうのか、あの先生
 いや
 そうじゃない。
 これ、止めなくていいのかって話だ


作田が
もう一度咳払いして、
質問を変えようとしたときだ。



ぱんっ!


眼鏡女史が
両手を打ち合わせて
天井を仰いだ。


新発見の歓喜に震える研究室の女性科学者か?
の風情だ。
日本語の分からないメンバーたちも
その迫力に押されているようだ。



まるで舞台劇みたいな展開が止まらない。




「まあ 素敵!
 瑞月ちゃん 幸せね」
 

 素敵なんだ‥‥‥‥。

 人が人の中で眠っちゃうって 
 非科学的だって思わないのか。

その非科学を極める様々が視えるようになった今も
これは現実なのかと作田は悩んでいる。
いっそ清々しいまでの断言が羨ましくなる眼鏡女史の突き抜けぶりだった。



「ううん
 幸せじゃないよ
 ぼく 怒ってるの」

 ああ
 やっぱりね


「あら
 朝から喧嘩した?

 すごく嬉しそうだな


「さっきだよ。
 海斗が来たの。
 でね、
 海斗、えっとね、ウワキしたんだよ



 ウワキって浮気のつもりかな‥‥‥‥。


子どもは言うことが極端だ。
日本語のわかるメンバーがどうしているかと
下を覗き込むと
高遠は西原と綾周を囲んで笑い合っている。


綾周は戸惑いながらも微かに笑みを見せていた。
二人の若者の
何だか慣れきった様子がいいのだろうか。



 これは‥‥‥‥いつものことなんだろうか

それはそれで恐ろしいような気もする。
作田は思わず頭を振った。


伊東がその輪に入っていない。
結城先生を見詰めているようだ。
そして、

「結城さん」
思い切ったように
声を掛ける。



伊東の悲壮感溢れる表情から
事態を深く憂えていると分かる。
作田も憂えていた。

だが

 なぜ結城先生なんだ?

止めるなら眼鏡女史だろう。
そう思ったときだ。



結城先生が
決然と振り返るのが見えた。

顔が凍り付いている。
人間の顔がここまで無表情になることは滅多にない。
デスマスクみたいだな
作田はぼんやり考えた。


観客席を走査していく暗い目が
ついに作田の背後を捉えた。



画像はお借りしました。
ありがとうございます。


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