今日は、

たぶん書く時間が物理的にないです。

 

ここまでで一件

ここから一件

リアルに時間が詰まりました。

 

生きてる実感はリアルで補充して、

次は物語と思います。

次の一件が始まる前に書いてしまいます。

 

 

SNS、特にTwitterと読書に思う

 

 



blog、

Twitter、

Instagram、

店主には想像もつかぬ他の手段も含め、

SNSで発信をする人の数はまさに星の数。

 

 

では、

その数多の星々がどう繋がりあうかというと、

いつしか数多の銀河を形成しているものでございます。

 

 

 己に心地よいものを見る

 己の心に響かぬものは見ない

 

 

としますと、

リアルの場合には嫌でも向き合わねばならぬ種種雑多な人々は

それぞれのSNSの世界にはいないことになります。

ちょっとそこを恐ろしく思いました。

 

 

 

 いや

 発端は

 リアルでの話なので、、

 立場が同じ集まりの場合、

 その外にあるものを変えていくには

 ただ周囲の無理解を嘆いているだけではアカンということなのですけどね。

 

 

 変えようとするなら

 向き合うでしょう。

 周囲の無理解を嘆くだけならかつての全共闘の最終段階と同じです。

 

 

 

難しいなって思いました。

よろず何事につけ

同じもので結束しますとき

その先に進みますにはより高次の何かが必要でございます。

 

 

 

どう協調していくか。

知恵と勇気はそこでこそ試されるのですけどね。

 

 

 

それって

何かを変えたり生み出したりする力にならないな……。

などと思った次第でございます。

 

 

店主もSNSにおいては、

「なさる人はなさる

 なさらない人はなさらない」

まあ

達観したという経験がございますが、

それは特段の目当てがない漠然とした集まりの中で生じる病的なものでございますから、

と思っております。

 

 

リアルで何かを変えたかったら

そこに否定と破壊の先がないと変えていくことはできません。

そういう知恵を若い世代に残せていないこと、

店主の世代の弱さかなと思っております。

 

 

ただ

相変わらずTwitterをやらない店主、

やらないくせに失礼極まりない感想なのですが、

情報の多くをTwitterに得ますことに若干の危惧を感じております。

 

それはリアルの対応でも歪みを生じます。

なぜかというと、

フィルターを通っているからです。

 

 

自身と似た感覚、

自身に心地よい感覚、

その中で趣味の情報であってすら歪んだものはございます。

 

誰を好きで

何をよしとするかのフィルターが

既にかかっておりますとき

そこを出て物を考えるのは難しくなるのではないか。

 

そんなことをチラチラ思いました。

 

 

 

情報の入手において、

多角的な視点を受け入れる度量。

必要なものと強く感じております。

 

社会を見つめていきますとき、

そのtweetを知らぬものを下に見る感覚をもつとき、

それは遅れてるということであってもなのですが、

その情報を疑う心が麻痺していくのではないか……。

 

 

 


SNSに発信責任は薄いものでございます。

店主、

古書店なぞと看板にいただくくらいなんで

古臭くも紙ベースで本を読むことに

拘りがございます。

 

 

流れ込む情報の怒涛も

今の世には必要なものでございます。

社会は動いておりますから。

 

 

が、

その怒涛に

ただ身を浸しておりますと、

いつしか偏った何かに侵食されるものもあるのではと思うのです。

 

 

書籍だっていい加減だといえばそれまでですが、

書籍は流れ込んでくるものではありません。

そして文責が明確でございます。

 

 

怒涛に向き合う自己を確立させてくれる手助けは必要なんじゃないかなー

などとTwitterの重要性を弁えた上で

考えたりいたしました。

 

 

自己を確立する。

他を容れる度量をもつ。

そのために必要な何かが本にはある気がするんですよね。

 

 

とりあえず

それだけ

書かせていただきました。

 

えっと

紆余曲折の末、

本日の思いでございます。

 

 

みんな 本を読もうよ

 

 

画像はお借りしました。

ありがとうございます。

 




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