おはようございます。
大阪は,今朝も朝から「緊急速報メール」の着信音が鳴り響いていました。
降り続く雨のなか,コロナ禍における自粛をうながす警鐘のようです。
昨夜は,母と1時間ほど電話で会話しました。
僕と話す前は,「テレビのニュースで聞いたことのある地名とかお兄ちゃんの暮らす周辺の映像がでてきて,心配で電話してた」そうで,まぁ,自然災害というのはファミリーの絆を深める側面においては,いい機会ではあります。
(被害に遭われたみなさま,ご家族には謹んでお見舞い申し上げます。)
母の近くに暮らし始めて5年ほど。
それまでは,電車でも小一時間はかかるところだったのですが,今は,歩いて10分ほどの近さ。
母が座骨神経痛を患い,半介護の状態になったのがきっかけでした。
立つことはもちろん,寝ていても痛いのですから,つらかっただろうし,心細かったと思います。
僕が就職する頃,もうずいぶんと前の話ですが,大阪本社の会社にしたのも,いつかはひとりで暮らす母の近くに住むことを想定していました。
そして,大阪弁をあやつる大人になりたかった。
それが,東京勤務を皮切りに,オランダやドイツ,南カリフォルニアと,ずいぶんと遠回りをしました。
20年経って,やっと関西に戻るとなったときには,妻も子供達も東京を離れるのをいやがり,単身赴任となったのでした。
母のすぐそばに暮らさなかったのは,ひとりの時間を大切にしたかったし,また,神戸方面であれば家族ももしかしたら一緒に住んでくれるのではないかという期待感,そして,母親の価値観に抑え込まれるのを危惧したからでもありました。
セルフイメージというのは15歳くらいまでに創られてしまうようです。
そして,人間の子供というのはひとりでは生きていけないので,周囲の大人,特に,両親に気に入られることが,生き抜いていく上での唯一の手段です。
なので,がっつりと親の価値観に染められてしまっているのです。
それには,いいところも,悪いところもある。
悪いところをあげると,「自分の人生を歩んでいない」感じがしてしまう。
なにか,自己変容をとげようとしたときには,足かせになるのです。
実際,なんどか会社を辞めようかと話をしたときには,猛烈に反対されました。応援してくれればという期待は,持たない方がいいですね。
「いい大学をでて,いい会社にはいって,そこそこ働いて勤め上げること」
それが,人生における成功の方程式だと,信じ切っていますので。
たとえば,銀行の定期預金に預けているだけで,年利7%がついた時代。
そして,年金で暮らせる世代です。
「いや,だから,今は,時代が違うから」
と言っても,顔をしかめるばかりでした。
本来であれば,それをはねのけてでも,自分の道を切り開いていけばいいのでしょうが,そうもいかない理由は,ほかにもあるのです…それは,父が自営で立ちいかなくなり,いつもお金の話で両親がけんかをしていた…
と,幼少の頃の嫌な思い出がとらわれとなって,身動きできない。
そんな親の影響を乗り越え,セルフイメージを書き換えていくことが,「ひとりビジネス」を立ち上げていく中で大切です。
それには,なにをすればいいのか?
名前をかえるのがひとつ。
ビジネスネームをつけるのです。
本田健さんも,ビジネスネーム。
「本だけ」
という思いが込められています。
健さんは,名字も下の名前も両方変えたケースで,慣れるまでに抵抗を感じる方も多いと思われます。
下の名前だけかえる。
日本人の多くが,下の名前を呼ばれるときというのは,親から叱られるときくらい。
なので,これもセルフイメージを下げる原因でもあります。
だから,これをかえてしまう。
濁音が入るとさらにいいので,思い切って,「鈴木ジャンプ」とか…,いいですね~
ほかには,15歳くらいまでの「自分史」を書いてみること。
そのために,当時住んでいたところや通っていた学校に足を運んでみるのもいい。
当時,あんなに急だと思っていた坂がなだらかだったり,あんなに遠い中学校が,やっぱりとおかったり,距離や大きさの感覚をつかみ直すことができます。
匂いをかぐことで,忘れていたことを思い出すことも。
そうやって,幼少期にできあがった思い込みをはずし,セルフイメージを書き直すことができるのです。
過去はかえられないと言いますが,過去に起きた出来事の意味合いは,いくらでも書き換えられる。
つらかったことも成功してしまえば,その成功のために必要なネタだったと思うことができます。
セルフイメージの書き換えをぜひ試してみてください。
朝木陽司|ひとりビジネス準備中🐣@AsakiYoji#ひとりビジネスの教科書 https://t.co/gd3927zpPB
2020年07月06日 07:25
(1879文字)