老子は、どうしても避けられない戦いがあったとしても、
( 自分や家族を守るための戦い。 公明正大な立場
での止むを得ない戦い。) 勝ちすぎてはいけないと
言われております。
アメリカは日本との戦争に勝ちました。
表面上はアメリカは公明正大な戦いと言っています。
日本が奇襲作戦で襲ってきて、止む無く参戦した。
原爆もアメリカ兵の犠牲を抑えるために止む無く使用
したものだ。
本当はアメリカは日本との戦いは、最後まで避けた
かった。
もしこれが本当のことであるならば、アメリカは勝者が
背負うマイナス因子は最小限ですんだことでしょう。
しかし、戦争を避けようとした日本を、何年もかかって
戦争に追い込んだとしたのなら。
あるいは日本はもう講和を望んでいたのに、人体実験
のために強引に2発の原爆を打ち込んだとしたなら。
そのマイナスの負の因子は大きいものでありましょう。
このドラマを観て思いました。
そのマイナスの因子は集団の潜在意識の風景として
世代を超えて引き継がれるのだと。
ワシントンに原爆が落とされる風景。
これが多くのアメリカ人の潜在意識に存在している。
( 個人の感想です )
実際にワシントンに原爆を落とされることはないでしょうが、
それは象徴です。
「 今度は負けるのは自分たちの番だ 」
という風景が共通して潜在意識に横たわっているのです。
良心の呵責とは斯くの如く厳格なものでありました。
人類の意識は根底では全て繋がっておりますから。
相手を傷つけたとしたら、今度は自分も傷つかないと
気がすまない。
それが良心の呵責です。
同時にその良心の呵責は次の世代にも引き継がれる
ということです。
日本はアメリカを許しました。
水に流しています。
しかしもし日本が
「 恨みの国 」
であったらどうでしょう。
1000年でも2000年でも私達はアメリカのしたことを
許さない。
アメリカは私達の気が済むまで謝罪し続けなければ
ならない。
このように日本人の多くが主張したのならどうでしょう。
その場合、本来ならアメリカに還るべきマイナスの因子。
これが 「 恨み 」 によって
日本に留まり続けることになります。
「 恨み 」 とはマイナス因子の吸着剤です。
本来ならアメリカ人の良心の呵責になるはずのマイナス
因子を一生懸命 「 恨み 」 で吸着しているのです。
陰陽の仮説の視点で観ると、その人やその国の運命を
簡単にしかも正確に想定判定することができます。
恨み続ける人、国 。
「 謝れ。 謝れ。 もっと謝罪しろ。 もっと賠償しろ。」
「 許さない。 絶対許さない。 いつまでも許さない。」
とは、
「 わたしが恨み続けている限りは、マイナスの因子は
恨んでいるわたしが代わりに吸着し続ける。」
そういう意味であります。
「 恨み 」 をもつ人や国家は、その恨みに比例した不運
( 間の悪いめぐり合わせ )を引きつけることになります。