先週、数日空けて博多情緒巡り 2コース目

 

「 旧市街寺町通り ~博多の路地はおもしろい 」 コース。
櫛田神社北神門 → 櫛田通り → 東長寺新道 → 桶屋町不動明王

→ 御供所通り → 隻流館 → みやけうどん → 光安青霞園 → 海元寺

→ 選擇寺 → ながさわ結納店 → 西門通り → 西門蒲鉾本店 現地解散

 

 

桶屋町不動明王

この場所の前を通っても、誰もここに仏像が祀られている

お堂があるとは気付かない。

  

人一人がやっと通れるほどの通路の奥に祀られていた。

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店の横の小さな通路の奥にある 「 お不動さん 」。

旧上桶屋町にある店の横に参拝入り口があり、狭い通路を

抜けると奥にひらけた土地があり、お不動さまが祀られた

小さなお堂が建てられている。

この場所は同町に暮らす住民で作る 「上桶屋町不動尊講 」

が中心となって、当番で毎朝お堂を清掃し供え物をしている。

お正月には住職を招いて読経して頂き、不動明王の木版で

お札を作り、厄払いとして地域住民などに配るのが習わしと

なっているそうだ。

 

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なんだかほっとするような、癒される小さなお堂。

わたしたち見学のものはお堂の中へは入れない。

いつもは施錠されて閉められているガラス戸の隙間から、

お堂の中のお不動さんを拝見させていただいた。

 

 

中呉服町にある海元寺

 

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閻魔堂の奪衣婆 ( だつえば ) と懸衣翁 ( けんえおう )

8月16日と1月16日の年2回、この日は地獄の釜が開く日。

人が死んだ後に最初に出会う冥界の官吏が、奪衣婆と

されている

奪衣婆は盗業を戒めるために盗人の両手の指を折り、

亡者の衣服を剥ぎ取る。

剥ぎ取った衣類は懸衣翁という老爺の鬼によって、

三途の川の畔に立つ衣領樹という大樹にかけられる。

衣領樹に掛けた亡者の衣の重さには、その者の生前の

が現れ、その重さによって死後の処遇を決めるとされる。

 

            右が観音堂、左が閻魔堂

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                         観音堂

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                 閻魔堂

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      閻魔様の前に座す奪衣婆 ( 閻魔様よりインパクトある )

 

 

同じ中呉服町にひっそりと建つ選擇寺 ( せんちゃくじ )。

 

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浄土宗の選擇寺は16世紀中頃開かれ、 17世紀には住吉の

妙圓寺 の末寺となっています。

寺の本尊として祀られているのが、木造阿弥陀如来像です。

本仏像は行基の作と伝えられていますが、平安時代後期の

作風と彫技を備え、京都や奈良の中央仏師により造られた

と考えられます。

この阿弥陀如来像は、平安時代の仏像彫刻の優品として

貴重な文化財です。

 

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又、江戸時代、この寺の近くに遊郭がありました。

現在も約 580人もの遊女が無縁仏として埋葬されています。

そのうちの一人で、花街 「 柳町 」で有名であった雪友という

遊女が自分の母親の死を弔うために、このお寺に墓を建て、

今はその母と共にこの寺の墓地に眠っています。

 

 

今回の博多巡りは、光安青霞園 ( みつやすせいかえん )で

お茶のご接待をいただいた。

 

「みつやすせいか...」の画像検索結果 創業三百年の老舗

 

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西門蒲鉾本店では天ぷら蒲鉾と冷たいお茶を頂いたし、

飲まず食わずで歩いた前回よりかなり楽な町歩きだった。

 

博多は京都の次にお寺の多い町。

そして京の町家と同じように、入り口は小さめだが

奥に長い家の作りになっている。

 

 「博多の町家」の画像検索結果

 

又機会があったら参加しようっと。

 

ボランティアガイドの皆さま方、

本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 


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