自分を維持してこその他人の世話 | ずるずると道・郷・話を愛でる

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房総半島から栃木県北部を中心として、
街と街を結ぶ県道・国道・峠道を巡回しながら、
持続可能で成長する日本の未来の為に成すべき事を考えます。
日々の個人的な興味について書くこともあります。

 

自分の国の国民を苛め抜けば、世界のためになるのだろうか。

 

とかく日本は自信を持って行動することが究極的には苦手である。それは敗戦してからより根本的なところでその問題を抱えているように思われる。そもそも結束して対応していかなければならない自然環境、そして国際関係があるというのに、現在の首相が吹聴するような、国民の結束をほとんど無意味にするかのような、地球主義、グローバリズムに酔いしれて、国境も溶かして、これまでの国民に蓄積されてきたやり方すら溶かして、それでも日本が存在し続けるという、「何とかなるさ」の都合のいい解釈で自らを破壊し続けているのである。

 

結果として、1%のカネ持っている守銭奴に対して一方的な金もうけを増長して、99%のカネ持たざる者を貧困に叩き落す。それによって、少数の金持ちは持て余した金を消費のために使いきることもなく、需要は縮小し、労働がまともな生産につながらず、国力は衰退する一方である。それが、日本に蔓延する新自由主義の考え方に基づく国境無視主義、グローバリズムの引き起こしている事実である。

 

それでも、ギリギリこれまでの遺産で耐えている日常風景に安心し、これまでのしがらみがなくなって、自由はいいよねと今の結果と自由に傾きすぎた状況に矛盾を感じない状況が続いている。政府も現在の路線を続けるために、その幻想を国民に見させるように躍起である。その結果、意識から遠のく現実が認識されないまま、非道状況が進行していくのだ。そこで覆い隠された事実、それを政府が率先して推し進めていくという新自由主義という考え方は、人が自由になるためには、まったく逆だったことにも気が付けない。

 

そんなひどい有様ではあるが、それを認識しないことによって、我が国は、精神的国力を維持している!などと間違った認識で、道徳的なことを優先して行おうとする。それが、移民50万人導入という話を否定できない状況をもたらすのである。そんなものを引き受ける社会の余流も国力の余裕もない状況で、ただただ、低賃金の労働者を、外国の貧民をブローカー経由で輸入するという技は、そもそも結束して国の維持に努めなければならない日本にとっては、負担が大きすぎて、破壊的な結果しか残さないものである。

 

人のために役立つためには、それを引き受けるための自分自身の余裕がなければなすことができない。

新自由主義でしばきあげられすぎた、社会やその経済では、そんな余裕もないだろう。人を引き入れるということは、社会の一員として入ってきてもらうことが前提であり、国内に別の外国やスラムをつくることではないのだ。中間共同体がよわまりバラバラになった国民は、そういう状況を改善できる状況ではないのだ。まずは、国民が中間共同体の力で結束していくことが必要だろう。そうやって初めて、移民の議論はできるというほどに、移民の問題は、その場しのぎのカンフル剤として使用するには、即死するほどの服作業の危険があるのである。