ロシアにとられつつある北方領土。空気を読む思考は、巧みに現実を見ないことであった。 | ずるずると道・郷・話を愛でる

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房総半島から栃木県北部を中心として、
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空気を読むことは確かにコミュニティーの中でうまくやっていくことにおいて基本的な生き方には違いない。それを尊重することは、場をうまく維持するためには大事なことだろう。

しかし、あまりにもつらい現実を見ないふりをすることは、一時的な回避行動としては許されても、恒常的な態度としては、許されるものではない。それが、国家の体の一部ともいえる国土の話であるとすると根本的に自虐的な態度でしかないのだ。


 

維新の議員である 丸山穂高議員 が、ロシアに戦争で勝たない限りは、北方領土は取り返せないといったという。北方領土は4島のことを指しているのであろうが、本来は、あいまいな協定で軍事攻撃で強奪された、南樺太、千島列島に対していうべき内容だったであろう。

 

しかし、議員の言い放ったことは、ほとんど状況的に事実である。

しかし、空気を読めばそんな発言ができないというのは、次のような事柄が想起されるからだろう。

 

本来我々が持っているロシアに無理やり奪われた領土を取り返したいがゆえに戦争による解決手段をとる可能性を明示したこと。

生産能力も地に落ちていて経済大国でもない日本が、日本の米国依存関係が解消されない限り、交渉などでは決して取り返されることはないこと。

 

それは、日本国家の無力さ、米国の属国であり、中国の経済的属国に過ぎないことを目の前にさらけ出すことになるのである。本当は北方領土をロシアから取り返すためには、少なくとも、戦争をしても戦えるぐらいの勢力を持っていないと、交渉とやらすら成立しないのである。

 

そのやな国力の差を認識もできない首相安倍が、ほいほい小手先の譲歩をしたところで、体のいい御用聞きとして使われ、ただ働きで国富を提供するだけに終わるだろう。もちろん、首相周辺にその見返りがあるかもしれないが、ほとんどの国民からすると、ただで国富をロシアにくれてやったということ以外は何もないのである。

 

如何に、日本経済がぺらっぺらなものになっているのか。それを認識することから、交渉とやらの準備がようやく始まるのである。任期中に片づけることができるような状態にはなっていないのだ。もし、アベノミクスとやらが、国力をつけるためのものであったとしたら、大失敗しているのである。その認識がない限りは、。北方領土交渉を始める準備をする資格はない。

 

日本円をいくら多くしたところでそれが自国の生産力につながるような経済をもたらしていないとするとそれは国家の経済政策としては失敗なのである。できるだけ多くの国民を苦いっぱぐれることなく能力を最大限発揮させて生産につなげていくのかというための経済政策が対ロシアの問題のためにも必要なのである。