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大坂なおみさん、全米テニス優勝おめでとうございます。今年になって急に強くなりましたね。日本は夏以来、災害が続いてつらいニュースが目立ちますが、大坂さんの活躍は明るい気持ちにさせてくれます。
ところで、なおみさんはなぜ「大坂」なのでしょうか。ゴージャスなムードと天然トーク。ノリも完全に大阪です。何十年かしたら、立派な「大阪のおばちゃん」になりそうですね。
苗字が「大坂」なのは、お母さんの姓から来るのですが、お母さんは北海道の根室出身といいます。根室なのに「大坂」とはこれいかに。そういえば、長期間逃亡生活を送った中核派の大坂正明被告も北海道出身でした。北海道や東北には「大坂」の苗字が多いのです。一方、大阪には「大坂」の人はあまりいません。
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歌川廣重「備後鞆津」 手前が北前船
戦国時代まで大阪は「ナニワ」(難波、浪速)と呼ばれていました。「大坂」の地名の初見は本願寺8世・蓮如の御文(おふみ)です。大阪は江戸時代に「天下の台所」となって栄えます。北海道を海路で結んだ北前船は、北海道から昆布などの海産物を、大阪からはコメや日用品などを運びました。
北前船が接岸したのは箱館、松前、江差、根室といった港です。港町には大坂から移り住んだ人もいたことでしょう。商人は店を構えて「大坂屋」と号しました。明治になってこうした人たちの末裔は「大坂」を名乗るようになりました。「大坂屋」「大坂谷」という苗字もあります。なおみさんの先祖も大坂との商いに関係があったのでしょう。
「大坂」は海路をつないだ交易から生まれた苗字だったのですね。グローバルな活躍をするなおみさんにふさわしい名前だと思います。
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靭公園
ところで、なおみさんは3歳のころまで大阪市に住んでいました。ハイチ系アメリカ人で英会話講師をしていたお父さんの仕事の関係のようですが、大阪と深い縁を感じます。なおみさんは3歳からテニスを始めました。西区に靭(うつぼ)公園というところがあり、そこのテニスコートで練習していました。
この靭公園、実はアメリカと関係があります。戦後、進駐した米軍が飛行場として使っていました。昭和27年に市に返還され公園として整備されました。園内には靭庭球場と靭テニスセンターがあって、大阪のテニスの「聖地」になっています。米軍が接収しなければ広大な土地が残されることもなかったでしょうし、テニスコートが作られて、なおみさんが練習することもなかったでしょう。
もうひとつ因縁感じるのは、靭には江戸時代に海産物市場があったことです。そこでは北海道から運んだ品も商われていました。
アメリカとも北海道とも関係のある大阪の地でテニスの第一歩を踏み出したなおみさん。それにしても、ちっちゃいラケットを振る姿を見てみたかったですね。
靭公園には近所に住んでいた梶井基次郎の文学碑がありますが、なおみさんの銅像が立つ日も遠くないかもしれません。