二百円札の藤原鎌足
新紙幣が2024年に発行されることになって、お札談義に花が咲きます。「そういえば福沢諭吉の前ってだれやったっけ」「2000円札はだれや」。自分も含めて、けっこう間違える。これだけお世話になっていながら、よく見ていない、よく覚えていないのがお札です。
お札といって誰を思い浮かべますか。私の場合、今も聖徳太子です。「紙幣界」のカリスマである聖徳太子は、100円、1000円、5000円、10000円の「4冠」を達成しています。
100円は1930年が最初で、50年に1000円、57年に5000円、58年に10000円が発行されました。聖徳太子は戦中の欠乏も高度成長の金満も知っています。それにしても、聖徳太子ほど紙幣にしっくりくる人もいない。広く敬愛されているけど、遠い昔の人。紙幣ですから、よごれたり、くしゃくしゃになったり、やぶれたりすることもあるわけで、これが、最近の人の写実的な絵であると抵抗をおぼえます。でも聖徳太子なら許してくれそうですね。
ところで紙幣の聖徳太子の肖像は、聖徳太子ではなく中国の役人という説があります。紙幣の肖像というのは、あまり信用できないのです。
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二十円札
大化の改新の藤原鎌足がお札になっていたことはご存知でしょうか。明治から戦前にかけて20円、100円、200円で登場しました。藤原氏1000年の礎を築いた人なので金運はありそうです。でも、聖徳太子と同様、「なんで顔わかんねん」とつっこみたくなりますね。わかるわけがありません。創作されたものです。描いたのはなんとイタリアの版画家でした。鎌足はイタリア人の空想の産物だったのです。
キヨッソーネ
エドアルド・キヨッソーネ(1833年~ 1898年)。銅版画の高い技術をもった人で、紙幣製造の指導者として明治政府に雇われて1875年に来日し、大蔵省紙幣局(現・国立印刷局)で働きます。
キヨッソーネを知らなくても、明治天皇や西郷隆盛の肖像を描いた人といえば、わかっていただけると思います。この人の特徴は、「適当に顔をつくる」才能があることです。西郷さんは西郷さんの弟・従道と大山巌の合成です。
「造顔なんでもあり」は紙幣の肖像で際立っていて、藤原鎌足は、総理大臣や大蔵大臣を歴任した松方正義(1835~1924)がモデルです。藤原鎌足がなぜ松方正義なのか、合理的に説明できません。なんとなく、としかいいようがない。蘇我氏を滅ぼした勇敢な人だからこんな顔かな、と。しかし、明治の薩摩人が飛鳥人に似ているはずもありません。顔が濃すぎます。彼の手にかかれば、藤原鎌足が西郷どんでもよかったわけです。泉下の鎌足は「これ俺かい?」とあきれていたことでしょう。
松方正義
お札と比較してみましょう
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これまで次の17人の人が紙幣の肖像になりました。
神功皇后(じんぐうこうごう)
板垣退助(いたがきたいすけ)
菅原道真(すがわらのみちざね)
和気清麻呂(わけのきよまろ)
武内宿禰(たけのうちのすくね)
藤原鎌足(ふじわらのかまたり)
聖徳太子(しょうとくたいし)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
二宮尊徳(にのみやそんとく)
岩倉具視(いわくらともみ)
高橋是清(たかはしこれきよ)
伊藤博文(いとうひろぶみ)
福沢諭吉(ふくざわゆきち)
新渡戸稲造(にとべいなぞう)
夏目漱石(なつめそうせき)
野口英世(のぐちひでよ)
樋口一葉(ひぐちいちよう)
歴代の肖像
https://www.npb.go.jp/ja/intro/faq/index.html
和気清麻呂も武内宿禰もキヨッソーネの作品です。和気清麻呂は木戸孝允、武内宿禰は当時の大蔵省印刷部長・佐田清次がモデルです。神功皇后のかわいらしさが目をひきますが、これは印刷部女子職員をモデルにしたものです。自分の顔がお札になったわけですから、女子職員は、誇らしいやら、恥ずかしいやら、複雑な気持ちだったことと思います。
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日本銀行のホームページを見ると、紙幣に使われる人物の選定基準としては、
①極力実在の人物で、業績があり知名度も高く親しみやすいなど、国民から尊敬され日本を代表するような人物であること
②偽造防止の観点から、簡単に複製できず、かつ人の目を引く特徴のある顔であること
―の2点があげられています。
この程度の基準で、明治以降でなくてもよいのなら、クリアできる人は数え切れないほどいます。奈良県民として推したいのは、卑弥呼、行基菩薩、光明皇后、藤原不比等、山上憶良などです。
えっ顔がわからない?
「令和のキヨッソーネ」に「特徴のある顔」を描いてもらいましょう。