今年最大の悲しみ | ラスベガス的リタイアの法則

ラスベガス的リタイアの法則

在米30年をハワイと南カリフォルニアで過ごしたのちに、ラスベガスで始めた引退生活。ところが主人が悪性脳腫瘍に。ラスベガス大好き♡なヨメが、愛する主人のために古巣カマリオへ。
主人が天国に行き、ラスベガスに戻って来ました。時に泣きながら、一生懸命生きてます。

Hi everyone!

お元気ですか?

昨日は中途半端な書き方をしてしまったために、ご心配をおかけしました。ごめんなさい。汗

実は昨日の朝、大阪の大好きな友人が天国に行ったと娘さんから連絡があったんです。えーん

彼女と出会ったのは、確か私が21歳の時。

スタイルが良くて、美人で、太陽のように明るくて。さらに、大阪では大きなポイントなのですが、めちゃくちゃ面白い!爆笑

私は24歳でハワイにお嫁に行ったので、考えたら大阪で一緒に遊んでいたのは3年に満たなかったんですね。

それにしたら思い出が多過ぎる…。えーん

私と彼女は1週間違いで結婚して、新婚旅行にはハワイに来てくれました。

以来、私が帰国したら必ず会うし、彼女もよくハワイに来ていたので、遠く離れていても定期的に会っていました。

確か私が32歳くらいのこと。

彼女が泣きながらハワイに電話してきたことがありました。

「乳ガンになって手術してんけど、術後の検査結果がエエことなかってん…」

聞くとまだ入院しているとか。

当時はLINEなんて便利なモンはなかったし、Eメールでさえまだそこまで普及してなかった時代。だから連絡は基本的に電話でした。

病室からわざわざハワイの私に国際電話をかけてきたのです。それほど大きな不安に押しつぶされているんだと気がついて、私は言葉も出ませんでした。

「アンタは強いわ。海外で離婚して、シングルマザーで頑張ってるねんもん。私はアカンタレや」

と言って嗚咽する。

「何言うてんの。私なんか全然強ないで。アンタの方がよっぽど強い。そうやって病気と闘ってんねんから」

でね、彼女は頑張ったんですよ。
乳ガンは完治したんです。

2年後だかにハワイで会った時は、髪こそ短くなっていたけれど、昔と変わらぬ美貌でした。

「めちゃ元気そうやん!大病したようには見えへんで」

「そやろ。全然痩せへんかってん」笑い泣き

私がカリフォルニアに越してからも毎年のように来てくれたので、主人と一緒に家族ぐるみの付き合いになりました。

おととしの秋に連絡がありました。

「11月にハワイに行くねんけど、友達のコンドに1カ月おる予定やねん。遊びにおいでよ」

その頃、すでに主人は脳腫瘍治療の真っ最中。実は彼女には連絡していませんでした。
主人は予後1年の不治の病だったから、特にガン経験者には言いづらかった。きっと皆んな、再発の恐れを頭の片隅に抱えて頑張っていると思ったから。

彼女は25年もキャンサーフリーだったけど、それでもわざわざ連絡する気になれなかった。
もしかしたら察するものがあったのかもしれません。

でもそれで主人の病気を打ち明けて、ハワイに行けない事情を話しました。

彼女はハワイ滞在中に、胆石だかなんだかで救急車で運ばれました。その病院で、気になる影があるから日本に帰ったら検査するようにと言われたのです。

私の父はそもそも胃ガンで、10年キャンサーフリーだったけど、次に見つかった時には肺や肝臓に拡がっていました。ドクターにもう治る見込みはないと宣言されました。

彼女もまったく同じ状況でした。

それを聞かされた時、主人は悪化の一途を辿っていたし、主人の従兄弟ハワードにもガンが見つかったところでした。

私は神様を恨みたかった。

なんでこんなエエ人ばっかりにひどい仕打ちするの?!えーん

「もう覚悟はできてる」

「何言うてんの!アンタは運が強いねん。負けたらアカンで。頑張りや!」

主人が逝った時も、また彼女には伝えられなかった。

しばらくして連絡がありました。

「ミラクルが起きてん!新しいお薬が効いて、ガンが小さなってん!そやからご主人も大丈夫やで。きっと治らはる!」

それで主人は天国に行ったことを伝えました。

私は主人を看護した経験から、病気の内容は本人よりも家族と連絡を取るのイチバンと知ったので、彼女の再発を知って以来、娘さんとも連絡を取って病状を把握していました。

娘さんは私と同じようにひとりっ子なので、彼女のことが心配、というのもありました。

去年帰国した時に大阪に行った最大の理由は、実は彼女に会うためだったのです。どうしても絶対に会っておきたかった。

梅田のホテルにしたのも、彼女と会いやすいように。

久しぶりに会った彼女は、記憶の中の彼女そのまま。もっと弱っていると思っていたのに、知らなかったら病人とは思えないほど顔色もいいし元気そうでした。

「食欲はあるから全然痩せへんねん」爆笑

わざわざホテルまで迎えに来てくれて、私が行きたかったかに道楽まで連れて行ってくれました。

「無理せんといてや。しんどかったら私が家まで行くから。わざわざミナミまで出てこんでエエで」

「お願い。これはさせて。私がしたいねん」

「ホンマに無理しいなや。無理したら嫌やで」

「無理してへん。テニスもしてるし、昨日も神戸まで行ってんで。お願いやからさせて」

と証拠にテニス姿の写メまで送ってきた。爆笑

今年ラスベガスに来てくれる約束をして、娘さんにも「連れて来てや」と頼んでいたのですが…。

7月半ばに、気がついたら彼女からLINEが入っていたことが。
そこにはただひと言。

「Yumちゃん」

それだけ。
ドキドキしながらすぐに返信しました。

「どーしたー?」

「いよいよ頭にきた。もうすぐ姪の結婚式でハワイに行くねんけど、ハワイの病院、どこがいいか知ってる?」

心臓がバクバク音を立てて打ちました。

パパと一緒や。ついに頭まで回ってしもた…。えーん

「負けたらアカンで。頑張りや。来年は東京オリンピックで帰るつもりやから、その時に大阪に会いに行くから。ほんでまた一緒に美味しいモン食べに行こ。そやから頑張るんやで」

「万が一の覚悟はできてるし、楽しく生きていく。食欲もあるし。Yumちゃんちに行きたい! あと2回で放射線終わるから頑張るね」

「来て来て!食欲あるのはエエことやけど、アンタらしいな。笑い泣き その心意気やで。美味しいモンい〜っぱい食べや」

10月の上旬には、

「来年の3月目標でラスベガスに行きたいと思ってる」

と連絡があり、黒部ダムで撮った写真を送ってくれました。去年と変わらず元気そうで安心したのです。

最後に連絡を取ったのは10月末。彼女のバースデーでした。
「I ハート you and miss you!!!」

その翌日には「カニ食べに行こう」とLINEが入り、すぐに「ゴメン。間違えたー」。

でも元気そうで嬉しかった。

でもここ数日、大阪で会ってからそろそろ1年やなぁ、とどうも彼女のことが頭の中をよぎっていたんです。

昨日の朝、娘さんからのLINEを読んで、私は父が亡くなった時と同じようにへたり込んで号泣してしまいました。

「本人の希望でお通夜もお葬式もせずに、家族だけでお別れ会をします。でもママにYumさんには連絡するように言われてたんです」

娘さんには、私が長男に言われて勇気づけられた言葉を贈りました。

「泣きたいだけ泣いたらエエねんで。母娘やからいうて仲がいいとは限れへんけど、アンタらはめちゃくちゃ仲良しの母娘やったから、辛いのはその勲章やねん。You earned it. そやから泣きたいだけ泣いたらエエねん」

本当に一卵性双生児の母娘だったんです。

彼女には数えられないほどたくさんのことを教わりました。羨ましいくらい社交的で、太陽のように明るくて。普通ならハハハで終わることでも、彼女とならその明るさにつられてつい膝を叩いて笑い転げるハメに。
彼女がいると、そこだけパッとスポットライトが当たったように明るくなって、周りの皆んなも幸せな気分にしてしまう。

去年会った時も、一時危篤に陥った時の話をこんな風に言ってのけた彼女。

「お姉ちゃんが、棺はどんなんがエエ?って聞くから、黄色いのが欲しいわって言うてん。ほんなら走り回って探してくれてんけど、お姉ちゃん、黄色い棺ってどこ行ってもないねん。ベージュやったらアカンか?って聞かはんねん」
笑い泣き笑い泣き笑い泣き

あの明るさは才能だったと思う。

彼女が天国に行って、天国はさらに明るくなったに違いありません。そして地上はひとつ灯りを失ってしまった。私の世界も。

治らないのはわかっていたし、この日が来るのも頭では理解してた。
でも本当に彼女がこの世からいなくなってしまったのが、どうしても納得できない。

娘さんが言いました。

「今頃、ご主人と天国で仲良くしてると思います。ママのこと、よろしくねー」

「朝、主人の3分の1が入った筒を抱えて号泣してたら、『Don’t cry. I got her. I’ll take care of her』って言うてたよ」

なんだか天国はどんどん賑やかになっていくなー。天国に行ってもずっと笑っていられるのは確実。爆笑

I love you and miss you. 
ホンマにホンマに大好きやったで。ドキドキドキドキドキドキ

では、お元気で。

Have a nice day!

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