お彼岸 | ふにゅのブログ

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ブログは主にアルコール関連問題、日本の歴史や伝統文化、神社・仏閣を参拝して感じたことなどを書いています。

記事の編集をするのが遅くなってしまいました。

 

※元の記事は3月22日に掲載したものになります。

修正をかなりしていますので、再掲載の回数が多くなって申し訳ないです。

 

今年の春のお彼岸は、18日~24日までですね。

 

お盆やお彼岸、お正月にはその手の記事を出来るだけ書かないようにしていますので、もう少しだけ時間がかかると思ってくださいね。

 

写真は昨年の秋に東福寺の講中齋にお伺いした時に撮ったものです。

 

東福寺三門 国宝 現存する禅寺の三門としては日本最古のもの。

 

 

美しい砂紋をいつまでも見ていたくなります。

 

開山堂 常楽庵

 

受付を済ませてから僧堂で雲水料理を頂く時に、お膳を運んで下さった僧侶の方に「お写真を撮らせて頂いてもよろしいですか?」と尋ねたところ、「構いませんよ。最近は何でもSNSですから(笑)」と仰いましたので、「思うことは同じですね」と笑顔で答えてから、ありがたくお写真を撮らせて頂きました。

 

思い返せば、このようなご縁のきっかけは、我が家の前を雲水さんが托鉢で通りかかった時に、思いきって雲水さんに「どちらの僧堂の方でしょうか?」と声をかけて、その声に立ち止まって下さった雲水さんの看板袋(僧堂名を染め抜いた頭陀袋)を見てからになりますが、天龍寺や相国寺の雲水さんも我が家の前を通りますので、そこからご縁が広がるというのも京都ならではのご縁というものかも知れませんね。

 

以前は南禅寺の雲水さんも我が家の前を通ることがありましたが、「最近はどの僧堂も人数が少なくなったので」ということをお聞きする度に寂しさを感じることもありますが、多くを語らずとも同じような思いを抱いている方の思いが伝わることもありますので、そのような思いを抱いている方たちとのご縁というものを、これからも大事にしたいと思っています。

 

雲水料理 (精進料理) 僧堂にて撮影

 

茶飯、沢庵、水菜漬、こんにゃく、湯葉の天麩羅、胡麻昆布、豆腐と白菜の汁物、湯葉の野菜巻き。

 

精進料理に気を取られて、箸袋の裏に書かれている五観之偈(ごかんのげに気づかない方も意外と多いので、こちらに書いておきますね。

 

一つには、(こう多生(たしょう(はかり、(来処(らいしょ(はかる。

 

(この食物が食膳に運ばれるまでには、幾多の人々の労力と神仏の加護によることを思つて感謝いたします)

 

二つには、(おのれ徳行(とくぎょう全欠(ぜんけつをはかつて((おうず。

 

(わたくし共の徳行の足らざるに、この食物を頂くことを過分に思います)

 

三つには、(しん(ふせぎ、過貪等(とがとんとう(はなるるを(しゅうとす。

 

(この食物にむかつて(むさぼる心、(いとう心を起こしません)

 

四つには、(まさ良薬(りょうやく(こととするは形枯(ぎょうこ(りょうぜんが(ためなり。

 

(この食物は、天地の生命を宿す良薬と心得て頂きます)

 

五つには、道業(どうぎょう(じょうぜんが(ために、(まさにこの(じきをうくべし。

 

(この食物は道業を成せんが為に頂くことを誓います)

 

そんな風に私が僧堂で食事をいただく時に箸袋を開いて、五観之偈を周りにいる人に聞こえないように唱えてから食事をしているのを見た方たちが、箸袋の裏に書かれている五観之偈に気づいて、同じように箸袋を開いて五観之偈を唱えてから食事を始めることもありますので、それもありがたいと思います。

 

食事の作法については、坐禅研修等を受けたことのある方はご存じだと思いますが、箸をつけるお椀をひとつずつ手に取ってから食事をいただくだけでも見た目の美しさが違いますので、僧堂で食事をいただく時に、ひとりでも食事の作法を知っている方を見かけると、ホッとすることがあります。

 

また、食事が終わると、お椀に入れて貰ったお茶とたくわんを使って、お椀をひとつずつ洗うことを洗鉢(せんぱつと言いますが、その洗鉢をしている人が意外と少ないと思うこともありますので、私と一緒に講中齋に行く人には黙ったまま洗鉢をして貰うようにすることで、食事の作法に興味を持って貰える人がわずかでもいるということに、ありがたさを感じることもあります。

 

この日は比較的に温かい日で、僧堂に通る風が心地良く思えました。

 

ここ数年、どこに行っても、神事や法要の最中に周りの人の迷惑を顧みず、おしゃべりをしている人が目立ちますので、その都度、小声で「静かにして貰えませんか?」と声をかけて静かにして貰いますが、神事や法要の時にはその人の話し声が聞きたいのではなく、祝詞や観音経を聞きに来ている人もいるということを、参堂される方たちにはもう少しだけ考えて欲しいなぁと思ったりします。

 

そんな思いも、法要後の楽しみのひとつでもある老大師さまの法話にて、思い直す機会を与えて頂けたので、ありがたいと思いました。

 

ちょうど、この日の法話が六道でしたから(苦笑)

 

 

仏さまの中には憤怒の相をしている明王もいますが、自分だけがと思う畜生を見て、怒りで我を忘れるような修羅の世界に陥らないようにという教えもとても大切なことですので、この日の老大師さまの法話のタイミングに頭の下がる思いがしました。

 

綺麗に撮れませんでしたが、この日に頂いた坐禅和讃の写真です。

 

常楽庵の上層の「伝衣閣」(でんねかくから正面の庭園と右手に見える普門院を望む。

 

案内をして下さった僧侶の方から「昨年の台風で横の扉が一部破損しまして」と、伝衣閣に上った時に説明を受けましたので、「こちらの仏様は無事だったのですか?」と尋ねたところ、「お陰様で無事でした」とお聞きして安堵しました。

 

これから暫くの間は耐震工事のため、普門院で法要をすることが出来なくなるとこの時にお聞きしましたので、その間はこの景色も見納めになると思いますが、日にちが合えば、春の法要にも参堂したいと思っています。

 

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