宇宙・防衛大綱案
宇宙空間は広大で無限のように思われますが、地球周辺空域には、色んな物が飛んでて案外危険です。
日本政府は先日、新たな"防衛大綱(防衛計画の大綱)"と、それに基づく2019~2013年度の次期中期防衛力整備計画の両骨子案(宇宙・サイバー・電磁波・航空艦船)を与党ワーキングチームに示し、大筋で了承を得ました。
大綱では、宇宙領域で敵の通信衛星を妨害し、相手側の指揮系統と情報通信を妨げる能力の保有を新たに打ち出し、政府は18日にも閣議決定をする予定です。
中国やロシアなどは宇宙での攻撃能力を高めており、日本の衛星が攻撃され破壊されれば、国防上のダメージは大きく、日本という国家存亡の危機に陥ります。
日本は光化学望遠鏡を打ち上げて、宇宙空間の監視能力の強化を図ると共に、侵略部隊の指揮統制に不可欠な敵の通信衛星に対して、地上から電磁波を使って通信を妨害するシステムを導入します。
これに関連してサイバー領域でも、有事の際に自衛隊が反撃できる体勢も整えるとのこと。
通信とサイバーは表裏一体の存在で、防衛力と反撃力の強化を行うために、サイバー防衛部隊などの体制拡充と、電磁波を用いる電子戦についても侵略部隊のレーダーや通信を無力化する能力の向上も大綱に盛り込みました。
日本の法律の不備で韓国に侵略・占領を許してしまった島根県の竹島は、これまで通り平和裏に解決の模索を継続しますが、新たに侵略の危機となっている沖縄県の尖閣諸島は、同じ過ちを繰り返さないための防衛作が講じられます。
尖閣諸島は急迫の事案ですが、今後の未来において太平洋側の離島の防衛が必要となる場合も考慮し、物理攻撃に対しての防衛力も高めるとしています。
"護衛艦いずも"をはじめとする"いずも型"の、事実上の航空母艦化にも踏み切ります。
日本は周囲を海に囲まれた海洋国家であるがゆえに、空母の保有は長年論議されてきましたが、ここへ来てやっと実現の指針が示されました。
最新鋭ステルス戦闘機"F-35B"を念頭に、短距離離陸と垂直着陸が可能なSTOVL機を新規導入と大綱に明記。
その上で"いずも型"を『必要となるケースにおいて、STOVL機の運用が可能となる検討の上、改修する』としています。
空母の役割も担うことで、基地の無い太平洋の防空や離島防衛の能力を高めるためですが、そのために航空自衛隊と海上自衛隊の連携組織を創設すると共に、弾薬や医療品などの輸送力を強化するために、陸上自衛隊と海上自衛隊による共同の海上輸送部隊を創設します。
物理戦・電子戦を中刻に総合的な防衛力向上のため、全ての領域を横断的に連携させる体制を実現するために、統合幕僚幹部に"統合作戦室(仮称)"を新設します。
日本国憲法において戦争放棄をしていても、相手を尊重しない"自己中心的な平和"を考える国が無くならない限り、自衛手段はその軍事力に対抗するための能力が必要となります。
残念なことですが、これが今の人類の現実です。
12月16日は、世界最大・最新鋭の戦艦大和が竣工した日です。
戦艦という種別は、世界的に見て非常に短期間にしか存在しなかった船です。
海軍は国家というシステムが誕生して千数百年の歴史がありますが、軍艦が登場するのは17世紀になってから。
造船技術・建艦技術が爆発的に発展し続けた進化時代には、巡洋艦と戦艦の区別はできなかったので、尊称を別として全て巡洋艦と呼ばれています。
その中で世界最初の戦艦とされているのは、1892(明治25)年に竣工したイギリスのロイヤル・サブリン(Royal Sovereign)だと言われています。
日本では再び空母の配備が現実化しようとしていますが、世界で初めて空母を実用化したのは1922(大正11)年12月27日に完成した日本の"鳳翔"です。
そして空母を中心とした機動部隊を配して、本格的な実用運用をしたのも日本です。
世界で初めて、航空機による部隊で敵基地や敵艦隊を撃破したのも、日本です。
これにより、世界の戦力の中心が航空機による攻撃へと、時代が変わります。
そういった歴史の流れから、戦艦大和と戦艦武蔵は、世界で最後に造られた戦艦となりました。
1937(昭和12)年11月~1941(昭和16)年12月、戦艦大和が計画され建造されている時にはまだ、海軍力が先進国の証でした。
1940(昭和15)年8月8日の進水後、大和は公式試運転を行い、1941(昭和16)年12月16日の就役の一週間前の12月8日に、日本は航空機によってその有用性をマレー沖海戦続いて真珠湾攻撃という実戦で世界へ示しました。
日米開戦の時点で、爆撃機や艦攻機・戦闘機を含めて、一番航空機を所有していたのも、日本でした。
アメリカ史上で、唯一、太平洋艦隊が壊滅したのもこの時でした。
戦争は人命と資源とお金の消耗戦です。
その後の流れで、日本を貧困と敗戦へと辿ったのは、誰もが知る事実です。
戦わない軍隊・・・・それが世界で一番強い軍隊だと言われます。
さて、昔はこんな記事もたくさん書いていましたが、この近年はご無沙汰でした。
来年からは、こういった内容の記事も少しずつ織り交ぜて行こうと思っています。
そして今日は他にも"電話創業の日"と"紙の記念日"です。
1875(明治8)年の今日、東京・王子の抄紙会社の工場で営業運転を開始しました。
抄紙会社は実業家・澁澤榮一(しぶさわえいいち)子爵が大蔵省紙幣寮から民間企業として独立させたもので、王子製紙の前身となりました。
続いて15年後、1890(明治23)年の今日、東京市内と横浜市内の間で日本初の電話事業が開始しました。
この当時の電話加入は東京155台・横浜44台で、女子7人・夜間専門の男子2人の交換手が対応しました。
紙も電話も、今でも大切な通信手段ですね。
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ゑ |
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